希蝶さん のコメント
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第418号 2021.12.7発行 「小林よしのりライジング」
『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりが、Webマガジンを通して新たな表現に挑戦します。
毎週、気になった時事問題を取り上げる「ゴーマニズム宣言」、『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成してもらう読者参加の爆笑企画「しゃべらせてクリ!」、著名なる言論人の方々が出版なさった、きちんとした書籍を読みましょう!「御意見拝聴・よいしょでいこう!」、読者との「Q&Aコーナー」、作家・泉美木蘭さんが現代社会を鋭く分析「トンデモ見聞録」や小説「わたくしのひとたち」、漫画家キャリア30年以上で描いてきた膨大な作品群を一作品ごと紹介する「よしりん漫画宝庫」等々、盛り沢山でお送りします。(毎週火曜日発行)
【今週のお知らせ】
※「ゴーマニズム宣言」…オミクロン株の登場で、マスメディアは一気に大フィーバーだ。特に常に煽りのトップランナーだったテレビ朝日「羽鳥慎一モーニングショー」の玉川徹は、今回も煽り芸で視聴率を稼ぐ気満々である。そんな中、玉川は「(相手の)ビジネスを利するだけになっちゃう」「彼らの金もうけに協力するだけになる」等と言って、自分への批判を一切受けつけないことを表明したが、そんな無責任は絶対に許されない!! この発言で、玉川徹は自らの恐るべき本性が明らかになってしまっていることに気がついているだろうか?
※泉美木蘭の「トンデモ見聞録」…南アフリカで報告されたという「オミクロン株」が大ブームである。「デルタ株を凌駕するオミクロン株、前例ない強い感染力」「多数の変異を持ち、再感染する能力が高い」「ワクチンや自然感染による免疫を回避する恐れがある」「各国、アフリカ南部からの航空機の乗り入れを一時禁止に」…とマスコミは煽りに煽り、「アフリカのワクチン接種率が11%と低いためにヤバイ変異株が生まれている」とワクチン同調圧力を高めようとしている。ワクチン狂信派が無視するアフリカの現状とは?
※よしりんが読者からの質問に直接回答「Q&Aコーナー」!コロナとインフルエンザの受容体は違うのにウイルス干渉が生じるのは何故?兼ねてからの目標だった海外赴任はしたい!でもワクチンは打ちたくない!どうすれば良い?最近推されている「ブラックフライデー」をどう思う?皇室バッシングを宮内庁や公安はなぜ放置しているの?『コロナ論4』の最終章の“父ちゃん”はどんな考えで登場させた?…等々、よしりんの回答や如何に!?
【今週の目次】
1. ゴーマニズム宣言・第445回「商売を利するから反論しない?」
2. しゃべらせてクリ!・第374回「男のあこがれ? ぽっくん女湯の三助ぶぁい!の巻【後編】」
3. 泉美木蘭のトンデモ見聞録・第239回「“オミクロン株デマ”でワクチンを推奨するな」
4. Q&Aコーナー
5. 新刊案内&メディア情報(連載、インタビューなど)
6. 編集後記
第445回「商売を利するから反論しない?」 オミクロン株の登場で、マスメディアは一気に大フィーバーだ。
特に常に煽りのトップランナーだったテレビ朝日「羽鳥慎一モーニングショー」の玉川徹は、今回も煽り芸で視聴率を稼ぐ気満々である。
そんな中、玉川は批判を一切受けつけないことを表明したが、そんな無責任はわしが絶対に許さない。
玉川は明らかにわしの批判を意識している。
そもそも玉川はコロナ禍以前には2回もわしの仕事場を訪れ、わしの意見を聞きに来て、それを自分のコーナーで放送している。
そこで「週刊SPA!」編集部は玉川に「小林よしのりとの対談」を依頼したが、玉川は「多忙」を理由に断った。
そして5月11日、玉川は番組中で 「一部の漫画家とか、元政治家が何言ったってほっときゃいい。社会的影響はほとんどないから」 と言い放った。
玉川を批判している漫画家なんて他にはいないから、「小林よしのり」と名指ししたのと同じだ。ついでに出された「元政治家」は、時々玉川について批判めいたことも言う橋下徹だろう。
しかしそれなら玉川はなぜ 「社会的影響はほとんどない」 はずのわしにわざわざ2回も取材して、それを結構な尺を取って放送したのか?
玉川がこの日にこんな暴言を吐いた理由は察しがつく。ひとつは、その2日前にわしがブログで、玉川がわしとの対談依頼を断って逃げたとバラシたからだ。
そしてもうひとつ決定的だったのは、この日発売のSPA!に『ゴーマニズム宣言』第124章『コロナ君、煽りは犯罪』が載ったからだろう。
この作品では 「煽り魔・玉川徹が最凶戦犯だろう!」「玉川の『煽り』の犠牲者の方が、もはやコロナの犠牲者より多い! 不幸を撒き散らす『煽り』はテロと同じだ!」「煽りはテレビからばらまかれるサリンと同じ」 と、玉川を徹底的に批判した。これは最新刊『コロナ論4』では巻頭に収録したが、いま読み返してもその辛辣さは我ながら相当なものだ。
玉川は本番前にこれを読んで逆上し、しかしそれに全く反論ができないから、 「一部の漫画家」ごときがと口走ったのではないか。
そう考えると、 「社会的影響はほとんどない 」というセリフも、玉川の「評価」というより、むしろ「願望」なのだと思える。
小林よしのりに社会的影響力があって、自分がコロナ禍を引き起こしたインフォデミックの張本人だという認識が世の中に浸透してしまったら、もう破滅だ。だから何が何でも、小林の社会的影響なんか、ほとんど皆無であってくれと願っているわけだ。
だがそれにしてもスゴイと思うのは、玉川は自分に社会的影響力があると確信しているらしいことだ。
社会的影響力があるのは「テレビ」であって、「玉川徹」ではない!
