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hiroさん のコメント

アッキード事件、怒りが収まりません。
安倍昭恵氏の証人喚問を求めていかなければなりませんが、
政府は佐川の答弁自体は正当、として虚偽答弁だと認めない始末なので、世論から盛り上げていかなくてはなりません。

NHKは9時のニュースでも前川氏の件取り上げていました。
もくれん師範のおっしゃるとおり潮目が変わってきたのかもしれません。
マスコミと言えば「辛坊治郎」はやはり自説にこだわるだけの人物でした。
文書の改ざんを認めた後一度だけ「大臣の辞任までは行く」と言って、今まで言っていたことをちゃんと言ったもんね~とした後は大臣辞任のことは言っていません。
「少なくとも大臣は辞める、アベちゃんも辞めると思うな」と言っていたのが「麻生大臣がどう責任をとるかが問われると思います」とトーンダウン。
実際麻生大臣が辞めることになるまでは大臣辞任の話はしないと思われます。

役人は「自己保身」が一番ですので上の指示なく文書を書き換えるなどあり得ません。
逆に誰かに言われて、組織ぐるみでやった行動は、個人の責任になりませんので、違法行為であっても平気でやるという印象です。
(それで責任が問われるのは今回のように影響のある外部から見られたときだけです)
自殺された職員の方や前川前次官のような人の方が公務員としては珍しいというか、私が日々接している人たちとは違います。
ではどこからの指示かというと普段からともに仕事をしている間柄だと断りやすいので「人を挟みます」。
言ってきている人に断っても言ってきている人が決めているわけではないので解決しません。
言われたことをしなかったときに待っているのは左遷です。
首相に近い人物から実際書き換える人物まで、佐川を挟んでいるかどうかは分かりませんし、少なくとも2人は挟んでいると思います。
もしかすると首相に近い人物→別の政治家→本省財務官僚→佐川→部下→書き換えさせられた人物ぐらい挟んでいるかもしれません。
そして誰からの指示かは言わないので、佐川を証人喚問して、佐川が知っていることを洗いざらい答えたとしても首相周辺にはたどり着かないかもしれません。
佐川に指示した人物もやったとは認めないでしょう。
さらに洗いざらい言っても発言内容によっては籠池氏のような扱いを受ける恐れがあります。
退職したとはいえまともにしゃべるとも思えません。
佐川を証人喚問しても真相究明までは遠いと思います。

