希蝶さん のコメント
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第408号 2021.8.24発行 「小林よしのりライジング」
『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりが、Webマガジンを通して新たな表現に挑戦します。
毎週、気になった時事問題を取り上げる「ゴーマニズム宣言」、『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成してもらう読者参加の爆笑企画「しゃべらせてクリ!」、著名なる言論人の方々が出版なさった、きちんとした書籍を読みましょう!「御意見拝聴・よいしょでいこう!」、読者との「Q&Aコーナー」、作家・泉美木蘭さんが現代社会を鋭く分析「トンデモ見聞録」や小説「わたくしのひとたち」、漫画家キャリア30年以上で描いてきた膨大な作品群を一作品ごと紹介する「よしりん漫画宝庫」等々、盛り沢山でお送りします。(毎週火曜日発行)
【今週のお知らせ】
※「ゴーマニズム宣言」…俳優の千葉真一が、新型コロナ感染による肺炎で亡くなった。千葉は自分の意志でワクチン接種をせず、酸素吸入器の装着も嫌がっていたと聞いて、わしは改めて千葉真一とは凄い俳優だった、凄い人間だったと見直した。ところが、その訃報を伝える「羽鳥慎一モーニングショー」では、千葉の華々しい功績を伝えるよりも、「ワクチンを打たずにコロナで死んだ人」としての扱いの方が重要そうな様子で呆れ果てた。コロナを過剰に恐れる「ヒステリック臆病」の連中には、ワクチン接種を自ら拒否するという感覚など、おそらく全くわからないだろう。なぜ日本は「ヒステリック臆病」の大人が世の中の大多数を占めるようになってしまったのか?
※泉美木蘭の「トンデモ見聞録」…日本は、製薬会社に操られる国々の惨状を知ることのできる立場にある。だが、何が何でもワクチンを賛美する風潮のなかで、接種して、高熱を出して苦しんだにも関わらず、その本人が副反応を正当化する声が増えてきた。異常行動を起こす例もある中、厚労省の資料は一人一人の経緯について省くようになっている。「ワクチンを打って高熱が出るのは当たり前」では決してない!ワクチン接種後の死亡例・副反応例を注視せよ!
※よしりんが読者からの質問に直接回答「Q&Aコーナー」!イベルメクチンって大丈夫なの?オリンピックって本当にやる意義あるの?好きな千葉真一の出演作は何?「列島改造論」の田中角栄元首相はナショナリストだった?おぼっちゃまくんが亀に乗っているという設定を思いついた経緯は?ギャグを捨てストーリー漫画家に転向しようかと思ったことはある?ワクチンを打たない理由をユーモア交えつつ伝える方法はない?…等々、よしりんの回答や如何に!?
【今週の目次】
1. ゴーマニズム宣言・第432回「千葉真一とヒステリック臆病の落差」
2. しゃべらせてクリ!・第364回「恐怖のお注射砲! ぽっくん我慢の限界ぶぁ~い!の巻【後編】」
3. 泉美木蘭のトンデモ見聞録・第226回「ワクチン接種後の高熱『当たり前』で良いのか?」
4. Q&Aコーナー
5. 新刊案内&メディア情報(連載、インタビューなど)
6. 編集後記
第432回「千葉真一とヒステリック臆病の落差」 俳優の千葉真一が、新型コロナ感染による肺炎で亡くなった。インフルエンザの流行時なら、インフルエンザ感染から肺炎になって死亡という経過を辿っただろう。コロナが特別怖いウイルスというわけではなく、インフルエンザでも関連死の一つには肺炎がある。
千葉は自分の意志でワクチン接種をせず、酸素吸入器の装着も嫌がっていたと聞いて、わしは改めて千葉真一とは凄い俳優だった、凄い人間だったと見直した。
人間は人生の終幕まで美学を貫き、自分自身を表現して、その価値を示すことが出来るのだ。
千葉真一のデビューは昭和35年(1960)のテレビ『新 七色仮面』で、仮面をつけてのアクションも吹き替えなしで自らこなしていたそうで、わしとしては子供の頃から見ていたヒーローだった。
その後、千葉は『キイハンター』の大ヒットでスターとなるが、自分だけのことには留まらず、それまで日本の映画界では「B級」扱いされ、人材も少なかった「アクション」の地位向上に尽力。JAC(ジャパン・アクション・クラブ)を設立して多くの人材を育成した。
