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【自然災害メモリアル】第302回:福井地震(1948)の日 [防災]要は気持ちの持ちよう
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【自然災害メモリアル】第302回:福井地震(1948)の日 [防災]要は気持ちの持ちよう

2019-06-28 21:00
    どうも、
    管理者のNDです。

    6月28日は、
    福井地震(1948)から71年です。

    戦後の復興という時に福井市内を襲った都市型震災の代表格で、
    福井平野は全壊がなんと100%に達した集落があるほどでした。
    しかも特に揺れ始めからわずか5~15秒であらゆる家屋が倒壊したという目撃証言としての
    記録も残っており、特に顕著だったのは
    戦災で焼けビルとなっていた、大和百貨店はこの地震で完全に倒壊してしまいました。

    地震の規模は、M7.1と浅い直下型で起きれば震災クラスは確実といえる規模です。
    死者は930人に及び、戦後の日本にまるで追い打ちをかけるような震災となり、
    絶望をこれでもかと、現地民に経験させられていきました。

    しかし、それでも復興を諦めなかったたくましい当時の県民が今の福井市を作り上げ、
    県庁所在地は今や震災の名残などないような、立派な市街地になりました。


    今回は、
    「要は気持ちの持ちよう」をテーマにお伝えします。

    戦後しばらくして発生したこの震災でもそうですが、
    家屋の下敷きになって絶命寸前の状態になった時に、
    自分の思い切りで命だけでも助かりたいという強い執念で、生き延びた人がいます。

    その思い切りというのは、なんと自分の腕を切断するように命じて火の手が迫るその場から
    逃れたというとんでもないものです。しかし、それで命が助かるならと腕を惜しまなかった
    強い意志が今や、その地震を後世に語り継ぐ、語り手として活動している人がいます。

    元々福井県は、この1940年代というのは、あまりにも災害に見舞われていて
    悲しいほかならない状態でした。まず空襲で市内は焼け野原にされ、
    3年後にこの地震が起きたあと、実はその後豪雨も起きて九頭竜川堤防が決壊、
    今度は街中が浸水する騒ぎとなってしまったのです。
    この災禍を諦めずに踏ん張った市民達の意地というものは、
    平成や令和の世の中では今やとても珍しいこととなってしまっています。

    要は気持ちの持ちようで、街を元通りかそれ以上の活気を取り戻すことだってできるのです。
    福井県では、戦後復興の流れもありましたが、復興計画が緻密に作られていたのが
    一つの決め手となって、立ち直りが早かったともいわれています。

    復興が一つの街起こしになるのであれば、それが大きな相乗効果につながるという希望はあります。
    慎重な世の中になっていますが、ピンチをチャンスに変えるだけの力が
    これからの時代には取り戻していかなければなりません。

    大きな震災が起きて、首都直下が壊滅したときに大切なのは、皆さんの意欲と復興に携わる
    その力です。昭和の魂を馬鹿にする人もいますが、尊敬するべき所はゴマンとあります。

    令和に求められる復興の力は、これからの時代は人口減少など、全体がマイナスイメージを
    持つ逆境からの切り返しともなります。日本全体が震災に屈することがなきよう、
    ひとりひとりの防災力を今こそ高めて行く必要があるのです。

    是非、皆さんには「どうせきたらその時はその時」と思わず、震災後の復興をある程度
    自分自身から計画し、防災に意欲を示してください。



    今日の記事は以上です。
    皆さんの防災意識に少しでもプラスすることができたら嬉しいです。

    明日もどうぞお楽しみください。
    尚、感想はブロマガコメント欄でも放送内のコメントでもお気軽にどうぞ。


    明日は、石川県で発生した金沢地震(1799)を紹介します。
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