magomeさん のコメント
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第95号 2014.8.5発行 「小林よしのりライジング」
『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりが、Webマガジンを通して新たな表現に挑戦します。
毎週、気になった時事問題を取り上げる「ゴーマニズム宣言」、よしりんの心を揺さぶった“娯楽の数々”を紹介する「カルチャークラブ」、『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成してもらう読者参加の爆笑企画「しゃべらせてクリ!」、漫画家キャリア30年以上で描いてきた膨大な作品群を一作品ごと紹介する「よしりん漫画宝庫」、珍妙な商品が盛り沢山(!?)の『おぼっちゃまくん』キャラクターグッズを紹介する「茶魔ちゃま秘宝館」、読者との「Q&Aコーナー」、作家・泉美木蘭さんが無限に想像をふくらませ、とことん自由に笑える「日本神話」の世界を語る「もくれんの『ザ・神様!』」、秘書によるよしりん観察記「今週のよしりん」等々、盛り沢山でお送りします。(毎週火曜日発行)
【今週のお知らせ】
※「ゴーマニズム宣言」…長崎県佐世保市で高校1年生・16歳の少女が同級生を殺害し、遺体の頭部や手首を切断し腹部を切り裂くという、何とも猟奇的な事件が起きた。10年前、当時小学6年生の女児による同級生殺害事件が起きた佐世保市では、「命を大切にする教育」を徹底してきたそうだが、そんな教育は、異常性を抱えコントロールできなくなった少年少女の前では無意味である!異常性を先天的に持って生まれてしまった子供に対して、どう対処すべきなのか?
※「ザ・神様!」…高天の原から高千穂の峰へと降り立った天孫・ニニギノミコト。ある日、笠沙の岬で出会った見目麗しい女性に一目惚れ!なんとか結婚にこぎつけたものの、それは大きな不幸の始まりだった…!
※『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて、一コマ漫画を完成してもらう読者参加の爆笑企画「しゃべらせてくり!」あぎゃ~~~~~~~~~~~おっ!ハリウッド版ゴジラ公開記念お題でしゅ!ゴジラもアメリカに取られたかと思うとちょっと複雑でしゅが、日本にはまだウル茶魔マンがいまーしゅ!
【今週の目次】
1. ゴーマニズム宣言・第96回「『命を大切にする教育』よりも『エクソシスト』だ」
2. しゃべらせてクリ!・第55回「決戦!ウル茶魔マンVSフクロコジラの巻〈前編〉」
3. もくれんの「ザ・神様!」・第38回「顔で女を選んだ呪い~ニニギの受難~」
4. Q&Aコーナー
5. 新刊案内&メディア情報(連載、インタビューなど)
6. 読者から寄せられた感想・ご要望など
7. 編集後記
第96回「『命を大切にする教育』よりも『エクソシスト』だ」 長崎県佐世保市で高校1年生・16歳の少女が同級生を殺害し、遺体の頭部や手首を切断し、腹部を切り裂くという、何とも猟奇的な事件が起きた。
佐世保市では10年前にも、当時小学6年生の女児が同級生の女児の首をカッターナイフで切りつけて殺害する事件が起き、それ以来、市は「 命を大切にする教育 」を徹底してきたそうだが、それでも再びこのような事件が起き、教育関係者たちは大きな衝撃を受けているらしい。
だが、「命を大切にする教育」なんて全く無意味であることなど、最初からわかりきっていた話ではないか。
佐世保市ではこの10年間、すべての小中学校を対象に、毎年6月を「 いのちを見つめる強調月間 」と定め、1ヶ月間もの長期にわたって「 命を大切にする教育 」を重点的に行なってきたという。
初日は全校で校長が生徒に向けて、命の大切さに関する講話を行い、校内を1週間開放して、道徳の授業を保護者や地域住民にも見てもらえるように公開。
