ここで陸軍の「派閥史」を概観してみたい。

1873年に陸軍省が創設され、ここから山縣閥が始まる。山縣は1938年の生まれなので、スタート時はまだ35歳の若さであった。

1889年に、ドイツに留学した東條英機の父、英教が山縣に長州閥の弊害を直談判する。それが山縣の恨みを買って、英教は出世街道から脱落する。英教は34歳、山縣は51歳。英機は1984年の生まれなのでまだ5歳であった。

その山縣も、1918年に宮中某大事件を起こし、失脚する。80歳であった。ここで初めて山縣閥が崩れ、4年後の1922年に83歳で亡くなる。

山縣亡き後、陸軍の中で力を持ったのは長州閥ではない宇垣一成だった。宇垣は1868年に岡山県で生まれる。1900年に陸大を3位で卒業し、恩賜の軍刀を拝領する。いわゆる「恩賜組」だった。

彼は、若い頃に陸軍で第二の派閥だった薩摩閥の川上操六に気に入られ、出世する。川上は1899年に亡