「ぼっち」の武器
「ぼっち・ざ・ろっく!」を観ていてずっと考えていた事がある。
それは「誰かに話しかけられるのを待っている人」がどんな気持ちで生きているのか、という事だ。
これはたやすく人に話しかけられる人にはわからない。
パワフルな有名人と(初対面で)毎週対談してきた僕も中学の頃はそんなだったと思う。
僕の子供時代も「学校の教室」って場所は過酷な場所だった。
生徒は大きく2種類に分かれていて、余裕たっぷりに「おまえどこ中?」とか聞ける人間と「誰か話しかけてくれないかな」と震えいるタイプの人間だ。
こういう「待ち」のタイプがタイミングを外すと、クラスではすでに「仲良しグループ」だの「派閥」だの「支配者」だのが決定していて、そこから挽回するのは日に日に難しくなる。
そんな状態になると「自分の意志であえて1人でいる」という事にでもしない限りメンタルがもたない。
難しそうな文庫本などを開いて「私は君ら俗人とは違うのだよ」みたいなモノローグをかましつつ「壊れそうな自尊心」を必死でガードして耐えるのだ。
きつい話に思えるけれど、実のところ僕が「絶望に効くクスリ」で会ってきた有名人のほとんどが「このタイプの人達」だった。
特に漫画家やミュージシャン、お笑い芸人、映画監督などのクリエイターやイノベーターにはこんな学生時代を送ってきた人が多い。
「普通」と言われる人達の中に安易に入れない人達が、その後「面白いもの」を生み出すのだ。
そんな傾向に気がついた僕は、その事を「1人で苦しむ人達」に伝えたくて「非属の才能」という新書を書いた。
【ぼっちの友達は誰か?】
ぼっちになると話相手は「自分自身」か「コンテンツ」や「有名人」あたりになる。
クラスメイトと話さないと、話相手がいきなり「アーサー・C・クラーク」や「ボードレール」や「寺山修司」になったりするのが面白い。
クラスメイトが「コンビニのお菓子の話」で盛り上がっている時に「人類の文明の終焉について」やら「バビロニアの謎」などに夢中になってたりするわけだから、その後「面白いもの」を生み出す人達が多いのもわかる。
そしてそんな「ぼっち」の「定番の友人」が「ロックスター」なのだ。
近代社会で「群れの中の暮らし」が始まってから「ロックスター」は現れた。
彼らの多くが「はみ出しもの」で「純粋」で「本当のこと」を求めている孤高の存在だ。
「この曲のこの気持ち凄くわかる」
みたいな曲に出会えたら幸運だ。
その日から憧れのロックスターが「イマジナリーフレンド」や「メンター」になって自分の深い部分を支えてくれるのだ。
僕にとってはそれが手塚治虫だったり甲本ヒロトだった。
(何度か語ったけど)ブルーハーツは「1985」という曲の中で「僕たちを縛り付けて、1人ぼっちにさせようとした、すべての大人に感謝します」と言っている。
この歌詞は強烈な皮肉と「ある種の真実」が含まれている。
「ぼっち」だったから出会えたのが「ロック」だったりするからだ。
【それでもしんどい】
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Youtubeのメンバーを経て、よりライブ感の強そうなこちらへと流れてきましたが、やはりニコニコの煽り文化は根強いですね……(Youtubeがまったくその傾向が無いという事もありませんが)
慣れていない自分は面食らう事も多いですが、それらに負けず、参加した際は出来る限り盛り上げられるようなおもしろコメントを出していけるように精進していきたいと思います!