玉川なんかテレビ朝日を退社して一個人になったら、それこそ何の影響力もない。
個人で戦う覚悟も能力もなく、巨大組織の一員として高給で守られ、あくまでもテレビ局社員という組織人だから「視聴率1%100万人」といわれるテレビで発言させてもらえるのに、その分をわきまえることもなく、これが自分の特権であるかのように錯覚し、テレビ放送という「公器」を「私物」として使いまくっているのが玉川徹である。
しかも、そもそも「社会的影響力がないから無視していい」という理屈は完全におかしい。
常識を見失い、堕落し劣化した日本の言論状況に闘いを挑む!『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりのブログマガジン。小林よしのりが注目する時事問題を通じて、誰も考えつかない視点から物事の本質に斬り込む「ゴーマニズム宣言」と作家・泉美木蘭さんが圧倒的な分析力と調査能力を駆使する「泉美木蘭のトンデモ見聞録」で、マスメディアが決して報じない真実が見えてくる! さらには『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成させる大喜利企画「しゃべらせてクリ!」、硬軟問わず疑問・質問に答える「Q&Aコーナー」と読者参加企画も充実。毎週読み応え十分でお届けします!
かなり遅くなりましたが、ライジングの感想です。
〇 ゴーマニズム宣言・第445回「商売を利するから反論しない?」
これも何度も記しているのですが、
※ 社会的影響力があるのは「テレビ」であって、「玉川徹」ではない!
※ 玉川なんかテレビ朝日を退社して一個人になったら、それこそ何の影響力もない。
という下りで、本当に、菊池寬の「形」という短篇を思い出します。すなわち、「テレビ」・「テレビ朝日」が「猩々緋と唐冠」で、玉川徹氏が「中村新兵衛」に当たるわけです。
詳しい話は、ライジング398の58コメントを読んで下さい…で済ませようかと思いましたが、時間の取れない忙しい人もいるでしょうし、(自分としては)珍しくまともなことを記しているので、再録します。
>ずっと前に、菊池寬の「形」という短篇のことを記したように覚えています。あらすじをざっと記すと
戦国時代に摂津国にいたとある大名の侍大将の中村新兵衛という武士は、槍の名手で、火のような猩々緋(しょうじょうひ)の鎧を身につけ、唐冠纓金(とうかんえいきん)の兜の姿で知られていた。あるとき、主君の息子の頼みを聞いて、彼はその鎧と兜を主君の息子の初陣に貸してしまった。主君の息子は新兵衛の鎧と兜を身につけ、手柄を立てた。
続けて、新兵衛が敵陣に槍を入れたが、いつもと勝手が違う。今度は敵は命がけで立ち向かって来る。つまり、猩々緋と唐冠の侍にやられた怨みを返そうとしていたのだ(中身が入れ替わっていることなど、露も知らずに)。新兵衛は平生以上の働きをしたが、結局、討ち取られてしまった。
というような話なんですけれども(これを記すために、昔の書き込みを見直してもみたのですが、ひどい有様ですね、何だか無理矢理自分の主張を押し通そうとして、向きになっている。読み返すのが一苦労でした。自分にも特別な鎧と兜があると錯覚していたのでしょう)、要は、テレビ朝日が「猩々緋と唐冠」で、玉川徹氏が「中村新兵衛」だと私は思うのです。それだけのことなんですが、羽鳥慎一氏はまだフリーを経験しているので、この話の意味が分かると思うのですが、生粋のテレ朝社員である玉川徹氏にはこのたとえは分かるのでしょうか?
つまり一個人の言動は実力があったとしても、社会的にはとても非力なもので、たとえ私が何かを主張しようとも、(社内)文集に現在の風潮はテレビによって形成されたものだと記したとしても、まるで聞き入れて貰えなかったりするのです。それを朝日新聞の上司が「小林よしのりは個人で戦っている」とまで評価されたのは、その中村新兵衛以上のことをしている、という話になるわけです。
…以上です。上記に記したように、このことは自分のこととしても考えてみないといけないと思います。これだけではいけないと、ほかにも何か記そうと試みたのですが、やはりこれだけに尽きてしまうような気がします。
それと、商売であって何が悪い、という意見については、マックス・ウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」(だったと思う)に描かれている「予定説」の話で良いのだと思います。つまり、キリスト教では主による救済が予定されているのだから、現在している職業の業務をしっかり行えばいいという思想があって、その結果、資本主義がヨーロッパでは発達し、産業が栄えた、ということなのだから、仕事をして金儲けをして何が悪い、ただし、それは主とか天とか至上なる存在の求めるものでなければならない、この場合は「公」なのだから、それにそったものであって、そこには横軸だけではなく、縦軸としての歴史が必要だ、というようなことになるのだと思います。
以上、何だかうろ覚えというか、多分こういうことではないのか、という解釈を述べてみました。もっといろいろ記す予定でしたが、これだかりは「予定」通りにはすみませんでした。
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