Dr.Uさん のコメント
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第374号 2020.10.6発行 「小林よしのりライジング」
『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりが、Webマガジンを通して新たな表現に挑戦します。
毎週、気になった時事問題を取り上げる「ゴーマニズム宣言」、『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成してもらう読者参加の爆笑企画「しゃべらせてクリ!」、著名なる言論人の方々が出版なさった、きちんとした書籍を読みましょう!「御意見拝聴・よいしょでいこう!」、読者との「Q&Aコーナー」、作家・泉美木蘭さんが現代社会を鋭く分析「トンデモ見聞録」や小説「わたくしのひとたち」、漫画家キャリア30年以上で描いてきた膨大な作品群を一作品ごと紹介する「よしりん漫画宝庫」等々、盛り沢山でお送りします。(毎週火曜日発行)
【今週のお知らせ】
※「ゴーマニズム宣言」…玉川徹(テレビ朝日報道局員)は普段「リベラル」を自称している。ところがコロナ騒動が起きてからの玉川は、政府は早く緊急事態宣言を出すべきだと発言し、権力が個人の自由を制限するように促したり、全国民にPCR検査を受けさせるべきだと、個人に一定の行動を強制するような主張をしたりするようになった。リベラリズムは「自由主義」と訳される。その訳は正確ではないとも指摘されているが、少なくとも日本では、個人の自由を第一の価値とする者がリベラルを標榜してきたはずだ。いったい玉川のどこがリベラルなのか?
※泉美木蘭の「トンデモ見聞録」…YouTubeで公開されていた『よしりん・もくれんのオドレら正気か?』冒頭30分間の無料動画のひとつが削除された。2020年6月20日放送の、第45回『勝利・第一弾!「抗体保有率0.1%」の衝撃』である。現在、YouTubeを利用するにあたって遵守しなければならないガイドラインを見ると、「暴力的または危険なコンテンツ」のひとつとして、「COVID-19(新型コロナウイルス感染症)の医学的に誤った情報」という項目が追加されている。今、YouTube動画削除の実態はどうなっているのだろうか?
※よしりんが読者からの質問に直接回答「Q&Aコーナー」!コロナ脳の人達はなぜ旧型コロナの時には怖がらなかったの?先生の生活上、消費行動や感覚で何か変化はある?歴史上一番の犯罪者は誰?自分が生み出した造語が流行った時はどんな気持ちになるの?最近、芸能人の自殺が多いのは「コロナ禍」が影響している?例年に比べ、インフルエンザの罹患者が相当少ない理由は?中曽根元首相の合同葬に9600万円も使う意義はある?…等々、よしりんの回答や如何に!?
【今週の目次】
1. ゴーマニズム宣言・第391回「自由がなくてもいい玉川徹」
2. しゃべらせてクリ!・第331回「ぽっくんパニック!恐怖の人食いワニ襲来ぶぁ~い!の巻〈後編〉」
3. 泉美木蘭のトンデモ見聞録・第185回「正気でないYouTubeに動画を削除された件」
4. Q&Aコーナー
5. 新刊案内&メディア情報(連載、インタビューなど)
6. 編集後記
第391回「自由がなくてもいい玉川徹」 日本には、自称保守と自称リベラルはいても、本物の保守と本物のリベラルはほとんどいない。
このことは前々から何度も言ってきたが、それにしても、あまりにもひどい思想崩壊状態を目にしたので、今回はそれを記録しておく。
玉川徹(テレビ朝日報道局員)は普段「リベラル」を自称している。
ところがコロナ騒動が起きてからの玉川は、政府は早く緊急事態宣言を出すべきだと発言し、権力が個人の自由を制限するように促したり、全国民にPCR検査を受けさせるべきだと、個人に一定の行動を強制するような主張をしたりするようになった。
リベラリズムは「自由主義」と訳される。その訳は正確ではないとも指摘されているが、少なくとも日本では、個人の自由を第一の価値とする者がリベラルを標榜してきたはずだ。だからわしは、いったい玉川のどこがリベラルなんだと思いながら見ていた。
