メディアはトランプが硬化したとみて文在寅大統領の「仲介外交のもろさ」を強調したが、私が会見の生中継を見た限りでは、北朝鮮が「会談の中止もありうる」と揺さぶりをかけてきたことに対応し、「中止」ではなく「延期」を言っただけだから、史上初の米朝首脳会談を実現させたがっているのは変わらない。
前日にホワイトハウスはトランプと金正恩の横顔が向き合うデザインの記念硬貨を発表した。金正恩の肩書は「最高指導者」であり、二人の顔の上部には「平和会談」、下部には「2018年」の文字が記されている。会談は間違いなく行われる。
それは朝鮮戦争の敵国同士のトップ会談の実現となり、戦争終結に向けた歴史的な意義が否応なく前面に出てくる。ところが日本国内の議論は「非核化」と「拉致問題」だけに比重が置かれ、アジアの冷戦体制の象徴である「朝鮮戦争」が終結する歴史的転換点という意識が希薄である。
この会談は、第二次世界大戦の終結、ソ連崩壊による東西冷戦の終結と並んで世界の構造変化が現れるエポックと私は捉えており、日本自身も否応なくその変化に対応しなければならなくなる。
先週14日の衆議院予算委員会で国民民主党の玉木代表が「米朝首脳会談でICBMの廃棄は実現しても中短距離ミサイルの廃棄に至らなかった場合どうするか」と質問したのに麻生財務大臣がヤジを飛ばし、安倍総理の答弁は行われないままになった。玉木氏の問いは極めてありうる話で考えなければならない課題である。
ここにきて北朝鮮の金正恩委員長が2度も中国を訪れ習近平国家主席と会談したのを見ると、米朝首脳会談は朝鮮戦争の終結だけでなく米中の軍事的対立にも影響する。会見でトランプは中朝接近に懸念を表明したが、私は米国の「欧州の冷戦は終わらせてもアジアの冷戦は終わらせない」という従来の戦略が変わる可能性があると思っている。
それは日米同盟に依存してきた戦後日本の生き方を変える話になり、これほど重大な変化が訪れる時には、あらゆる可能性を俎上に載せて根本から議論を行うのが国家の仕事である。ところが現状の日本は重要問題を米国任せにし、ただ流れに身を委ねようとしているようにしか見えない。
それは私に第二次大戦後の重要な節目を自分の問題と捉えず、米国任せにしてきた過去の姿を思い出させる。旧ソ連が崩壊した時に米国の議会やシンクタンク情報を日本の政党、官庁、企業などに販売していた私は、米国が真剣な議論を行っているのに日本では何の議論も起こらないのが不思議だった。
第二次大戦の敗戦は「無条件降伏」だから敗戦後の日本が戦勝国の決めたままに生きるしかなかったのは理解できる。しかしソ連崩壊時の日本は自らの生き方を決められる経済大国である。ところが日本は何も自分では考えずに米国の言うままになった。それが私には「二度目の敗戦」に思えた。そして今、再び世界の構造変化が起ころうとする時に「三度目の敗戦」を迎える予感がする。
一度目の敗戦で戦勝国である米国は天皇制を残す代わりに日本を非武装国家にし、丸腰の日本を防衛するため沖縄を米軍の軍事拠点にした。古関彰一、豊下楢彦著『沖縄 憲法なき戦後』(みすず書房)によれば「象徴天皇制」と「戦争放棄」と「沖縄要塞化」は米国の戦後対日政策の三本柱でそれらは互いに密接に関連している。
しかし朝鮮戦争が勃発して東西冷戦が本格化すると、米国は一転して日本に再軍備を求め、吉田茂はこれを拒否して代わりに米軍の兵站を担うことにした。追放されていた軍需産業経営者が復活し、工業国家としてスタートした日本はベトナム戦争で飛躍的に成長した。
成長のカギは日本政治が三本柱の一つである「戦争放棄」をうまく利用したことにある。自社なれ合いの「55年体制」は、表で対立しているように見せながら裏では護憲勢力を一定程度に維持することで米国の再軍備要求と軍事負担の増大を抑え、経済に全力を注いで米国経済を圧倒するまでになった。
