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希蝶さん のコメント

遅くなりましたが、配信、有難うございます。
今回は自分も忙しいので、あまり記すことはないです。
よしりん企画は、仕事をたくさんかかへて、なほかつ次の道場、生放送とのことですが、大丈夫なのでせうか。

1. ゴーマニズム宣言・第268回「アカデミー賞に見るアメリカの理念の復元」
 アメリカ合衆国も、当初から当局への批判精神に満ちあふれてゐたわけではなく、レッド・パージといはれた共産主義への過剰な弾圧を経てきてゐる、といふ事実を忘れてはならない、と思ひます。バーブラ・ストライザンド主演の作品、「追憶」(日本ではネスカフェのCM歌で有名でしたが)が確かその時代の恋愛をゑがいたものでしたし、「紳士協定」(薬師丸ひろ子の映画ではない)といふ、ユダヤ人差別を描写した作品をとった監督も、レッド・パージで仲間の、共産主義の疑ひのある人を告発させられた、といひます。映画ではないですが、ダシール・ハメットもレッド・パージの被害を受けたと聞きます。
 確かに当時は冷たいカーテンの引かれた時代に突入しつつもあったので、政府としても必要以上に用心深くなり、神経質になってしまった、といふことはあるのでせう。しかし、思想弾圧は決してあってはならないことですし、アメリカもかうした体験の中で文化を発展させてきたのだから、日本だって、権力におもねってゐるだけではなく、批判精神に滿ちた優れた作品を生み出せる土壌はある、と私は思ひます。

 あと、あんまり関係ないけれども、なぜ「シェイプ・オブ・ウォーター」なのでせうか。「水の形」としてはまづかったのでせうか。確かに外国語には「セレンディピティー」みたいに訳しづらい言葉もありますが、それでも、翻訳して、テーマを日本人全般にわかりやすくする使命が、興業をする側にも求められてゐるのではないのでせうか。かういふところからも、「文化の成熟」をはかることができると思ひます。

2. 泉美木蘭のトンデモ見聞録・第72回「森友文書改竄、“忖度”でなく“命令”を問え」
 正直、ここまで来て、なぜこの政権をかばふ人たちがゐるのか、理解に苦しみます。改憲が遠のくのはかなしいことですが、まづはこの政府に責任をとらせることが肝要か、と思ひます。もうこれ以上、書きたくないですね。あんまりにもいろいろ言はれすぎましたから。
 あべあきゑは、後世、どのやうに評されるのでせうか。日本のアグリッピナ?平成末の日野富子?否、どちらも自身の息子の教育もしようとしてゐるので、まだましなのかも知れないです。東ローマのテオドラはユスティニアヌスをむしろ助けた方で、賢妻だったわけですし。
 それにしても、他人の考へを「忖度」って、超能力か何かなのでせうか。それとも、シャーロック・ホームズ?私たちは社会に出ると、上の人の意向を察知しないと、社会人失格みたいに言はれつづけて、神経質になりすぎてゐるのではないでせうか。
 自殺者がまた出た、といふのが気の毒でならないです。世の中には告訴を取り下げて欲しいと女性をあやめる愚か者もゐるさうで、どうしてつまらないことばかりするやからが闊歩してゐるのでせうか。人間は兄弟だ、といふCMがはやった時代がありましたが、一歩下がった、距離のあるところから物事を見てみて、冷静に判断することも必要なんだと思ひます。そして、言葉で論理的に説明する、といふ習慣ができて欲しいです。さうすることで、文化は成熟するのだと思ひます。