さらに学校ごとに「 命を大切にする教育 」の活動が行われており、比較的多いのは長崎平和公園や原爆資料館の見学や、佐世保空襲の体験者からその様子を聞いて生命の尊さや戦争の悲惨さを学ぼうという企画だそうだ。
他にも命を題材にした本の朗読会とか、思春期の心の健康に関する講演会とか、あるいは地域や保護者との親睦を図るための球技大会、「健康な体作りを目指す」歯みがき指導というものもあるのだとか。
佐世保市の教育委員会は「10年間の取り組みは無駄ではなかったと思いたい。各校は真剣に取り組んできました」と語っている。だが、いくら真剣に取り組もうが、無駄なものは無駄なのだ。
今回の殺人女子高生は、「 人を殺して解剖してみたかった 」と供述している。中 学生の頃に猫を殺して解剖し、人間でもやってみたいと思っていた のだという。
これで連想するのが、平成9年(1997)に神戸市須磨区で「 酒鬼薔薇聖斗 」を名乗る当時14歳の少年が起こした連続幼児殺害事件である。
あの頃、マスコミ・識者はこの事件の「本当の原因」を探るとして、様々な説をばらまいた。「教育」の責任だという声も大きく、当時の文部大臣は「 心の教育の重要性を痛感している 」と異例の談話を発表した。
無責任な珍説も数多く、社会システムの問題であり、専業主婦を廃止すべきだという意味不明な説を言い出す知識人やら、事件が起きた神戸市須磨区を詣でて、そこが人工的なニュータウンだったことがいけないなどと言い出す者やらが続出。
この言論の紊乱状態は看過し難いものがあり、わしは『新ゴーマニズム宣言5巻』の描き下ろし特別編で言論総チェックをやった。今となってはこれも貴重な時代の記録である。
結局、神戸の少年Aの犯行の動機は「性的サディズム」であり、少年は殺人の瞬間、射精していたという身も蓋もない事実が明らかになった。 教育も社会システムも、もちろんニュータウンも何も関係なかったのだ。
さすがに神戸少年A事件の教訓からか、今回は佐世保の街に原因があるなどと言い出す者はなく、これは「 快楽殺人 」であり、教育ではなく精神医学の領域だということは、ある程度了解事項となっているようだ。
ここで問題となるのは、「親の責任」をどう考えるかということである。
週刊文春は、少女は母親が病死して間もないうちに父親が再婚したことを、どうしても許せなかったようだと書き、この家庭環境が凶行の引き金であったかのように示唆した。
だがこれに対して少女の弁護人は「事実と異なる」との見解を発表。接見で少女は「 父の再婚には賛成だった 」「 父を尊敬している 」「 母が亡くなって寂しく、新しい母親が来てうれしかった 」「 すぐに慣れ、仲良くしていた 」と話したという。
そもそも少女の問題行動は、昨年10月に前の母親が死亡するよりずっと以前から始まっている。 少女の異常性は先天性のものであった可能性が高く、もしそうだとすれば、親が原因とも言えない。この少女が全く個人的に脳内に抱えてしまった病気が原因と言うしかなくなってくる。
この種の異常者は、環境にも時代にも関係なく、ある程度の確率で出てきてしまうものだということは認識しておかなければならない。例えば「少年犯罪データベース」には、こんな事件が記録されている。
常識を見失い、堕落し劣化した日本の言論状況に闘いを挑む!『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりのブログマガジン。小林よしのりが注目する時事問題を通じて、誰も考えつかない視点から物事の本質に斬り込む「ゴーマニズム宣言」と作家・泉美木蘭さんが圧倒的な分析力と調査能力を駆使する「泉美木蘭のトンデモ見聞録」で、マスメディアが決して報じない真実が見えてくる! さらには『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成させる大喜利企画「しゃべらせてクリ!」、硬軟問わず疑問・質問に答える「Q&Aコーナー」と読者参加企画も充実。毎週読み応え十分でお届けします!