東西冷戦はそのからくりに有利に作用した。社会党政権が誕生しては困ると考える米国を「牽制」するのに護憲運動は効果を発揮した。米国は自民党政権に軍事的要求を飲ませるのに苦労する。ところが冷戦が終わるとこのからくりは続けられない。冷戦の終結は否応なく日本に「55年体制」に代わる政治構図を求めていた。
ソ連崩壊は米国を「唯一の超大国」にし米国は新たな戦略を策定する。ソ連に代わる敵は米国経済を侵食する日本と断定され、軍事負担を抑えて成長した日本経済の力を削ぐため日本経済を米国と同じ土俵に乗せ、軍事的隷属化を押し進めることが必要と考えられた。
日本に米国製兵器を買わせ、軍事負担を増大させ、自衛隊を米軍の肩代わりに使う。そのため欧州の冷戦は終わらせてもアジアの冷戦を終わらせてはならない。中国と北朝鮮を日本に脅威と思わせ、米国の軍事力にすがらなければ生きられない状況を作り出す。
一時期クリントン大統領は朝鮮戦争を終わらせ「最後の冷戦体制を終わらせた伝説」を作ろうとした。『ジャパン・アズ・ナンバー・ワン』の著者エズラ・ボーゲルらが構想を練り、東西ドイツ統一を下敷きに必要費用を日本に出費させる案が検討された。
しかし「アジアの冷戦を終わらせない」戦略をジョセフ・ナイやリチャード・アーミテージらが進言し、クリントンは朝鮮戦争を終わらせるのをやめ、中東和平に力を入れてイスラエルとパレスティナが共存する「オスロ合意」をまとめ自らのレガシー(遺産)とした。
現在、トランプ大統領が「最後の冷戦体制を終わらせた大統領」になろうとし、一方でエルサレムをイスラエルの首都と認めたことでクリントンがまとめた「オスロ合意」は反故にされた。歴史の無常と言うべきか。
クリントン外交は冷戦に勝利した米国の価値観を世界に広めることを第一義としたがトランプはそうではない。米国の目の前の利益を最優先に誰とでも取引をするのがトランプ流で、直近の外交はすべて秋の中間選挙と2年後の大統領選挙を睨んだ選挙目的が優先される。冷戦後の米国の戦略は無視である。
ソ連崩壊時の米国は新時代への対応を真剣に議論した。それは冷戦体制を一から見直す根源的な議論だった。例えば対ソ諜報を担ったCIAはソ連が崩壊したのだから「廃止」が前提となり、冷戦に対応するため海外に展開された軍は全面的な見直しが求められた。また核拡散を巡る議論も集中的に行われ、それらの議論に米国は2~3年の時間をかけた。
その結果、世界的な米軍再編が実行され、核拡散の危険がある中東や北朝鮮に目が向けられ、また「廃止」が前提のCIAはソ連崩壊で世界の先行きが不透明になることから逆に権限が強化された。
当時は米国だけでなく世界各国も冷戦後の世界がどうなるかを探り自国の生き方を模索したと思うが、日本には冷戦後の世界を構想し、冷戦後の世界に備えようとする議論が全くなかった。
宮沢総理は「日本も平和の配当を受けられる」とまるで楽観的な見通しを語り、ソ連を仮想敵として作られた日米安保条約を見直すことも、ソ連軍の侵攻を想定した自衛隊の配備も、ソ連と中国に対抗する戦略上の「要石」とされた沖縄についても何も議論されなかった。
それだけでなく米国議会が日本経済を分析し弱点を探ろうとした上下両院合同経済委員会の議事録を外務省や通産省に見せても、米国を抜いて世界一の債権国となった慢心のためか、危機感を持って議論する様子はなかった。日本にとって冷戦の崩壊は「対岸の火事」に過ぎないことを痛切に思い知らされた。
当時はリクルート事件による「政治とカネ」の問題が国民の関心事で、「政治改革」が熱っぽく語られていたが、日本が米国からソ連に代わる敵と見られ、軍事的に隷属化されようとしている現実はほとんど無視されていた。
私は冷戦構造を利用した日本政治のからくりが有効でなくなった以上「政治改革」には賛成だったが、それが米国の冷戦後の戦略と関連付けて認識されないことに不満だった。そして日本経済は米国主導のプラザ合意とルーブル合意でバブルとなり、それが破裂すると「失われた時代」が到来して、日本は米国の要求に次々に屈するようになる。
