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山田玲司のヤングサンデー 第48号 2015/8/31

「ここではないどこかの時代」は、終わったのか?

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「ここではないどこかに行きたい」みたいな事を言うと、なかなかに「The中2感」が出ます。

あの国民的バンドGLAYも「ここではないどこかへ」と歌っていますね。
GLAYさんたちの見事なビジュアルと世界観(FF的)も相まって、「その感じ」は見事に0年代の気分を現していると思います。

そんな「自分の居場所はここじゃない」という、(若者の)流行りは定期的に来るものらしく、今の20代中盤から30代くらいの世代の親達(50代半ばから60代前半)がまさに「その世代」です。

1つ上の団塊世代が革命に失敗した後のどうしようもない空気に「オイルショック」が重なって、「空前の自分探しの旅」ブームになったわけです。
これがドラマ「俺たちの旅」とか「幸せの黄色いハンカチ」とか「異邦人」とか、「さすらい」とか、「ディスカバージャパン」とか、「日本のどこかに私を待ってる人がいる」とか、ともかくみんな「新宿の路上」から「ここではないどこか」を目指して彷徨う気分だったのです。


それが80年代の好景気で一変します。
「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と言われ、いい気になって、「この国って最高!」と言い出すのです。
「ここではないどこか」ではなく、「ここがいい」と言う時代が始まります。(それが「原宿」だったり「横浜」だったり「湘南」だったり)

親の世代と同じような流行が、子供の世代に流行るのも面白い現象ですけど、「日本が最高!」と言っていた世代は、戦後復興期に科学と民主主義で、「日本が最高!」と言っていた世代の子供達です。


そんなこんなで、バブル景気までは良かったのですけど、バブル崩壊後に大混乱の90年代が来て、
呑気に「ここが最高!」と、言っていられなくなった頃に「エヴァの時代」が来ます。
「逃げちゃダメだ」と言いながら、激しく内向し、文学的混乱に悶えながら、答えの出ない日々を送ったのが「団塊ジュニア」です。

そんな団塊ジュニアは団塊世代と同様に現実と格闘しようとした世代です。
彼らが戦ったのが主に「地元」か「街の路上」でした。彼らは「ここ」を地元に求めたわけです。

それを代表するのが「渋谷」であり「池袋」であり「木更津」でした。
「チーマー」「ギャング」「援交」「クラブ」「ギグ」「ドラッグ」の時代です。
そしてその激しい戦いは、下の世代からは「野蛮でおっかない人達」に見えたのだと思います。


そんなわけで、その次の世代は「ロスジェネ」と言われる「生活の中心が家の中」で育った弱々しい世代に変わっていきます。

「逃げちゃダメだ」は「ダメでもいいから、逃げたい」に変わっていくわけです。
それくらい現実は最悪な時代になっていたのが「0年代」だったのだと思うのです。
そして「ここではないどこか」を夢見る時代になっていきます。

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彼らが〈旅をしていた〉親の世代と大きく違うのは「現実の旅」をしない事です。
団塊世代の様に瞑想やドラッグなどを使った「旅」もしません。ネットが現れたからその必要を感じないのです。

学校や地元に楽しい居場所があった人達は「ここではないどこか」などを夢見ず、「地元最高」になるわけです。
これが「湘南の風派」とか「EXILE派」になり、「ビックサイト村」とは断絶関係になっていきます。

女たちも種族別の断絶が決定的になっていきます。
地元派で楽しくやってきた人は、ギャルから新妻、子育てサークルと、地元に根を下ろして行きます。

その対局にいるのが「趣味の世界」で王子様を夢見る派や、王子様同士の愛を応援派とか、色々と「夢の国」に居場所を求めたりする人たちです。

一方「ネトウヨ」と呼ばれるの人種は、主に誰にも相手にしてもらえない「寂しいおじさん」だと聞きますので、彼らはまた違う「辺境」に追いやられているようです。


そんなこんなで、同じ国に住みながら、多くの壁に囲まれて「断絶」だらけの国に我々は住んでいるのです。
それは、それぞれが、自分にとって心地の良い「どこか」に閉じこもり、「完全に逃げた」ように見えます。

それは「地元派」には「地元が好きな人達の仲間」という「小さな村」で、ギャルの世界で言う「うちら」という「仲間だけ」の世界です。
これはビックサイト系のつながりも同じだし、ジャニ沼や、ゴス沼、アイドルや、ゲームやアニメのコミュも同じです。
つまり、みんな「自分達だけの小さな村」に「ここではないどこか」を見つけたわけです。
これが「ワンピース現象」ですね。

そういえば、最近頻繁に見るのが、「小型犬を抱えたおじいさん」です。
「何十年も働いた最後に、心を許せるのはチワワだけだった」なんてのは、悲しく見えるんですけど、これも小さな「麦わらの1味」(1人と1匹)なんですね。


ところで、ようやく「マッドマックス」の最新作を観ました。
世間で言われているような「バカなお祭り映画」だけではなくて、内容的に恐ろしく質の高い作品でした。