閉じる
閉じる
×
後楽園大会に大会まるごと「直輸入」された危険な格闘技「ミャンマーラウェイ」。素手で殴り合い、頭突きあり、KOされてもタイムで2分間休憩できるなど、いちいち物騒なルールなのだ。来年2月に再上陸する「地上最も過激な格闘技」の体験者である紅闘志也選手にその実態を伺った。
──日本で一番ラウェイに詳しいのは紅闘志也さんだと聞いて飛んできました! ぜひラウェイについて教えてください!
紅 よろしくお願いします。ちなみに、今年8月にミャンマーで『ラウェイワールドチャンピオンシップ』という大会があったんですけど、そのときに自分はレフェリーの許可書を取ってきたんですよ。
──ラウェイのレフェリーライセンスを所持してるんですね。なんだかカッコイイ!(笑)。
紅 まあ、けっこう適当に取れるんですけどね(笑)。
──紅さんはラウェイへの参戦経験がありますけど、そもそもラウェイとの最初の接点はどういう感じだったんですか?
紅 自分がラウェイを知ったのは96年頃ですね。当時タイで2日連続試合をやらされたことがあったんですけど、その一つがラウェイだったんです。
──2日連続で試合をする時点でムチャクチャですね(笑)。
紅 初日の試合は普通のムエタイでKO勝利することができたんですけど、「2日目の試合は計量もないし、遊びみたいなもんだからもう1試合やるか?」と誘われて。タイの田舎のほうまで3時間以上かけてバイクで連れて行かれて闘ったのがラウェイでしたね。
──3時間かけて移動後にラウェイ!(笑)。
紅 そこでタイとミャンマーの対抗戦みたいな大会をやってて。当時は自分もラウェイの存在を詳しくは知らなかったんですけど、大道塾の市原海樹さんとかがラウェイに参戦したという話はちょこっと聞いたことがあって。まさか自分が闘うことは思っていませんでしたけど……。
──市原海樹さんのラウェイ挑戦はかなり話題になりましたね。
紅 いま振り返ってみると、自分らがやった試合なんかラウェイの下の下の試合。ファイトマネーも日本円で数百円程度なんですけどね。
──数百円の死闘!
紅 相手もそんなに強くないミャンマー人だったと思いますし。とはいえ、やっぱり何が起こるかわからない怖さというのはありましたから。とにかく「ケガをしないで帰りたい」という思いだけで戦いましたね。その試合で死んでいたとしても、新聞にも出なかったと思いますから……。
──素手、頭突きありの未知の格闘技ですもんねぇ。
紅 ルールもよくわからないまま戦いましたからね。計量はないし、とにかく素手で闘って、頭突きもOKだという話だけで。
──試合前に詳しい説明はないわけですか。
紅 ないです。
──ひえ~!!(笑)。
紅 だから、そのときは勝ち負けよりも、とにかく「生きて帰ろう!」と。その場でどう闘うかを考えるわけですけど、前の試合なんかを見ていたら、ブレイクから試合再開までけっこう時間がかかるというのがわかってくるんですね。その大会はタイとミャンマーの対抗戦だったから、タイ人とミャンマー人のレフェリーが一人ずついて、ブレイクになるたびにレフェリー同士が握手して、選手を分けて「ファイト!」とやっていたので。そのやりとりを観て「これで時間稼ごう」と。実際、自分は試合中にタックルをしまくって、相手が倒れた瞬間にちょっと殴ったりとかして。その戦法を5ラウンドやり続けて引き分けましたけど。
──その「タックルして殴る」というのはルール上OKなんですか?
紅 タックルはOKでしたけど、倒れた相手を殴るのはダメなんですよ。でも、そのときはルールがよくわからないから。ラウェイは5ラウンド制で判定決着もないので、試合が終わったときは「ケガしなくてよかったなあ……」ってホッとしました。
──その大会はお客さんを入れてるんですよね?
紅 います、います。試合場は野外なので、お客さんはそのへんの床に寝転がったり。一種のお祭りみたいな感じですね。
──地域の小さいイベントみたいな。
紅 そこから10年ぐらい経ったあとに、和術慧舟會の西良典さんが長崎でやっていた『Kushima's Fight』というイベントの中で、何試合かをラウェイルールでやるという話を聞いたんです。当時、水道橋にバンゲリングベイというジムがあって、自分はその当時フリーの格闘家で練習はそこでもやらせてもらってたんですよ。そのジムで寒川直喜も練習してて、寒川が『Kushima's Fight』に出ることになりそうだ、と。で、寒川は、自分が昔ラウェイの経験があることを知ってたんで、「一緒に練習してくださいよ」と。しかも、そのとき寒川が指導を頼んでいたのが当時格闘結社田中塾の田中健一さんだったんですよね。
──田中さんはミャンマー現地に選手を送り込んでましたね。
紅 一番最初の公式緬日ラウェイ対抗戦で日本からラウェイ日本選手団を率いたのが田中さんでした。その前に、関西の空手家・長谷和徳さんなどが個人で飛び入り参加する機会はあったんですけど、ミャンマー政府公認のラウェイ協会での試合をしたのは2004年7月田中さんたちが初めてだったみたいです。
──いわゆる野試合ではいろんな人がやっていたけど。
紅 市原さんや長谷さんも公認ではなかったです。そのあと04年にミャンマーで日本チームとの対抗戦をやったときも、田中さんのジムにいた田村彰敏でしたっけ? その選手が勝ったのはけっこう話題になりましたよね。
2004年緬日対抗戦・田村彰敏勝利
紅 ついでに言うと、パンクラスにも出ていたシャノン・“ザ・キャノン”・リッチとか、あのへんも昔ラウェイに出たことがあるはずですよ。
──おお、シャノン・リッチも(笑)。
紅 田中さんは当時からラウェイの攻略法を凄く考えていた人だったんです。だから俺も、寒川と練習しているときに「ちゃんと練習できるなら、俺ももう一回やってみたいな」と思ったんですよね。
──それで何度かラウェイに参加するようになるわけですか。
この続きと、永源遥、NOAH新体制の謎、那須川天心、グレイシー柔術、ディファ有明閉鎖、アジャ・コングなどの記事がまとめて読める「14万字・詰め合わせセット」はコチラ http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1164999
この記事は有料です。記事を購読すると、続きをお読みいただけます。
入会して購読
この記事は過去記事の為、今入会しても読めません。ニコニコポイントでご購入下さい。