千葉真一がいなかったら、日本のアクション・エンターテインメントの世界は、今とは比較にならないほど遅れたものになっていたことは間違いないといわれている。
さらに千葉は数々のアクション映画に主演し、『柳生一族の陰謀』などでは従来の時代劇のイメージを覆すようなアクロバティックなアクションを披露。『戦国自衛隊』では主演と日本初の「アクション監督」を兼務し、その後、映画のプロデュースや監督、舞台制作などへ活動を広げていった。
千葉はデビュー前から大山倍達の空手道場に通っていて、極真空手四段の腕を持つ空手家でもあり、フルコンタクトの試合経験もある。
その実力を活かしたカラテ映画は海外でも大ヒットを記録し、そのアクションは「本職の空手家が見ても本物」「ブルース・リー以上」とも評され、熱狂的なファンを生んだ。
キアヌ・リーブスは千葉を「マエストロ(巨匠)」と呼んで尊敬し、クエンティン・タランティーノは熱烈なオファーで『キル・ビル』に出演させるなど、ハリウッドにもそのファンは数多い。
そして千葉は90年代以降、活動拠点をアメリカに移し、ここでも高い評価を受けた。
あと、わしは新田真剣佑が千葉真一の息子だと知らなかったので驚いた。子供たちも立派に活躍しているのだ。
ところが、その訃報を伝える「羽鳥慎一モーニングショー」では、これらの華々しい功績を伝えるよりも、 「ワクチンを打たずにコロナで死んだ人」 としての扱いの方が重要そうな様子で、呆れ果てた。
何でもコロナ煽りに利用するモーニングショーにとっては、千葉真一の死も、志村けんや岡江久美子と同じ、格好の「煽りネタ」でしかないのだろう。
そんな中で長島一茂だけは 「生き方だったり、生きざまだったり、そういう所での判断、決断だったと思うので、ワクチンを打っていれば…という前提は悔やまれる部分、たくさんあるが、打たなかった千葉さん、変な言い方ですが格好良かったなっていう風に思います。ただ、残念なのは間違いない」 と発言し、案外「美学」としてワクチンを打たなかったという決断について理解している様子だった。
だが、玉川徹ら他の連中はみんな 「ワクチンを打っていれば、まだ生きていたのに」 みたいな言い方しかしなかった。
コロナを過剰に恐れる 「ヒステリック臆病」 の連中には、ワクチン接種を自ら拒否するという感覚など、おそらく全くわからないだろう。
玉川徹に至っては、皆目見当もつかないはずだ。 「命が一番大事」 という価値観しかなかったら、ワクチンは必ず打たなければならない、それ以外の選択などあり得ないということになるわけだから。
もっとも、本当はコロナワクチンを打ったために重篤に陥ったり、障害が残ったり、なんと急死した人もずいぶん多い。
これから数か月後、あるいは数年後に、ワクチンが原因の得体のしれない死者も増えてくることだろう。だがそれらは国家によって隠蔽されるのだが。
千葉真一は空手家でもあったわけだから、当然武士としての死生観とか、生き方に対する美意識を持っていたはずだ。
そういう人があのような死に様を見せたら、何かを感じ取るのが普通だ。高齢になってまで生命に執着して、ただ生き永らえるようなことを良しとしない価値観だったから、ワクチン接種を拒否したのかと、感慨深く思うのが本来ならば普通の感覚であろう。
それなのに「ヒステリック臆病」のコロナ脳の大人は、あれを見ても何も思わない。ただ 「ワクチンを打っていればまだ生きられたのに」 としか思わないのだ。とてつもない感性の劣化ぶりである。
常識を見失い、堕落し劣化した日本の言論状況に闘いを挑む!『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりのブログマガジン。小林よしのりが注目する時事問題を通じて、誰も考えつかない視点から物事の本質に斬り込む「ゴーマニズム宣言」と作家・泉美木蘭さんが圧倒的な分析力と調査能力を駆使する「泉美木蘭のトンデモ見聞録」で、マスメディアが決して報じない真実が見えてくる! さらには『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成させる大喜利企画「しゃべらせてクリ!」、硬軟問わず疑問・質問に答える「Q&Aコーナー」と読者参加企画も充実。毎週読み応え十分でお届けします!