偽証していた佐川に証言させただけで良いのか?
ということを軸に各野党に安倍昭恵氏の証人喚問を求めていくようメールしようと思います。
No.74
81ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
(号外 2018.3.13発行) 【目次】 1. ゴーマニズム宣言・第268回「アカデミー賞に見るアメリカの理念の復元」 2. 泉美木蘭のトンデモ見聞録・第72回「森友文書改竄、“忖度”でなく“命令”を問え」 第268回「アカデミー賞に見るアメリカの理念の復元」  今年のアカデミー賞は、作品賞・監督賞など4部門で 『シェイプ・オブ・ウォーター』 が受賞した。  これまでアカデミー賞といえば、「なんで?」と思うような作品が受賞してポカーンとすることが多かった。  例えば昨年の『ムーンライト』にしても、映画そのものに対する評価はともかく、作品賞にしてはあまりにも小粒すぎて、黒人のゲイというマイノリティーを描いた作品だったから、ゲタを履かせて受賞させたのではないかという「偽善」を感じざるを得なかった。  だが、今年の『シェイプ・オブ・ウォーター』は全く納得のいく結果だった。 『シェイプ・オブ・ウォーター』 もマイノリティーの映画で、主人公は唖の女性清掃員だし、周りの人間たちもゲイの画家とか黒人の同僚とか、一見、善意で描かれた映画のような作りにはなっている。  しかしそれが偽善に感じないのは、作品のオリジナリティーが突出していて、ある意味、偽善を凌駕する不気味さに満ち満ちていたからだ。  マイノリティーの女性が、アマゾンの奥地から運ばれてきた半魚人を助けようとする。もちろん、半魚人もマイノリティーの極致としての存在だ。  主人公と半魚人は、言葉は通じないが、心が通い合っている。  ところが心の通わない残忍な白人が、半魚人を軍事目的のために解剖しようとする。  白人は半魚人を人間と思っていないが、唖の女性清掃員にとっては半魚人の方がよっぽど人間的で、言葉が通わないけれども、心が通い合えるのだ。  ……と、こう書くとすごく陳腐な話のようになってしまうのだが、これがあのメキシコからの移民であるギレルモ・デル・トロ監督の映像のスタイルで描かれることで、怪物映画の趣も感じさせるものになっていた。  主演女優のサリー・ホーキンスも、全然美人じゃなく、本当に便所掃除のおばさんみたいなリアルな雰囲気のあるところが見事で、なんと半魚人とセックスするというのはあまりにも悪趣味で、おぞましいほどである。  一方、主演女優賞を受賞した 『スリー・ビルボード』 のフランシス・マクドーマンドが演じた主人公も、全然美人じゃない逞しい生活感のある女だった。  ところがこの女が、周囲の住民たちから嫌がらせを受けても全く意に介せずに堂々と権力と戦っていき、その姿が実に痛快なのだ。 『スリー・ビルボード』は田舎町で孤立していく女性が主人公であり、これもマイノリティーの映画だといえる。  こうして見ると、昨年はマイノリティーの映画が次々に公開され、しかもそれがおそるべき傑作ぞろいだったことに気付く。 『グレイテスト・ショーマン』 は、フリークスばかりを集めてサーカスを始める興行師の話で、これもマイノリティーの団結を描いている。  偽善になりかねないテーマを作品化して、それがしっかり独特の世界とエンターテインメントを兼ね備えつつ、非常に芸術性の高い映画に仕上がっており、すごく楽しかった。 『デトロイト』 も、白人の黒人に対する差別心と、その裏返しの恐怖心によって起こされた、警官による暴行殺人事件を描いており、まさにマイノリティーの問題を真正面から扱った映画である。 『グレイテスト・ショーマン』は挿入歌が歌曲賞にノミネートされただけで受賞を逃し、『デトロイト』に至ってはノミネートすら一切なかった。この結果、特に『グレイテスト・ショーマン』については、わしは不満である。 『ゲット・アウト』 もまた黒人に対する恐るべき白人の差別心を、恐怖映画の域まで高めてリアリティーを崩さない見事な作品だった。  この1年間、映画の醍醐味を満喫できる傑作が続出し、しかもそれがなんとマイノリティーの映画ばかりで、アカデミー作品賞に『シェイプ・オブ・ウォーター』が選ばれるという結果は、まるでドラマを見ているようで、あまりにも劇的だった。  トランプ政権を生み出したレイシズムの横行が、これらの映画が作られるきっかけとなったのだろうが、それが昨年の「#MeToo」運動の盛り上がりを経て、こういう形で結実したわけである。  アカデミー賞授賞式のスピーチでは、『シェイプ・オブ・ウォーター』のギレルモ・デル・トロ監督をはじめ、受賞者やプレゼンターが、女性や移民、性的マイノリティーの問題について堂々と政治的な主張を行い、それ自体がまたトランプ政権に対する批判になっていた。   ところが、授賞式の視聴率は前年比で2割も落ちたという。政治的メッセージを前面に出されると、説教されているような気がするとして敬遠する視聴者が多かったのだそうだ。  どうやらアメリカでも、政治的メッセージは大衆には嫌われる傾向にあるようだ。 
小林よしのりライジング
常識を見失い、堕落し劣化した日本の言論状況に闘いを挑む!『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりのブログマガジン。小林よしのりが注目する時事問題を通じて、誰も考えつかない視点から物事の本質に斬り込む「ゴーマニズム宣言」と作家・泉美木蘭さんが圧倒的な分析力と調査能力を駆使する「泉美木蘭のトンデモ見聞録」で、マスメディアが決して報じない真実が見えてくる! さらには『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成させる大喜利企画「しゃべらせてクリ!」、硬軟問わず疑問・質問に答える「Q&Aコーナー」と読者参加企画も充実。毎週読み応え十分でお届けします!