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M.Oさん のコメント

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M.O
配信ありがとうございます。
今週の記事とは少しずれる内容ですが、マスク着用に関して私が直面した状況について書かせていただきます。

職場ではマスク着用が義務づけられているのですが(バックヤードなど、条件付きでマスクを外しても良い状況は定められています)、どうもマスクが原因で心身不調に陥ったようです。
熱中症ではなく、息苦しさで頭の働きが鈍くなったり、圧迫感で過度なストレスを感じたりといった状況です。
速やかに上司に報告の上、休みをもらって会社のメンタルヘルスの相談窓口にて電話相談。
お話を聞いていただいた保健師さんによれば、圧迫感に加えて環境の激変によるストレス、マスクに対する拒否反応、そして何よりも「今まで普通に出来ていたことが出来なくなった」ことによるショックが主な要因ではないか、とのことでした。

最後に挙げた要因について少しご説明します。
私の業務の大半は接客なのですが、マスク着用のために「出来ること」が限られてしまいました。
そのため、自粛以前の接客スキルがほぼリセットされていまい、思うように客を楽しませることが出来なくなってしまいました。
それまでの接客の評価は一定水準に達しており、もっとレベルアップできると期待されてもいたため、そのレベルが失われたショックは自分としては相当に大きかったようです。
ある程度のキャリアを積んでいるため、「今の自分は求められる水準にはない」と客観視できてしまい、だからといって「出来ていた時の感覚」が容易に取り戻せるわけでもなく、そのまま仕事を続けざるを得ないというのは「辛くて情けない」以外の何物でもありませんでした。

相談中にこの話にさしかかった時、堰が切れたように涙が溢れてきて嗚咽しました。
47のオッサンが大泣きしました。
悔しさ、喪失感、憤り――様々な感情がないまぜになったのだろうと思います。
保健師さんの「今は思い切り泣きましょう」という言葉に救われました。
今まで気を張っていたのが、ここで一気に緊張の糸が切れたのでしょう。
泣くと少しは気持ちが落ち着きましたが、まだしばらくは涙ぐんでいる状態です。
来週に設けていただいた面談の場でもまた泣くかもしれません。
幸い、日常生活では不調が見られないため、医療機関を受診する必要は今のところはないだろう、とのことです。

今回、自身がこうした状況に陥ったことで、マスク着用のリスクは熱中症だけではないのだ、ということを認識することが出来ました。
熱中症はこまめな水分塩分補給という物理的な対策で予防可能ということを考えると、こうしたメンタルな影響の方がより深刻かもしれません。
私は鬱病を経験しているため、メンタルな不調を即座に感じ取って早めの対策を取ることができたのが不幸中の幸いではありますが、無自覚に辛抱を続けている人は意外と多いのではないでしょうか。
特に発育段階の子供たちが心配でなりません。
不調を不調と認識できなかったり、認識できてもうまく伝えられない、あるいは周囲を忖度して口をつぐんでしまうという状況は容易に想像がつきます。
現時点では不調とはいえなくても、後々に何らかのトラウマとなる可能性もあるでしょう。
この点、神経科や心療内科の医師の見解を聞いてみたいところです。