そんな中、9月18日放送の「羽鳥慎一モーニングショー」での玉川の発言(9時17分頃)には、心底呆れ果てた。ほとんど毎日のように呆れてはいるのだが、さすがにこれは特に度が外れていた。
今回はその発言を紹介して分析しよう。長めの発言なので、少しずつ区切りながらツッコミを入れていくことにする。
なお、話し言葉のままだと読みづらいので最小限の語句の整理をしているが、その論旨はもちろん発言そのままである。
その時の話題は対立を深める米中関係についてだったが、その中で玉川はこう言った。
アメリカからすると、読み誤ってたところがあるんです、中国に対して。
中国はだんだん豊かになってくれば、やっぱりみんなが自由になるだろうと、自由を求めると、自由主義国になるんじゃないかと思っていたんですね、アメリカは。
ところが中国型の社会主義は、自由がなくてもみんな豊かになってるから、これでOKなんですよ。
アメリカが中国の動きを読み誤っていたという分析は間違いではないが、問題は玉川自身が、この現象をどう評価しているかである。
本当にリベラルを自認して、自由が一番の価値だと思っている人間なら、 たとえ中国が豊かになっていたとしても、自由がないことは問題だという言葉をひとことくらいは差しはさむはずで、 それがリベラルとして最低限の態度というものだろう。
ところが玉川の発言にはそのような保留が一切ない。あまりにもあっけらかんと 「中国型の社会主義は、自由がなくてもみんな豊かになってるから、これでOKなんですよ」 と言い切ってしまっている。
つまり玉川自身も、明らかに 「自由がなくても、豊かならOK」 という価値観なのである!!
そして玉川は続けて言う。
さらにこれからAIがものすごく大事なんです。AIにいろんなものを決めてもらう人生って嫌だと思うじゃないですか、我々自由主義にしたら。
でもAIがかなり正しくなってしまったら、意外と職業だって、あなたはこうだからこの職業が向いてるよってAIに言われた、その職業をやってみたらやっぱりよかったねというのが、どんどん拡がってったら、わかんないですよ。
これまた、唖然とする発言だ。
コンピューターに自分の職業を決定してもらう人生なんて、完全にディストピアSFの世界で、いちいち説明するまでもなく、そんなのはまっぴらごめんだと即座に思うのが常識だと思っていた。
ところが玉川は、それは単に自由主義国の固定観念にすぎないと思っていて、AIに適性を判断してもらって、間違いのない職業につくことができれば、人生それで「よかったね」ということになるし、それが拡がっていけばそんな考えが一般認識になるかもしれないと思っているのだ。
そりゃ自分の意志というものがなく、人生でやりたいことが何もない人ならそれでもいいのかもしれない。
だが、どうしても人生でやりたいことがあるという人はいる。
成功するか失敗するか、そんなことは度外視して、何かに挑みたい人がいる。
人間は往々にして「やりたいこと」と「できること」が異なるものだが、それでも自分の適性も才能も考えず、やりたいことをやって、失敗するのも人生だ。人生には失敗する権利だってあるのだ。
これがあなたに適した職業ですよとお仕着せられた、好きでもないけどうまくこなせる仕事をやっつけて無難にやり過ごした人生よりも、自分の好きなことに全力を賭けて失敗した人生の方が、はるかに本人にとっては充実していたということだってありうる。人の幸福感は、AIには計算できないのだ!
常識を見失い、堕落し劣化した日本の言論状況に闘いを挑む!『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりのブログマガジン。小林よしのりが注目する時事問題を通じて、誰も考えつかない視点から物事の本質に斬り込む「ゴーマニズム宣言」と作家・泉美木蘭さんが圧倒的な分析力と調査能力を駆使する「泉美木蘭のトンデモ見聞録」で、マスメディアが決して報じない真実が見えてくる! さらには『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成させる大喜利企画「しゃべらせてクリ!」、硬軟問わず疑問・質問に答える「Q&Aコーナー」と読者参加企画も充実。毎週読み応え十分でお届けします!
