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山田玲司のヤングサンデー 第58号 2015/11/9

「いいものは売れる説」は本当か?

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「漫画家の前で他の漫画家の漫画の話をするのは失礼だ」というのは、以前の放送でも話してますけど、まあ概ね「そういうもの」です。

これは彼女(恋人)の前で「他の女の話」をするようなもので、何に関しても同じでしょう。

人生をラーメン作りに賭けてきた料理人に「他のお店のラーメンが如何に旨いか」なんて話せません。
「俺は料理人だけど、ラーメンが好きなんだよ」なんて言う人ならいいんだけど、そう言いつつ気分は悪いもんだと思います。

手塚治虫先生が白土三平等の「劇画勢」に押されて、過去の人にされそうな時代の有名な話で、アシスタントが仕事場で劇画を絶賛していたのに傷ついていた(猛烈に怒った)という話があります。
それも、漫画に命を賭けていれば当然の事で、これが「プロ」というものでしょう。

そうは言っても、どんな漫画家も初めは「読者」で「漫画ファン」なので、その当時読んでいた漫画なら「1人の読者」として楽しく話せるものですけど、自分がデビューした後となるとそうもいかないんですよね。



プロとは何か?

プロというのは「ファン」ではありません。
この道で「送り手(プロ)」になろうと決めたなら、その時点で意識は「舞台上」にいるわけで、「観客席」にいてはいけないのです。
なので僕は「プロになる」と決めた時から、他の人の漫画は「お客」としては読んでません。

そんな意識を超えて、自分を「ただの読者」にしてくれるすごい漫画をどこかで求めてはいるけど、「人の漫画にばかり期待してるような漫画家」では、読者に失礼だと思うのです。

とはいえ、一応満足できる漫画も描いているし「文化としての漫画」というのに興味があるので、今回みたいな漫画分析も本当は楽しいのです。
こういう時は「漫画家 山田玲司」ではなく「文化人類学者 山田玲司」になってますからね。



「引き裂かれていく友達の絆」

今回の放送は「うしおととら」の分析回で、そこから見えてくる「少年漫画全体」の本質に迫ろうという企画でした。

「うしとらはBLだ」とか、放送で言ってましたけど、この漫画は「本当に俺を信じてくれるのか?」という「絆(愛)の確認漫画」だと思います。

95年にバブル崩壊(それまでの日本崩壊)があって、それまでの「みんなが仲間」という時代が終わります。
そして「ワンピース」に代表される「自分の選んだ仲間」と「どこか別の場所」を求める時代になり、その後には「誰が味方か敵かわからない」バトルロワイヤルの時代になっていくわけです。

引いた目線で時代を見てみると、うしとらの時期は「無条件の友達関係が引き裂かれていく」まさにその時期だった事がわかります。

こうやって漫画と時代を検証していくと「売れた漫画」というものが冷静に見えてきます。
そしてそれは時代が求めた「何か」が反映されたものです。
そういう漫画は大抵「若い漫画家が感じたそれまでにあった漫画にたいする違和感」から生まれるものです。

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「自分にしか描けない漫画」とは何か?

人が漫画を描き出す時は、大概「誰かのすごく面白い漫画」を読んだ所から始まります。
そして「自分も描いてみたい」と、ペンを取るわけですが、自分の好きな漫画家そっくりというわけでは通用しません。
自分が描く以上「自分にしか描けないもの」がないと、誰も必要とはしてくれないからです。

そして「この漫画家の漫画は好きだけど、ここには違和感を感じるから自分ならこうするな」とかいう意識が入ってきて「オリジナルなもの」が生まれてくるのです。

いつまでも読者(ファン)意識で観客席にいたら「自分の漫画」は描けません。
僕の所にも昔「毎週ジャンプの漫画を批判しているアシスタント」がいましたけど、批判するなら「自分の漫画」で「私ならこう描く」と、作品にするべきです。

こうして「自分なら」の要素が「新しい世代の漫画」を生んでいくわけです。


しかし「それ」が「売れるかどうか?」はまた別の話なのです。



「いいもの」は売れるか?