いつも読ませていただいているブロマガ「未来の普通」に「20歳で大人は厳しい? 実はその先にある40歳で真大人」という記事がありました。
弱いなら弱いままで。
いつも読ませていただいているブロマガ「未来の普通」に「20歳で大人は厳しい? 実はその先にある40歳で真大人」という記事がありました。
一生大人になれないかもしれないと思いながら生きていく。(2079文字)
いつも読ませていただいているブロマガ「未来の普通」に「20歳で大人は厳しい? 実はその先にある40歳で真大人」という記事がありました。
http://ch.nicovideo.jp/normahead/blomaga/ar81333
タイトル通りの記事なんだけれど、34歳にしていまだに大人になれている気が全然しないぼくとしては考えさせられる内容でした。
いや、34歳どころか、一生このまま大人になれないまま生きていくんじゃないかという気すらするわけで、ここらへん感覚のギャップが非常に大きいですね。
そもそも「大人になる」ということがどういうことかと考えると、「独り立ちする」「自分ひとりの力で生きていく」ということが非常に大きなウェイトを占めていると思うわけです。
しかし、ぼくはいまだに両親と同居していますし、この先、独立する予定もありません。そのほうがあらゆる面で快適だからですが、親といっしょに住んでいるとやはり感覚が「子供」に固定されるんですね。
そういうわけで、ぼくは34歳にしてなお、早く大人になりたいなーと思っているわけです。それでも以前に比べればたしかに少しは大人になれたような気がしますから、20歳の頃の自分の幼さというものは考えるだに恐ろしいものがあります。あの頃はほんとうに子供だったな、と。
まあ、そう考えるとひとの幼稚さを一概に責める気にはなれません。20歳なんて、中学校を出て5年しか経っていないわけですから、それは普通は幼いよね、と思いますね。
もちろん、そうはいっても一面では大人としての自立を求められるわけで、そういう意味では半分は大人になっていないと困るわけです(ぼくはなっていなかったので、困りました)。
だから20歳で「大人」、40歳で「真大人」という捉え方はなかなか的確かもしれないと感じます。まあ、ただ感性が老いることと大人になることは違っているわけで、可能なら若々しいセンスを保ったまま大人になりたいところです。その逆なら簡単なのですが。
日本人が総じて子供っぽくなったといわれるようになって久しいですが、たしかに昔のひとはずいぶん若く大人になっていた印象があります。それが良いことなのか悪いことなのかわかりませんが、ともかく社会にひとを大人にさせる強制力が働いていたのでしょう。
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コメント
コメントを書く映画「ted」のジョンのような子供感覚も、ときにはあったほうがいいこともあるのかもしれません。
あの映画の場合、そばにいる彼女はたまったものではないかもしれませんが。
『ただ、大人としてふるまうことを要求され、それにしたがって大人らしく行動していたというだけのことかと思われます。昔の人がみな賢かったのなら戦争など起こるはずがないのですから。』
大人であることないこと、賢い事賢くない事が戦争になるならないは左右しないんじゃないすかね。
おっしゃる通り責任をもつシーンが圧倒的に我々のほうがないですよね。
自分の体験談で言うと、大人であることの強制力でなく、子どもらしくあることを求められます。
『今のうちに好きなことをやっておいたほうがいい』にしろ、
『今のうちに大人になったときの備えをしておけ、将来を考えておけ』にしろ、
基本的に我々の子ども時代は準備期間と位置づけされています。
ですが、昔の映画や本などの媒体を読む限りでは、ですが、
子ども時代、というその時がすでに戦うステージのように見受けられます。
僕の子ども時代は娯楽的な理不尽しかなかったです。だから当時は頭いっぱいになる事でも、
今味わっている事に比べれば大したことない物が多い。生きる上ではどうでもいいことだからです。
多くの人がそうだと思います
『生きる上で理不尽な事』をどれだけ味わうかで、
はやい段階で、言葉の選び方、判断力は養われると思います
他の子どもと違って、子ども時代に支えられなかった人たちは
認識する力、判断する力を20代のそれとさしてかわらないレベルでもってます。
現実から逃げなかった人や、逃げてもどってきた人限定ですが。
とりあえず今お話しした内容は、
『大人』の定義を『包容力があり、わかってもらいたい気持ちを自棄ではなく、抑える事ができる人』としてます。