NAOPPUさん のコメント
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第502号 2024.4.30発行 「小林よしのりライジング」
『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりが、Webマガジンを通して新たな表現に挑戦します。
毎週、気になった時事問題を取り上げる「ゴーマニズム宣言」、『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成してもらう読者参加の爆笑企画「しゃべらせてクリ!」、著名なる言論人の方々が出版なさった、きちんとした書籍を読みましょう!「御意見拝聴・よいしょでいこう!」、読者との「Q&Aコーナー」、作家・泉美木蘭さんが現代社会を鋭く分析「トンデモ見聞録」や小説「わたくしのひとたち」、漫画家キャリア30年以上で描いてきた膨大な作品群を一作品ごと紹介する「よしりん漫画宝庫」等々、盛り沢山でお送りします。(毎週火曜日発行)
【今週のお知らせ】
※「ゴーマニズム宣言」…一昨日に投開票が行われた衆議院補欠選挙の東京15区は、小池百合子都知事が推した作家の乙武洋匡が、なんと百田尚樹の「日本保守党」の候補をも下回る5位落選という大惨敗を喫した。もうこれで小池百合子の影響力など完全に消え失せ、国政復帰など夢のまた夢になったとも言われているが、その選挙の前にまたも話題が再燃していたのが、小池の「学歴詐称疑惑」だった。法的にいえば、公職選挙の候補者が経歴を詐称した場合、公職選挙法違反の犯罪となり、有罪確定の場合は当選無効となる。しかし、そもそもわしは学歴なんかクソ食らえと思っているから、その攻防そのものがバカバカしくて見ていられなかった。なぜいつまで経っても「学歴信仰」が蔓延るのだろうか?
※泉美木蘭の「トンデモ見聞録」…過去、キリスト教を布教させようと数多の宣教師が日本に渡ってきたが、当時の日本人は、他国の文化に対してまったく不寛容な宣教師の傲慢さを見抜き跳ねのけてきた。ところが、それから500年近く経った現代の日本では、「人権」という言葉が「ただ1つの真実」として猛威を振るい、警戒心を抱かれることもなく、「人権遵守」のために、日本人みずから自国の文化をキャンセルしてしまうまでに布教と洗脳が進んでいる。ではその「人権」概念が生まれたフランス革命において、いったい何が起きていたのか知っているだろうか?
※よしりんが読者からの質問に直接回答「Q&Aコーナー」…1000万部もコミックが売れると、原作者の生活水準はどのくらい変化するもの?障害者は人権を盾にしなければ戦えない!刑務所で何年も安らかに最期まで過ごしている凶悪犯などについてどう思う?家族でテレビのチャンネル争いをした記憶はある?自分が好きな歌手が憲法9条護持の左翼であっても気にしない?女性の管理職が増えるのは構わないが、それは実力が認められる形で行われるべきでは?日本の大ヒット漫画を生み出している作家は社会的にもっと評価されていいのでは?…等々、よしりんの回答や如何に!?
【今週の目次】
1. ゴーマニズム宣言・第531回「まだ学歴信仰?」
2. しゃべらせてクリ!・第457回「春はとにかくめでたいぶぁい! 歓迎の嵐ぶぁ~い!の巻【後編】」
3. 泉美木蘭のトンデモ見聞録・第325回「フランス革命に見る“人権カルト”の誕生」
4. Q&Aコーナー
5. 新刊案内&メディア情報(連載、インタビューなど)
6. 編集後記
第531回「まだ学歴信仰?」 「作家の全てはそのデビュー作に表れる」
とよくいわれるが、その言葉は確かに当たっているなと、わしもデビュー50周年を前にした今、そう思っている。
一昨日に投開票が行われた衆議院補欠選挙の東京15区は、小池百合子都知事が推した作家の乙武洋匡が、なんと百田尚樹の「日本保守党」の候補をも下回る5位落選という大惨敗を喫した。
もうこれで小池百合子の影響力など完全に消え失せ、国政復帰など夢のまた夢になったとも言われているが、その選挙の前にまたも話題が再燃していたのが、小池の「学歴詐称疑惑」だった。
今となっては、もう小池がカイロ大学を出ていようがいまいが、そんなことはどうだってよかったということになるが、わしとしては「学歴」なんてものが何度も何度も持ち出されて来ること自体が、不快でたまらなかった。
法的にいえば、公職選挙の候補者が経歴を詐称した場合、公職選挙法違反の犯罪となり、有罪確定の場合は当選無効となる。
もしそうなれば小池の政治生命は完全に終わることになるから、小池の失脚を狙う側は何度でもその問題を持ち出すだろうし、小池は必死で防御するだろう。