また、私のようなまだまだ到らないサービス業のはしくれがこんなことを言うのはおこがましいのですが、マスクやソーシャルディスタンスについて安易に「今は仕方がない」と言ってくれるな、と思います。
サービス業のみならず、生産者や職人、表現者も同様だと思うのですが、そもそもフルスペックで客や鑑賞者を楽しませる技術を必死で磨いてきた人間にとっては、現状下での仕事は不本意以外の何物でもありません。
その気持ちを汲み取って「今は仕方がないけど、いつの日か思い切り楽しませて下さいね」というニュアンスを伝えていただければ涙が出るほど嬉しいですが、「現状でも目的は充分に果たせているでしょう」「フェーズが変わったんだからプロならばそれに対応すべきでしょう」というようなコメント(テレビを見ているとそういうニュアンスが伝わってくることがある)は、それまでの我々の仕事を完全に否定されたような思いになります。
いとも簡単に「飲食店はこれからテイクアウトやデリバリーを拡充すべし」と言ってのけるような態度に似ています。
私のような下っ端でも仕事に関してはちっぽけな尊厳のようなものを抱いていて、それがあるからこそしんどくても仕事にやり甲斐を感じることが出来ていました。
その尊厳が失われてしまうと、オッサンでも大泣きしてしまうし、一流料理人にもなると自ら命を絶ってしまう事態になるのかな、と。
まとまりを欠いた内容になったかもしれませんが、皆様の参考になれば幸いです。
No.129
52ヶ月前
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第364号 2020.7.14発行 「小林よしのりライジング」 『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりが、Webマガジンを通して新たな表現に挑戦します。 毎週、気になった時事問題を取り上げる「ゴーマニズム宣言」、『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成してもらう読者参加の爆笑企画「しゃべらせてクリ!」、著名なる言論人の方々が出版なさった、きちんとした書籍を読みましょう!「御意見拝聴・よいしょでいこう!」、読者との「Q&Aコーナー」、作家・泉美木蘭さんが現代社会を鋭く分析「トンデモ見聞録」や小説「わたくしのひとたち」、漫画家キャリア30年以上で描いてきた膨大な作品群を一作品ごと紹介する「よしりん漫画宝庫」等々、盛り沢山でお送りします。(毎週火曜日発行) 【今週のお知らせ】 ※「ゴーマニズム宣言」…日本はハンセン病に対して、長年にわたって絶対隔離政策を採ってきた。ハンセン病が完治する病気となっても、治った「元患者」が施設の外に出ることは許されなかったし、死んでも遺骨が故郷に戻されることはなく、全国友園納骨堂には今も里帰りのできない二万有余の遺骨が眠っている。このようなハンセン病政策をリードしたのが、光田健輔という医師である。現在の価値観で過去を裁いてはいけないが、現代の人間は光田健輔を非難してはいけないのだろうか?「彼なりの善意と正義で、生涯を賭けて治療・研究にあたったのだ」と擁護すべきなのだろうか? ※泉美木蘭の「トンデモ見聞録」…新型コロナウイルス治療薬として期待されていた「アビガン」について、7月10日、臨床研究を行っていた藤田医科大学などの研究グループから「明確な有効性は確認できなかった」という結果が発表された。メディアは、4月以降大変な「アビガン・ムーブメント」を巻き起こしたが、まったく現実とはかみ合っていない空回りだった。だがそもそも、認可もされていない薬物について、日本中が大盛り上がりすること自体が異常でもある。なぜこんなことになったのか? ※よしりんが読者からの質問に直接回答「Q&Aコーナー」!どうやって新しい作品にアンテナを張っているの?電車の中で行儀の悪い奴に遭遇、注意できなかった自分は弱い?医療機関の多くが赤字経営…それが原因で医療崩壊してしまうのでは?水害対策は人為的に出来る?40代を迎える自分に喝を入れて!大阪維新との蜜月ぶりを見ると信用できない…国民民主党は本当に大丈夫?…等々、よしりんの回答や如何に!? 【今週の目次】 1. ゴーマニズム宣言・第380回「善意と正義のはずの残酷」 2. しゃべらせてクリ!・第321回「夢か? 幻か? ぽっくん11人いるぶぁ~い!の巻〈後編〉」 3. 泉美木蘭のトンデモ見聞録・第174回「アビガン、そのサイエンスなき実態」 4. Q&Aコーナー 5. 新刊案内&メディア情報(連載、インタビューなど) 6. 編集後記 第380回「善意と正義のはずの残酷」  たいていの人は、自分は正しいことをしていると思って行動しているはずだ。  中には正義感と使命感を抱き、信念をもって何事かを為す人もいる。  しかし、それが完全に誤った結果をもたらすこともある。  そんな時、 「結果を見て非難するのはたやすいが、善意に基づく行為だったことまで否定すべきではない」 と擁護するのは、正しいことだろうか?  日本はハンセン病に対して、長年にわたって 絶対隔離政策 を採ってきた。  