・ハンドルネーム∶希蝶
・性別∶男性
・年齢∶56歳
・職業∶清掃業
・「第14章 コロナ医療の末期に疑問」
この話はひとごとではないです。個人的な話を記してしまい、申しわけありませんが、現在父が入院しており、原因は転倒して骨折したことなのですが、その後、誤嚥性肺炎を起こして頭に酸素が廻らなくなり、意識があるのかないのか、分からないような状況だからです。目を開けているので、意識はあるのでしょうが、表情が変わらないため、こちらの言っていることが分かっているのかどうなのか、自分には判断がつきません。
こんな状態で、医師が延命措置をしたらどうなるものか、と思います、幸いなことに、入院前にそういう処置はしないで欲しいという書類を書かされたので、起こらないとは思いますが、近いうちに療養用の病院にうつることになっており、前もってことわってはありますが、そこではどんな判断をするか分からないです。
私は生命尊重主義ではないですが、それでも何とか今の状態から回復できるのなら、何らかの手術はして欲しいようにも思います。親にはもっと長生きして貰い、コロナ騒動の阿呆らしさを実感して欲しいとも願います。しかし、どうにも手の施しようがないのでしたら、もう仕方がないのかな、と思います。自分の収入は安定したものではないので、生活面での不安もあるのですが、それは私が自分で解決するしかないことなので、無意味にいのちを引き延ばしして、親を人形のようにしてしまうのも残酷だ、というふうに思います。
人は考える葦である、とパスカルは言いましたが、考えるのを忘れてしまい、ただ生きているだけだったら、それは人とは言えないのではないのでしょうか。
「第15章 集団免疫はすでに出来ている」
私は医学のことに詳しくなく、実はあまり興味もないのですが、このところ、周囲からはそのように見られています。ただ、奈良時代に天然痘が流行した、というような話には関心があり、その場合も太政官という中央政府の最高機関が全国におふれを出し、病気への対策をとったりもして、犠牲者は多かったようですが、2年間でパンデミックは収まった、ということです。コロナウイルスの場合も、これと同じで、政府がマスコミや世間のことなど構わずに、科学と経験に基づいて普通に対策をしていれば、長くともその位で問題は解決したのではないのでしょうか?まだ2年きっかりはたってはいませんが、2年になろうとしている現状を見ていると、人間は無菌室の中でしか暮らせない、脆弱な生き物に成り下がったような気がしてなりません。私たちは、ニュースや世界の状態という巨視的な視野を離れ、身の廻りで実際に被害が起きているかどうかから観察する必要があったのではありますまいか。
昔、私が小学校時代に赤痢がはやったことがあり、その時も学級閉鎖にはならずに、お手洗いへ行ったらクレゾール液に手をひたす程度のことしかしていないです。コロナの場合もそれで良かったのではないか、と感じます。巷で消毒液が蔓延していたり、マスク強要の世界の方が何か人間の知性を狂わせ、惰弱にしているように感じられてなりません。もっと人間のからだを信じてあげても良いのではないのでしょうか。
エドガー・アラン・ポーの小説に『赤死病の仮面』という話があり、感染症を恐れてプロスペロ公という貴族がとりまきを引き連れて、屋敷の中に閉じこもるのですが、最後は病気がやってきて、みななくなってしまいます。これは、無菌室の中では人間の抵抗力が失われ、病にかかりやすくなる、という寓意ではないのか、と私には感じられます。
いろいろ記しましたが、多少の危険があっても、普通に生活するのが一番です。感染症で臆病になっていたら、たとえば破傷風や血友病の場合は、どうなってしまうのでしょう、か。一生監禁されて暮らすのでしょうか。私には、そちらの方が地獄に感じられます。
以上です。長々とすみませんでした。なお、先の投稿で上司は物わかりのいい方だ、というふうにも記しましたが、全体主義は物わかりのいい顔をしてやって来て、知らず知らずのうちに自由を奪うものではないのか、と思い直しています。善意の面をかぶった監視や強制ほど恐ろしいものはないです。
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