しかし、そもそもわしは学歴なんかクソ食らえと思っているから、その攻防そのものがバカバカしくて見ていられなかった。
卒業しているかどうかなんて、卒業証書か関連の書類を出せば一発で証明されて終わる話なのに、それがこれだけ何度も蒸し返されるということは、小池の側が未だに卒業したという決定的な証拠すら出せていないのだろうと思えるが、もし本当に学歴詐称だったとしたら、小池は日本国内の学歴では足りないから「カイロ大学卒」なんて学歴を持ってきて、箔をつけようとしていたということになる。
そしてこれに対して、学歴が違うということばかり責め立てていたら、 結局はどっちが勝とうが「学歴が大事」という印象を広めるばっかりになるわけで、わしにはそれが許せなかったのである。
繰り返して言うが、わしは学歴なんてクソ食らえと思っている。
そして、そのことはもうデビュー作『東大一直線』で描いている。
そもそも『東大一直線』は、学歴社会を批判するために描いた作品だった。
主人公・東大通は、この社会は受験戦争に勝った学歴のある者の天下だということを 脳の右半球の直感 で悟り 、学歴のない奴はクソだと言いながら、受験勉強に猛進する。 ところが肝心の受験勉強に必要な、 脳の左半球の論理的能力 がパーだった というキャラである。
その姿を通して受験戦争の滑稽さを描いた作品は大ヒットして、続編『東大快進撃』では東大安田講堂の崩壊を描いて終わっていった。
わしはこれで学歴社会のバカバカしさは描き尽くしたのだが、それから40年以上経ってその認識が浸透したかといったら、全然である。やっぱり今も学歴がもてはやされる世の中は続いているのだ。
テレビ朝日「羽鳥慎一モーニングショー」が山口真由をコメンテーターにして、この人は東大を出て、ハーバードも出て、とにかく凄い人なんだというイメージをこれでもかとばかりに大衆に刷り込んだのも、その典型例といえる。
わしから見れば、山口真由なんかただのバカとしか思えない。何しろ皇室に関することを竹田恒泰の本を読んで勉強して、間違った事ばっかり言っているような始末なのだから。
わしは学歴というものに何の憧れもなければ、何の幻想も持っていない。テストの出題者が求める解答を書く技術に長けているだけで、そもそも出題者が間違っているのではないかという疑問など、間違っても浮かばないのが学歴秀才というものなのだ。
ところが未だに新聞には毎年、大学入学試験の問題と解答が何面も使って掲載されていて、あれを見ると、無駄に紙面を使うなと言いたくなる。
そして、それよりもっとわからないのは 週刊誌の大学合格者報道だ。
かつては「東大合格者全氏名」なんてものが載っていて、さすがにこれは個人情報保護ということでやらなくなったが、その後も 「大学合格者高校別ランキング」を毎年「週刊朝日」と「サンデー毎日」が競って載せてきた。
しかし昨年「週刊朝日」が休刊になり、もうそんなバカな企画は一誌だけになったかと思っていたら、なんと朝日はこれを「AERA」に移して継続したものだから、びっくりしてしまった。
しかも 「AERA」はその号だけ定価もページ数も増大した特別号にして、全192ページの雑誌のうち116ページをその特集に費やしていた。 そしてその号の巻頭特集は「上司と部下 飲み誘うのムズすぎ問題」というあまりにもどーでもいい記事を組んでいて、どっからどう見ても「大学合格者高校別ランキング」のためだけに出された雑誌という体になっていた。
どの高校から名門大学の合格者がどれだけ多く出たかなんて、報道する必要があることとは到底思えないが、しかしそれが、これだけ特別扱いするほど商売になる企画らしい。あまりにもバカすぎて、わしには意味が一切わからない。
学歴信仰のインテリ知識人がいかに醜いかという実態は、有難いことに香山リカがしっかり見せてくれた。
常識を見失い、堕落し劣化した日本の言論状況に闘いを挑む!『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりのブログマガジン。小林よしのりが注目する時事問題を通じて、誰も考えつかない視点から物事の本質に斬り込む「ゴーマニズム宣言」と作家・泉美木蘭さんが圧倒的な分析力と調査能力を駆使する「泉美木蘭のトンデモ見聞録」で、マスメディアが決して報じない真実が見えてくる! さらには『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成させる大喜利企画「しゃべらせてクリ!」、硬軟問わず疑問・質問に答える「Q&Aコーナー」と読者参加企画も充実。毎週読み応え十分でお届けします!
