「工場の灯」に「情欲」を抱く女
暑いですねー。
これを書いているのは、ゴルパンのオフ会の翌日です。
今月のゴルパンのオフ会は、何と「工場の夜景を海側から船に乗って堪能しよう」という、素敵なものでした。
場所は横浜から川崎に向かう「お洒落スポット」から「ガチの化学系工場地帯」への大冒険です。
20代から50代までの「ヤンサン好き」が集まって、ワクワクの出港。
「学校出ても、まだまだ終わらないサークル活動」をご機嫌に続けるゴルパンメンバーは、あいにくの雨にも終始「ご機嫌」。
1人も文句を言う人がいないのはさすがです。
そして思っていた以上に高速で飛ばす小型のクルーズ船。
じっとりとした夏の暑さの中、現れる巨大な工場の群れ。ライトアップされたむき出しの鉄骨で出来た「異様な建物」が火を吹いている。
サイバーパンクだのスチームパンクだの、なんだか懐かしい言葉が頭に浮かぶ。
その昔、産業革命で蒸気機関が大発展していった(宮﨑駿やら大友克洋の好きそうな)時代に、「未来派」なる芸術家集団が現れました。
彼らの主張は「機械はかっこいい」「スピードはかっこいい」というもので、いわば「工場萌え」のルーツにあたる人達でしょう。
小雨に煙る煌めく工場の異様な美しさを見ていると、未来派の人達が無邪気に「かっこいい」と思ったのと同じ種類の感情がこみ上げてきます。
要するに、自然大好き派の僕が見ても、その光景は「かっこいい」のです。
とはいえ、その工場群の多くは「化石燃料」を大量に消費し、汚染分質を撒き散らし、海の生き物を死滅させる「悪魔の装置」です。
なので、無謀な近代化を批判する「まっとうな精神」のこもっていた「ウルトラマン」などの初期シリーズでは、やたらと「港のコンビナートや工場」が襲われます。
「思い出すなあ、タッコング・・」なんて思っていました。
工場は綺麗だけど、これだけ技術が進歩しているのに「まだこんなに悪魔の汚染装置に頼ってるのか・・」とも思う。
そもそも電気は「回転運動」だけでも出来るし、ある程度の「熱」があれば作れてしまう。
日本近海には大量の「海流」が常に流れていて、太陽はギラギラ営業中だ。
そんな「エネルギーの元」がいくらでもあるのに、予熱を放射しながら化石燃料が燃やされる。
僕は「石炭、石油」は「死んだおじいちゃんが隠していたタンス預金」のようなものだと思う。
石炭石油は、何億年もの間、地球上の二酸化炭素を「炭素」に閉じ込めて、地中深くに埋めたもの。
「それ」を使えば「物凄いエネルギー」が出せるけれど、それは石炭石油が「何億年もかけて生み出したエネルギーの元」みたいなものだからだ。
民話風に言えば「それ(石油)」には呪いがかかっていて、使うと人間の「欲望」が満たされるけれど、後の世代にまで「汚染」は続き、人間にとって一番大切な「健康」が奪われる、というのが「石油文明」です。
そんな石油の呪いを1足先に体験した、フランスとイギリスが「数年後にはガソリン、ディーゼル車の生産を禁止する」という法律を制定したらしい。
その変わりになるであろう「電気自動車」も、自然エネルギーで生み出した電気でなければ意味がないのだけれど、そっちの法整備も進んでいくだろう。
つまり、今回僕が見ているのは「20世紀の遺跡」とも言える。
そう思うと、何だかカンボジアの「アンコールワット遺跡」に似てる気もする。
一緒に工場群を見ていたゴルパンの男性が「なんかロックですよね」と言った。
確かに、節度ある古来の伝統(自然神、土地神を敬い、謙虚に暮らす)を破壊して、欲望の限りに火を吐き、空気も海も殺す「悪魔の工場」の「破壊精神」はロックの何かとも通じる。
だからこそ「美しい」
「工場に欲情する」という女の人がいるらしいけど、その根本にはそういった「人間の荒ぶる欲望」が可視化されているからかもしれない。
そしてそれは、どうしようもなく「魅惑的」だとも思う。
おそらく、そこには「死」が内包されているからだろう。