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「最強警察官」が鎖を引きちぎり、格闘技本格参戦! 日本人離れしたスーパーヘビー級の体格を持つ関根シュレック秀樹インタビュー。これまでは警察官という激務のあいまに柔術やMMAに参戦してきたが、12月2日ONEフィリピン大会参戦を前にして警察を退職。43歳にして格闘技に専念することになった。いったい怪物はなぜ安定した職を捨て、腕一本で勝負することを決めたのか?



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NOAHに何が起きてるのか/アジャ・コング覚醒の瞬間/「斎藤文彦INTERVIEWS」/僧侶プロレスラーの自由すぎる説法/関根シュレック秀樹……など  http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/201611



――もしも〜し! 関根さんでしょうか?


関根 はい、関根です。


――今日は電話インタビューということでよろしくお願いします!


関根 よろしくお願いします!


――12月のONEでONE世界ヘビー級王者ブランドン・
ベラとの試合が発表されましたが、なんと今後は格闘技に専念するため警察官をおやめになったそうで

関根 はい、やめました。

――関根さんは今年で43歳ですが……凄い決断ですね。


関根 いやもう悔いを残したくないということで決めました。


――なるほど……
今日は今回の決断を含めてお聞きしたいんですが、まずは格闘技を始めるきっかけからお願いします。

関根 小学校2年生のときに柔道を始めたんですけど、
保育園のときに交通事故に遭ってしまって。右足がちぎれそうになるほどの大ケガを負いまして。

――右足を!


関根 ケガのせいでずっと右足を引きずってたんですけど、
それが原因で上級生にイジメられてて。そいつらを倒すために柔道を始めたんです。

――見返すために。


関根 はい。中学に柔道部はなかったんですけど、町の柔道場に週1〜
2回は通ってまして。高校では柔道部でしたね。

――その頃から将来格闘技をやってみたいと思ってたんですか?


関根 高3のときに『格闘技通信』
を読んで骨法をやりたいなとは思いましたけど(笑)。

――うわっ、関根さんは骨法世代なんですね(笑)。


関根 「これは凄い格闘技が現われた!」と思って(笑)。
大学に進んだら骨法に入ろうとしたんですけど、大学が山梨だったもんでね。

――危なく三角の構えをやらされそうになったんですね……って、何が危ないのか(笑)。


関根 東京の大学だったらおそらく骨法をやってましたね(笑)。


――骨法世代だとすると、
当時始まったばかりのMMAにも興味はあったんじゃないですか?

関根 そのときは柔道をやっていて満足していたのと、
途中からプロレスが好きになったんですよね。同級生のプロレスオタクにプロレス雑誌やビデオを見せられ、会場にも連れて行かれて。それでUインターが好きになったんですよね。Uインター以外にも、みちプロ、W☆ING、全日、全女も大好きでしたけど。

――90年代特有の雑食主義ですね(笑)。


関根 格闘技よりもプロレスが好きになって、
プロレスラーになりたかったんですよね。一番入りたかったのはUインターなんですけど、ボクが大学4年生のときにUインターの経営が危なくなっちゃっ。新日との対抗戦は凄く盛り上がったんですけど……。

――では、
武藤敬司vs髙田延彦の結果にはガッカリしたんじゃないですか?

関根 でも、翌日にはドラゴンスクリューと4の字固めを練習していました。切り替えて「武藤、最高!」って(笑)。

――ハハハハハハハハハ!


関根 結果を受け入れて楽しむ懐の深さは身についてましたねぇ。


――ほかの団体への入門は考えてなかったんですか?


関根 いや、自分はタッパ(身長)がないんで。
新日も全日も無理な感じでしたけど。

――入門テストは受けなかったんですよね?


関根 受けようと思って親に言ったら凄く怒られて。「
大学まで出してやったのに、なんだそれは!?(怒)」ってことで、無理やり警察を受けさせられたんです。それで警察官になりました(笑)。

――骨法を入っていたかもしれないし、
Uインターに入っていたかもしれない人生なんですね(笑)。

関根 ハハハハハハハハハ。
警察に入ってから機動隊や刑事をやってたんですけど。刑事もいわゆるマル暴という暴力団担当係で。

――マル暴! 怖い思いをしたことはあるんですか?


関根 とくにはないですけど……
家族とショッピングモールを歩いているときに、自分が担当したヤクザモンに声をかけられまして。そのときはちょっとね、心配な思いはしましたけど。

――それはイヤですね……。


関根 そのヤクザモンは出所して反省してる人間なので、
何かされるとは思わなかったですけど。家族と外を歩くときは、なるべく離れて歩いてもらってましたね。

――柔術の出会いも刑事時代なんですよね。


関根 あるとき国際捜査係という部署に異動になったんですね。
外国人による組織犯罪の係。浜松にはいろんなブラジル人コミュニティがあるんですけど、当時はブラジル人の犯罪が多発してまして。刑事は情報が命なところがあるので、ブラジル人を理解するためと、不良ブラジル人の情報がほしいためにブラジル人がやってる柔術ジムに入ったんです。それからブラジリアン柔術を始めたんですね。

――捜査の一環だったんですか!

関根 はい。自分は柔道をやってましたし、
PRIDEが大好きでノゲイラやヒクソンも好きだったし、オモプラッタとかをやってみたいと思ってたところもあったんですけどね。

――刑事ってそこまでやるんですね……。

関根 やっぱり協力者、情報は重要なので。でも、
日本人もそうですけど、普通に暮らしてる人って悪い人とは付き合わないし、何も知らないですよね。真面目な人にはヤクザの知り合いはいないし、アウトローはアウトロー、真面目な人は真面目な人との付き合いがある。

――そこはブラジル人も同じだったんですか?


関根 はい。
ブラジル人たちも真面目な人たちとアウトローに分かれていて。自分が入った柔術のジムも真面目な人たちばかりで、不良のブラジル人がひとりもいないんですよ。こないだも「この悪いブラジル人、知らない?」って聞いても当然誰も知らなくて。

――属性で判断してはいけないってことですね。

関根 そうなんですよね。振り返ってみれば、
自分が暴力団の係をやってるときも協力者はそっちの世界に片足を突っ込んでる人たちだったなって。それに驚いたのは柔術を始めて1ヶ月後に出た大会の試合で、ジムのブラジル人の家族や知り合いが血相を変えて応援してくれるんですよね。大声で日本人だったらみっともないくらい(笑)。その応援にビックリしちゃって「なんで他人のためにここまで応援できるんだろ?」って興味が出てきたんです。そうして一緒に過ごすうちに心がきれいで温かいブラジル人たちに感激しちゃって、このままずっと一緒にいたいってことで柔術にハマっていったんですよねぇ。

――意外なきっかけなんですねぇ。いい話です!(笑)。


関根 「いままで自分はなんて汚い心だったんだろう……」
って反省しました。ブラジル人の温かさに浄化されちゃいましたね(笑)。