 といふことで、何だかテーマを完全に把握できたかどうか分かりませんが、次回も期待します。次の道場も応募者が殺到して、成功して欲しいです。
No.178
81ヶ月前
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(号外 2018.3.13発行) 【目次】 1. ゴーマニズム宣言・第268回「アカデミー賞に見るアメリカの理念の復元」 2. 泉美木蘭のトンデモ見聞録・第72回「森友文書改竄、“忖度”でなく“命令”を問え」 第268回「アカデミー賞に見るアメリカの理念の復元」  今年のアカデミー賞は、作品賞・監督賞など4部門で 『シェイプ・オブ・ウォーター』 が受賞した。  これまでアカデミー賞といえば、「なんで?」と思うような作品が受賞してポカーンとすることが多かった。  例えば昨年の『ムーンライト』にしても、映画そのものに対する評価はともかく、作品賞にしてはあまりにも小粒すぎて、黒人のゲイというマイノリティーを描いた作品だったから、ゲタを履かせて受賞させたのではないかという「偽善」を感じざるを得なかった。  だが、今年の『シェイプ・オブ・ウォーター』は全く納得のいく結果だった。 『シェイプ・オブ・ウォーター』 もマイノリティーの映画で、主人公は唖の女性清掃員だし、周りの人間たちもゲイの画家とか黒人の同僚とか、一見、善意で描かれた映画のような作りにはなっている。  しかしそれが偽善に感じないのは、作品のオリジナリティーが突出していて、ある意味、偽善を凌駕する不気味さに満ち満ちていたからだ。  マイノリティーの女性が、アマゾンの奥地から運ばれてきた半魚人を助けようとする。もちろん、半魚人もマイノリティーの極致としての存在だ。  主人公と半魚人は、言葉は通じないが、心が通い合っている。  ところが心の通わない残忍な白人が、半魚人を軍事目的のために解剖しようとする。  白人は半魚人を人間と思っていないが、唖の女性清掃員にとっては半魚人の方がよっぽど人間的で、言葉が通わないけれども、心が通い合えるのだ。  ……と、こう書くとすごく陳腐な話のようになってしまうのだが、これがあのメキシコからの移民であるギレルモ・デル・トロ監督の映像のスタイルで描かれることで、怪物映画の趣も感じさせるものになっていた。  主演女優のサリー・ホーキンスも、全然美人じゃなく、本当に便所掃除のおばさんみたいなリアルな雰囲気のあるところが見事で、なんと半魚人とセックスするというのはあまりにも悪趣味で、おぞましいほどである。  一方、主演女優賞を受賞した 『スリー・ビルボード』 のフランシス・マクドーマンドが演じた主人公も、全然美人じゃない逞しい生活感のある女だった。  ところがこの女が、周囲の住民たちから嫌がらせを受けても全く意に介せずに堂々と権力と戦っていき、その姿が実に痛快なのだ。 『スリー・ビルボード』は田舎町で孤立していく女性が主人公であり、これもマイノリティーの映画だといえる。  こうして見ると、昨年はマイノリティーの映画が次々に公開され、しかもそれがおそるべき傑作ぞろいだったことに気付く。 『グレイテスト・ショーマン』 は、フリークスばかりを集めてサーカスを始める興行師の話で、これもマイノリティーの団結を描いている。  偽善になりかねないテーマを作品化して、それがしっかり独特の世界とエンターテインメントを兼ね備えつつ、非常に芸術性の高い映画に仕上がっており、すごく楽しかった。 『デトロイト』 も、白人の黒人に対する差別心と、その裏返しの恐怖心によって起こされた、警官による暴行殺人事件を描いており、まさにマイノリティーの問題を真正面から扱った映画である。 『グレイテスト・ショーマン』は挿入歌が歌曲賞にノミネートされただけで受賞を逃し、『デトロイト』に至ってはノミネートすら一切なかった。この結果、特に『グレイテスト・ショーマン』については、わしは不満である。 『ゲット・アウト』 もまた黒人に対する恐るべき白人の差別心を、恐怖映画の域まで高めてリアリティーを崩さない見事な作品だった。  この1年間、映画の醍醐味を満喫できる傑作が続出し、しかもそれがなんとマイノリティーの映画ばかりで、アカデミー作品賞に『シェイプ・オブ・ウォーター』が選ばれるという結果は、まるでドラマを見ているようで、あまりにも劇的だった。  トランプ政権を生み出したレイシズムの横行が、これらの映画が作られるきっかけとなったのだろうが、それが昨年の「#MeToo」運動の盛り上がりを経て、こういう形で結実したわけである。  アカデミー賞授賞式のスピーチでは、『シェイプ・オブ・ウォーター』のギレルモ・デル・トロ監督をはじめ、受賞者やプレゼンターが、女性や移民、性的マイノリティーの問題について堂々と政治的な主張を行い、それ自体がまたトランプ政権に対する批判になっていた。   ところが、授賞式の視聴率は前年比で2割も落ちたという。政治的メッセージを前面に出されると、説教されているような気がするとして敬遠する視聴者が多かったのだそうだ。  どうやらアメリカでも、政治的メッセージは大衆には嫌われる傾向にあるようだ。 
小林よしのりライジング
常識を見失い、堕落し劣化した日本の言論状況に闘いを挑む!『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりのブログマガジン。小林よしのりが注目する時事問題を通じて、誰も考えつかない視点から物事の本質に斬り込む「ゴーマニズム宣言」と作家・泉美木蘭さんが圧倒的な分析力と調査能力を駆使する「泉美木蘭のトンデモ見聞録」で、マスメディアが決して報じない真実が見えてくる! さらには『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成させる大喜利企画「しゃべらせてクリ!」、硬軟問わず疑問・質問に答える「Q&Aコーナー」と読者参加企画も充実。毎週読み応え十分でお届けします!