良い落語家の見分け方
5月は久世です。
どうぞお付き合いください。
最近またちょっと落語を聞いてます。
この前、はじめて立川談春さんの「口演」(こうえん)に行ってきました。
現在最もチケットが取りにくい噺家(はなしか)さんの一人です。たぶん。
色んな人がどれだけ何回同じ話を演じても演じる人によって、聞き手もその時の気分によって新しい発見があるからでしょうか?
演じる時に毎回新鮮な心持ちで演じてどんな古い噺も古くならないからでしょうか?
「口編」に「新しい」という漢字で噺「はなし」と読むのが好きです。
喋りがメインの公演だからでしょうか?
「口」に「演じる」で、口演(こうえん)って言い方をするのもなんか粋な感じがして好きです。
(噺家は咄家という書き方もあり、こちらは「口編」に「出」で「はなし」と読みます。こちらもなかなか良い表記だと思います。何かが口から出る人なんですね。)
談春さんの、観客の心や空気を引き寄せたり手放したりしながらぐいぐい引き込む話芸は圧巻。最高でした。
もっと笑わしたり、客をわかしたり、怖がらせたりできそうなのに、ある程度以上やりすぎずに自分を抑制している感じがして、そこに人としての凄みを感じました。
白熱している場面でさえ身体にまだまだ力が残ってるというような雰囲気が見えるんです。
底が見えないんです。談春さんの。
全開でやったらどうなるのか?みたい。
でもそれはなんか粋じゃない気もする。
今見たものの方が全開でやるより難しい気がする。
んーーどうなんだろ。
あー、これは何度も見たいな、見なきゃなと思いました。
さて、その日の帰り道から、僕の世界は一変してしまいます。
落語家です。世界中が落語家さんです。
道を歩いている人が全員落語家さんに見えてしまうんです。
例えば今電車に乗ってるんですが目の前に座ってるこの人は、多分もうすぐ真打昇進試験で最近師匠に怒られることが多くてピリピリしていて、自分でももう一枚壁を破りたいのに破れないからそれにも苛立ってる落語家さん、推定35歳。
さっきすれ違った30歳くらいの人は最近まで音楽やってたんやけど、うまくいかず、やめて、実家にでも帰ろうかなんて思ってたんだけど、なんとなく入った寄席で見た、とある大御所の師匠の落語に感銘を受けて落語家になろって決意して今住み込みで弟子をやってる落語家さん、とか。
そんな感じで街にいる人全員が落語家さんに見えています。
どうしましょ。
他にも、この人は大学の落研上がりでとても頭はいいんだけど、なんだか人間味がないから噺(はなし)がうまいだけで面白くならないんだけど、そのことに本人は気づいてなくて、師匠からも「もっと遊べ」って言われてるのに、落語しか興味ないから遊ばないでついつい古典の研究とかやっちゃってる人だなこの人とか。
この人は脱サラして落語家になったから世渡りがうまく、苦労したから噺も他の人にはない真実味がある、ただ、落語家になったのが遅かったからここからどこまで行けるかなー。って感じの人だな。
とか、この人は落語家だったけど、あまりにも素行が悪かったから破門になっていまは落語家時代に出会った三味線を引く奥さんと普通の暮らしをしている元落語家さんだなとか。
この人は街では暗い顔して歩いてるけど一度口座(舞台)に上がれば客を大爆笑の渦に叩き込むタイプの落語家さんとか。
ありとあらゆる人が落語家に見えます。
あっちの人は女性ではまだ数少ない落語家で、持ち前の明るさで今勢いのある若手落語家。
あの人は父がすごい落語家でそれと比較されてずっと苦しんでる落語家。
この老人はわかいころからハナシが全然上手くなくて、歳をとった今もぜんぜんハナシは上手くないけど、歳をとることで誰にも真似できない味が出てきて最近になってなんだか人気が出てきた落語家さん。
どこもかしこも落語家さん。
人類全て落語家だというフィルターを通してみると、なんだか落ち込んで元気のない日でも街にいる人みんながちょっと愛おしくなるというのも発見でした。
なんかぶつかられても、何かでイラっとする対応をされてもこの人こう見えても落語さんだもんな。って思うと僕の中でそれが免罪符になって、割と多くのことが許せてしまいます。
立川談志さんの言葉に「落語は人の業の肯定」って言葉があります。
好きな言葉なんですが、矛盾していたり真っ直ぐや正しいだけではいられない人間を落語を通して笑いながらも俯瞰の視点で見つめるってことはとても良い時間なんじゃないかと個人的に思います。
業を肯定することで許されるわけではないけど、自分を振り返って、笑ってる中でも反省したり自分の欠点を知らず知らず意識できたりもする。
そういう時間って日常だとなかなか持てないので、寄席ってやっぱり良いなーと思います。
時間の外に自分を置くこと。
時間の外って、例えば自然の中もそうだけど、神社もそうだし、寄席もそう。
自然も好きだけど人間がつくった、時間の外に自分を置ける場所は、自然にはない味わいがあってそこにも自然や宇宙があってとても好きです。
さて、全人類総落語家になってしまった僕の世界での良い落語家の見分け方ですが、街を歩いている時にはパッとしなかったり、影があったりする人の方が落語家として舞台に立ったら良い落語をしそうな気がしてなりません。
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