弱いなら弱いままで。
平凡、凡庸、退屈、迷惑。『黒子のバスケ』脅迫事件の被告人意見陳述を読んだ。
いまネットで話題になっている『黒子のバスケ』脅迫事件の被告人意見陳述の全文を読んだ。
なかなか面白い。非の打ち所のない正論と取れるところもあれば、まったくの暴論とも取れるところもあって、全体的な印象がモザイクになっている感じ。共感できるところもあれば、そうでないところもあるというべきか。
だから、この文章について語るなら、各箇所を個別に語っていくべきで、全体を通して「ありか、なしか」と語ることにはあまり意味がないと感じる。
それでもあえて云うなら、ぼくの意見は「ああ、ネットでよく見かけるタイプだな」ということになるかもしれない。云ってしまえば、ごく平凡で、ありふれた文章で、はてなの匿名ダイアリーあたりに載っていても違和感がない気がする。
文章力そのものはなかなかに傑出しているが、内容的に斬新なものを見つけることはできなかった。まあそれはそうだろう。特に文才があって世に出たひとでもないのだから。
ただ、これだけ論旨の明快な文章を書いて内心を吐露してくれたことはありがたい。「なるほどねえ」と感心させられたことはたしかだ。ぼくにはほとんどない心理であるだけに、「そういうものなんだねえ」と思わせられた。
この文章で共感がわくのは、自身の「不幸」について、それが犯罪を正当化しないと述べているあたりだ。これはまったくの正論で、いくらか不遇な環境に置かれているとしても、だから劇場犯罪を起こして世間をさわがせて良いということにはならない。
そのことを正確に認識していることはそれなりに立派だと思う。まあ、「自分の不幸を客観視しているオレ偉い」というだけの心理なのかもしれないが、それでも一定の評価には値する。
一方で、「自分のような汚い顔のキモブサメンが成功したイケメンの足を引っ張ってはいけないのです。」などとしょうもないことを書いているあたりはまったく共感できない。
云うまでもなくこの犯人の容姿などどうでも良い。この犯人の顔はたしかに「汚い顔のキモブサメン」なのかもしれないが(ぼくは知らない)、べつだん、顔が醜いから逮捕されたわけではないのだ。
あたりまえのことだが、『黒子のバスケ』の作家が成功したのも生まれつきイケメンだったからではない。なぜここで容姿の話が飛び出してくるのかよくわからない。
まあそういう自意識のひとがいるということは理解できるが、少々冷たい云い方をするならば、この人物はかれの顔になどだれも興味はないということを知るべきではないだろうか。
ぼくはかれがキモブサメンであろうが、イケメンであろうが、まったくもってどうでもいい。ただ、「汚い顔のキモブサメン」という自意識から罪を犯したということそのものは、迷惑な話だなあと思うばかりである。ほんとうにこの人物が捕まって良かった。
ぼくはこの犯人が述べているようにかれ個人のために特別な方が適用されるべきだとは思わない。あたりまえの法であたりまえに裁けば十分だ。
かれは自分を「無敵」と捉えているが、そもそも日本の刑罰は、べつだん、かれの自意識を傷つけることを目的にしているわけではない。
だから、かれがそれを有効な罰として認識しないとしても特に問題はない。かれ自身はいかにも重要な問題であるかのように考えているかもしれないが、そこらへんはわりと自己中心的な考え方であるように思われる。
つまりは凡庸なのだ。「よくネットで見かける普通のひとの普通の意見」。これがぼくのこの文章に対する印象である。このような大犯罪をなした者もまた、ごく普通の人間なのだとわかったという意味では、読んだ価値はあった。
しかし、かれが世界の不幸の中心だとは考えないし、世紀の大犯罪者だとも思わない。かれのような「無敵の人」が今後続々出てくるだろうという予測にも特に賛成しない。
たしかに今後、経済的な沈滞と平行して日本の社会不安は増すだろうが、さすがにここまでの罪を犯す「無敵の人」が大勢いるとは考えない。そういう意味では、たしかにかれはある程度は突出して迷惑な人だったと云うこともできるだろう。
しかし、そうは云っても、かれの意見そのものは大したものではない。読みやすい文章には感心させられるが、特別な才気を感じさせるわけでもない。云ってしまえば平凡なしろものだ。
かれは出所後、自殺するつもりだと述べている。そのことについても特に感想はない。死にたければ死ねばいいだろう。いや、べつだん「死にたいならさっさと死ねよ」と突き放すつもりもない。
ぼくとしては、できれば生き抜いて幸せになってほしいが、まあさすがにむずかしいだろうし、どうしても死にたいようなら止めるすべはないと思っているというだけのことだ。
ただ、またも罪を犯すようなかたちで死ぬのだけはやめてほしいものだ。まあ、そこらへんはかれを信用するしかない。
それにしても、こういう暗い自意識を持った人物にはたしかに同情させられるものがある。というのも、ぼく自身はまったくこういうタイプではないからだ。
たしかにこういう考え方をしていると辛いだろうな、と思うわけである。たとえば、この犯人は全人生において恋愛経験がなかったと語っているが、それはぼくも同じである。
いままでただの一度も恋人を持ったことはない。というか、そもそも異性であれ同性であれ、ひとに対し恋愛感情を抱いたことがぼくにはない。それが特に異常だとは思わない。ごく普通のことだと思う。
ぼくがいつも非モテだ非リアだと云っているのは
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コメント
コメントを書く書いたあと気づいたけれど、「なかなか面白い」と書いていながら、タイトルに「退屈」と冠するのは矛盾しているかもしれないですね。まあぼくのなかでは筋が通っているんだけれど。
会員数が1000人超えたら何かパーティーをするみたいな話があったと思うのですがやらないのでしょうか?
ただ単純にまだ超えていないのですw
「自分の幸不幸の自分にとってどれほど重要性があるのか」という観点があるのか、と思って読ませていただきました。
「自分が大好き」というのは必ずしも当然の前提とは限らないのかと。