戦前は警察が患者を管轄しており、病院でハンセン病と判明した者がいるとの報が入ると、家に警官がやってきて、家族全員に検査を受けさせる。  そしてハンセン病と診断された者は、鉄格子と金網こそ張っていないものの囚人護送車と同じ車に乗せられ、外から鍵をかけられて隔離施設に送られる。  病気が治るまでと思って出かけたら、それが家族との永遠の別れだったという者も少なくない。  施設に着くと施設内の服に着替えさせられ、所持金を施設内だけで使える独自の通貨と交換させられる。脱走を防ぐためである。  施設には「監房」が用意され、園長は命令に逆らう患者を、裁判を経ることなく自分の判断で入れることができた。  各施設によって差異はあるが、総じて衣食住はすべて悪く、個室もなく、ある施設では12畳半に成人4人が生活し、夫婦寮ではカーテンも仕切りも何もない12畳半に夫婦4組が入れられていたという。  入所者同士で夫婦になるケースは多かったが、結婚を認める代わりに男は断種、その前に女が妊娠していたら堕胎するというのが絶対条件だった。  脱走者は後を絶たなかったが、外に出たからといって普通の生活に戻れるわけもなかった。  施設には「煙突から退園」「洋館ゆき」という言葉があった。 「煙突から退園」 は、火葬されてようやく退園できるという意味。 「洋館ゆき」 は、火葬場や解剖室が洋館で立派な造りだったので、死ぬことを「洋館に行ける」と自ら揶揄して言ったのだという。  ハンセン病患者はその家族も差別にさらされ、ハンセン病患者が兄弟姉妹にいることで、縁談が破談になったなどという話は枚挙にいとまがなかった。  施設内では、家族に迷惑が掛からないように偽名を名乗ることが推奨され、ほとんどの患者が、本当の名前をも奪われた。  ハンセン病が完治する病気となっても、治った「元患者」が施設の外に出ることは許されなかった。たとえ出たとしても、外の世界で生きていく方法はもうなかった。  そして、死んでも遺骨が故郷に戻されることはなく、全国友園納骨堂には今も里帰りのできない二万有余の遺骨が眠っている。  このようなハンセン病政策をリードしたのが、 光田健輔 という医師である。   そもそも当初、日本政府は徹底隔離ではなく、「浮浪らい」だけを収容・隔離の対象とする方針だった。   だが光田は「全患者隔離」を信念としていた。 そして、それが予算的に厳しいということで、まずは浮浪らいの隔離で妥協して実績作りをする一方、政界・財界に人脈を作って政策決定への影響力を強め、 さらにハンセン病は悪魔の伝染病だとの宣伝で世論を喚起した。  当初日本でハンセン病を専門に研究していた医師は光田ひとりしか存在せず、その後につくられた日本癩学会の中心は全て光田の弟子が占め、その癩学会が医学界全体を動かした。そして光田も自ら保健衛生調査会に入って国策づくりに加わり、ついには全患者隔離政策を実現したのだった。  今から見たら、その判断は完全に誤りだった。 だが光田はこれが正しいと信じて行い、「慈父の光田先生」「救癩の父」と呼ばれて神格化されたのである。  光田健輔はエリートの出ではない。高等小学校を出て、開業医の兄を手伝いながら私塾に通い、医師を目指して上京して軍医の家の住み込み書生をしながら勉強し、医術開業前期試験に合格。そのため後の伝記には「独学で医学を学んだ」と書かれているほどだ。  その後、私立済生学舎(日本医科大学の前身)に入学し、開業後期試験に合格。軍医を目指すが視力不足で断念し、病理学者を目指して東大医学部選科に学ぶが、この時、 医学生が誰も触れたがらなかったハンセン病者の死体を、光田だけが解剖に当たった。  このエピソードは「救癩の父」の原点の美談として語られることが多いが、 実は光田はかなりの「解剖好き」で、ハンセン病者だけで3000体の解剖をしたという前代未聞の記録を持ち、 東大を出て東京市養育院(困窮者、病者、孤児、老人、障害者の保護施設)に勤める医療官僚になってからも、養育院で死んだ者の死体をろうそくの明かりで解剖していたという話もあるほどだから、それが「美談」だったのかどうかは怪しい。   光田は養育院時代にらい菌と結核菌が同一のリンパ節に共存することをつきとめて初の論文を執筆、以後、ハンセン病の研究に没頭する。  だが、光田はハンセン病の権威になってからも生涯大学教授にならず、医学博士号すら取らなかった。これを謙虚な人柄の表れだと言う人もいる。 
小林よしのりライジング
常識を見失い、堕落し劣化した日本の言論状況に闘いを挑む!『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりのブログマガジン。小林よしのりが注目する時事問題を通じて、誰も考えつかない視点から物事の本質に斬り込む「ゴーマニズム宣言」と作家・泉美木蘭さんが圧倒的な分析力と調査能力を駆使する「泉美木蘭のトンデモ見聞録」で、マスメディアが決して報じない真実が見えてくる! さらには『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成させる大喜利企画「しゃべらせてクリ!」、硬軟問わず疑問・質問に答える「Q&Aコーナー」と読者参加企画も充実。毎週読み応え十分でお届けします!