新型コロナではうんざりさせられるニュースが多いので、ひとつ「疫病」に関して、わたくしウサギ先生が、面白い小話をご紹介します。
皆様は京都で毎年7月に行われる「祇園祭」が、もともとは疫病を鎮めるために始められたお祭りであることを、ご存じだと思います。八坂神社のHPには、この祭りについて、次のような説明があります。
「今からおよそ1100年前の清和天皇の貞観11(869)年に、京洛に疫病が流行し、庶民の間に病人、死人が多数出ました。 そこで66本の矛を立て、洛中の男児が祇園社の神輿を神泉苑(中京区御池通大宮)におくり、悪疫を封じ込む御霊会をおこなったのがはじまりであると伝えられています。その後、祇園社の興隆とともに、"祇園御霊会"とよばれ、この名が略されて単に祇園会とよばれるようになりました。はじめのころは、疫病流行の時だけ不定期に行われていましたが、円融天皇の天禄元(970)年からは、毎年6月14日におこなわれるようになりました。」
ここに書いてありますように、祇園祭の始まりは、洛中の民衆が「神泉苑」というところで行ったお祭りです。面白いのは、この民衆のお祭りの内容です。この祭りは、疫病(インフルエンザだったろうと言われています)が起きてたくさんの人が死んだときに催されたものですから、当然、疫病を引き起こす悪霊みたいなものをやっつけるべく、皆が怖い顔をして、お経とか呪文とか唱えながら「疫病退散!」とやったと思うでしょう。確かに、そういうこともやりました。ところが! 実際は人びとは、それ以外に、とんでもないことをやっていたのです!
当時の『三代実録』という記録には、次のように書かれています。
「始自京畿。爰及外國。毎至夏天秋節。修御靈會。徃々不斷。或礼佛説經。或歌且舞。令童貫之子粧馳射。膂力之士袒裼相撲。騎射呈藝。走馬爭勝。倡優戯。遞相誇競。」
なんだか難しい漢字が並んでおりますが、ざっくり言いますと、疫病が起こった時、近畿のあたりの民衆が勝手に集まってきて、競馬をやったり、弓を射る遊びをしたり、歌ったり、踊ったり、あるいは相撲をとったりして、わいわいがやがや、歓声挙げて、おしあいへしあいしながら、マツリを楽しんだ、というのです。
当時の人だって、疫病が病人との接触で起こることくらい知っています。人との接触を避けたいと思うのが、普通です(実際に、貴族たちは人との接触を避けて家に閉じこもっていたようです)。それなのに民衆は、たくさんの死者が出てるのに、超「3密」のお祭り騒ぎ、馬鹿騒ぎです。なんでこんなことしたのでしょう?
ひょっとしたら、昔の人たちは、伝染病というものは結局は避けることができないもの、それならば、病気にかかる人はさっさとかかってしまって、さっさと「けりをつける」ほうが、最終的に共同体に与えるダメージは一番少なくて済む、ということを経験的に知っていたのかもしれません(あくまでも私の推測の範囲ですが)。
もし当時の人々が、現在の私たちの新型コロナ騒ぎを見ていたら、なんと言うでしょうね。「あんたら、何をうだうだとやってるんだい。疫病なんて、みんなでわっと騒いで、楽しんで、かかる人はさっさとかかってしまったほうが、早いんだよ! 病は気から。家でびくびく、じっとしてると、元気な人も病気になっちゃうよ!」 …うーん、確かに、家にこもってるとストレスがたまるし、免疫も弱っていきそうです。それなら昔の人たちのように、一気に皆で集まって、騒いで、楽しんで、それでも病気にかかる人はかかって、さっさと集団免疫を作った方が、よっぽどいいのではないのでしょうか(笑)。
以上、うさぎ先生の小話でした。
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