よしりん先生の熱唱は、この歌への思い入れの強さを感じさせました。
そしてチェブリンさんのピアノ、最高でした。この曲のピアノはニッキー・ホプキンスというアメリカのプレイヤーが演奏しており、当時、彼は浜省を非常に高く評価し、いつか一緒にツアーをしようとまで言ったそうです。(実現しないまま、彼は1994年に死去しました。)
その名演奏をしっかりとコピーしていたチェブリンさん、すばらしい!!!
1994年7月(当時、浜田省吾・41歳)の「BRIDGE」という雑誌で、浜田省吾と渋谷陽一氏の対談が載っていますが、「丘の上の愛」について、浜田省吾がこのように語っています。皆さんの思想の幅を広げるのではないかと思い、引用させていただきます。
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「丘の上の愛」はロサンゼルスに行かなかったら書けなかった詩で。例えば「マンション・オン・ザ・ヒル」とかっていうような洋楽があるじゃないですか。例えば日本ではブルジョワたちが丘の上に住んでるっていうイメージはないでしょう。でもロサンゼルスってのは見事にマリブとかビバリーヒルズとか丘の上に家を建てて、街を見下ろすと巨大な浪費をしてるクリスマスツリーのような、海の底のような街が広がっているわけじゃないですか。
で、僕もちょうどジェームズ・ディーンの「理由なき反抗」に出てくるグリフィス・パーク天文台があるでしょう、そこへ夜行ったんです。そうすると、まさに丘の上から金持ちたちが街を見下ろしてて、同じように貧しい人たちが金持ちたちを見上げているっていうのがはっきりわかったんですよ。だからジャクソン・ブラウンの詩とか当時のウェストコーストのシンガー・ソングライターたちの書いていた詩ってのがほんとに理解できたんですよね。
だからこの「丘の上の愛」も、『ああ、そういうことなんだなぁ』っていう、それでこういう詩になるんですけど。で、この詩を書いたときに、ほんとに今でも覚えているんだけど、『こんなラブソングってないよね』って言われたのを覚えているんですよ。レコード会社の人だったかラジオ局の人だったか、『こういうのって日本にないよね』って言われて。
で、確かにその通りなんです。ロサンゼルスで作った歌だから。でも、1980年代になってすごくリアリティーを持つんですよ。だから、この歌を作ったときに思ったのは、作品のリアリティーっていうのは現実じゃないんだと。
現実って、朝起きて歯を磨いてトイレに行ってというのがリアルだと。ホントの作品の上でのリアリティーってのは、現実と幻想と希望と意志と理想っていうものがごちゃ混ぜになったもの。それが作品のリアリティーなんだなっていうのは、この「丘の上の愛」を書いて、日本に帰ってラジオ局のディレクターかなんかに、『これは日本じゃリアリティーのないラブソングだよね」って言われたときに、逆にそれがリアリティなんだって思ったんですよ。
で、80年代後期のバブルの時代になったときに、ほんとにリアリティを持ってきたっていうのかな。そういう意味では「丘の上の愛」ってのは、すごく思い出深い詩なんです。
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僕がこの浜省のインタビューを読んだのは高校生の時でした。中学生のころからこの曲が大好きでよく聞いて歌っていましたが、このような背景を知り、より味わい深く感じました。
僕は、「金よりも、愛をまっすぐに見て、愛に生きろ」と、この歌い手が、冷たいベッドにいる女性に対して言っているのだと解釈しました。この歌い手は第三者で、俯瞰でこの女性を見ており、女性に対して、「氷のような腕の男を捨てて、丘をかけおりて、純粋に愛する人のもとへ行くんだよ」と言っているのだと思っています。この愛する人は、「貧しい学生」かもしれませんし、そのときにはそうではないのかもしれません。
僕にとっては、この歌詞の解釈は字義通りでシンプルなもの、「金よりも愛」を歌ったものだと思っています。でも、浜省が語ったような背景があるということを知ると、より味わい深くもあります。
この曲は1980年、バブル経済が絶頂を迎えるのはまだ少し先で、その当時に、近い将来にリアリティを持つ詩を書いたすごさというのを、浜省自身も自負しているところのようですね。
よしりん先生がこの名曲を選んで熱唱されたということ、そしてそれが大きな反響を生んでいること、それがゴー宣ファンであり浜省ファンの僕としては、とってもうれしいです。
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