まず、ゴジラが肥っているとのことですが、ゴジラは年代が経過するにつれて巨大化し、重量も増しています。初代が身長50mという設定でしたが30年後の昭和59年には80m、平成3年には100mと巨大化しながら今に至るわけであって、決して急激に肥ったというわけではないわけです。これは年々人間が作る建造物が巨大になり、高層ビルが立ち並ぶ都心部でゴジラが暴れてもゴジラが小さく、軽く見えてしまい、重量感を感じさせることが難しいからなのだそうです。よって、ゴジラが肥った理由はゴジラが眠っていたからではなく、人間の欲望が近代化によって肥大化したことによってゴジラも巨大化しているというのがことの真相なのです。
「ザ・神様」でニニギノミコトが気の毒になってきましたが、更なる気の毒な事態が訪れるのですね。これは真の女神の恐ろしさを知るいい機会になるので楽しみにしています。とはいえ、現在だったら一度受け入れた女性は絶対に受け入れなければならないと思うのですが、「ザ・神様」ではこんな我儘が許されるのか?と思いますがやっぱり神にも因果応報という結末が待っているのでしょうか。
佐世保市での少女殺人遺体解体事件はまさに生んだ親は勿論のこと、周囲の大人でも事前に止めることが難しい事件であり、今回の事件はいかなる教育でも事前に止めることは不可能であったと言っていい事件だと思いました。それにしても、殺人事件が起きたからと言って、命の大切さを教えたところで、年がら年中、猟奇殺人を含む殺人事件や紛争を報じる報道が毎日のように朝や夕方の報道番組や新聞で報じられ、さらには身近な場所では保健所などでは無数の猫や犬が毎日のように殺されているのですから、命の大切さを教えた所で現実の世界では命がまったく大切にされていない情報が嫌というほど入ってくるのですからまともな感覚を持てば命の大切さを教える教育を真面目に受けとろうとしても不可能です。
今回は精神科医が適切な判断を下していたにも関わらず、親の保身が生じたことによる猟奇事件ともいえますが、このような猟奇殺人者に遭遇してしまった被害者の気持ちを想うとやり切れないと思いました。今回のライジングで佐世保市少女殺人事件の詳細を読んで真っ先に思い浮かべたのが
開成高校生殺害事件
http://yabusaka.moo.jp/kaisei.htm
と
浦和・高校教師夫妻による息子刺殺事件
http://yabusaka.moo.jp/urawamusuko.htm
です。この二つの事件は両親が息子を殺害するという事件ですが、もし、これらの子がこのまま生きていたら佐世保市少女殺害事件のような惨劇もあり得たのではないのかと考えるようになりました。これらの事件では殺害された子に対して精神科医は親が隔離しても断っているか、あるいは重度の精神病という診断を下しています。加害者の親がこの事件について知っていたかは知りませんが、娘を殺すか、隔離しなければならないほどの重度の精神病と診断された場合でも、その診断が万に一つ治療した後の将来性と自分の面子のためにあえて、隔離しなかったのではと考えました。
親の中には自分の保身と憂さ晴らしのために異常もない実の子を精神病に仕立て上げる場合も多く、たとえば、親が仕事が見つからなかったり、あるいは莫大な借金を作ってしまったりして失態を生じさせてしまった場合など、世間体に顔向けできない失態が生じてしまった場合、その自分の失態の目を逸らさせるために他人のせいにする場合があり、この時には父親、あるいは母親が特に相手の妻、または夫の自分に対する失態を責められるのを恐れてあえて、子供に注目させるように子供を精神異常扱いし、その責任を自分を責める相手に着せて自分の失態を隠そうとすることがあり、精神科医もこのような親の相手をしなければならず、時には診察を拒否することもあるそうです。このために精神科医への通院を度々繰り返したりすると世間体では子供だけではなく、親にも風当たりが強くなる場合があり、その覚悟も時には必要となるほど精神科医への通院は覚悟が必要となります。
加害者の親に弁護のしようがありませんし、加害者本人はむしろ、死刑にしたほうがいいのではと思えてならない人格の持ち主でもありますが、このような苦しい中で常識外れの来院者も数多く訪れたであろう精神科医は頑張れるところまで頑張ったと思います。
命の尊さは命の終焉があるからこそ尊いのであって、命の終焉である死についても同じくらいかあるいはそれ以上に考え教える必要があるのであって、命の終焉は国や地域、民族、宗教によってその思想、思考は様々であることから結局は郷土文化を始めとする國柄を継続させて、教育など様々な機会から学んで身に着けていくことこそが真の命の尊さを知ることとなるのです。命は大切にしなければならない場合、命のあり方と同じく、死についての大切さも認識しなければならず、この「命の大切」という命の大切さだけを教えて死について教えない教育も自虐史観や極右愛国教育と同じくらいに偏った思想であり、偏った教育なのです。よって、偏った教育があらぬ問題を起こすことから、結局は「命の大切」を教える教育もあらぬ結果をもたらすだけで何の意味もないまったくの無駄な時間であるのです。
教育と思想、思考は常に平衡を保たなければならず、そのために熟考が必要なのです。
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