「二度目の敗戦」は世界の構造変化に無自覚だったために生まれた。そして米国の「アジアの冷戦を終わらせない」戦略に乗せられた日本は、ひたすら中国と北朝鮮に対する敵視政策を強め、それが安倍政権の集団的自衛権の行使容認として実を結ぶ。
ところがトランプ大統領の登場は米国の戦略を一変させた。トランプは「民主主義や基本的人権、法の支配」という「価値観外交」に全く関心がない。外交は米国の利益になるかどうかで判断し誰とでも交渉する。米国の忠実な僕として安倍総理が唱えた「価値観外交」はトランプによって吹き飛ばされた。
北朝鮮が米国本土を射程に入れた核ミサイルを手にしたことがトランプに北朝鮮との交渉を決断させた。「国際社会の圧力の結果」と言うのは外交上のレトリックに過ぎない。トランプの北朝鮮外交は米国の安全が第一、次にそこからどれだけ経済的利益を引き出せるかに重点が置かれている。
北朝鮮の豊富な地下資源と勤勉な労働力は投資の対象として魅力的だが、同時にトランプは兵器ビジネスに異常に肩入れする大統領である。北朝鮮の脅威を一定程度は残す方が米国に利益だと考える可能性がある。
米国民には「完全な非核化」と説明でき、一方で日本と韓国に対する兵器ビジネスに支障にならない程度の脅威は残す。トランプの米国がその方向を向いた時に日本はどうするか。それに備える議論をしておかなければならない。
冷戦期の日本は冷戦構造を巧妙に利用して経済的利益を吸い上げた。ところが冷戦が終わった時に世界の構造変化に無自覚で、米国主導の「アジアの冷戦を終わらせない側」に立って冷戦中に貯め込んだ金を米国に吸い上げられた。
その構造が激変しようとしている時、日本国内の議論はトランプ出現以前の米国の戦略に引きずられたままである。米国民がトランプを大統領に押し上げたのは、「民主主義や基本的人権、法の支配」を掲げて世界を支配しようとした負担があまりにも大きいことに国民が気づいたからだ。トランプ現象は一過性ではなくこれからも続く可能性がある。
ドイツのメルケルはトランプが登場したことで「欧州は米国に頼らずに自立すべき」と説いた。しかし日本の政治はトランプが登場しアジアの冷戦が終わろうとしても、トランプ以前とトランプ以降に関わりなく終始米国依存から脱却しようと考えない。奴隷の思想が蔓延しているのである。
米国、中国、韓国は北朝鮮を国際経済の中に取り込み、そこから利益を得る目的で「非核化」を進め、そこにアジアの未来を構想しているように見える。ロシアも立ち遅れないよう準備を進めているようだ。それに応えるべく金正恩は「経済強国」をスローガンにした。
しかし日本にはアジアに「尖閣問題」、「竹島問題」、「拉致問題」、「慰安婦問題」など解決しなければならない問題が多く、それらに足を取られてアジアの未来を構想するところまで至っていないように思う。
それらの問題を独自に解決する知恵と力を持つことが日本政治には求められているが、米国任せの安倍政権にはその知恵と力がない。その現状を見ると日本が「三度目の敗戦」を迎える予感から抜けられない。27年前のソ連崩壊時を思い出して私の憂鬱は晴れないのである。
<田中良紹(たなか・よしつぐ)プロフィール>
1945 年宮城県仙台市生まれ。1969年慶應義塾大学経済学部卒業。同 年(株)東京放送(TBS)入社。ドキュメンタリー・デイレクターとして「テレビ・ルポルタージュ」や「報道特集」を制作。また放送記者として裁判所、 警察庁、警視庁、労働省、官邸、自民党、外務省、郵政省などを担当。ロッキード事件、各種公安事件、さらに田中角栄元総理の密着取材などを行う。1990 年にアメリカの議会チャンネルC-SPANの配給権を取得して(株)シー・ネットを設立。
TBSを退社後、1998年からCS放送で国会審議を中継する「国会TV」を開局するが、2001年に電波を止められ、ブロードバンドでの放送を開始する。2007年7月、ブログを「国会探検」と改名し再スタート。主な著書に「メディア裏支配─語られざる巨大メディアの暗闘史」(2005/講談社)「裏支配─いま明かされる田中角栄の真実」(2005/講談社)など。