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Dropkick
米国女子MMAは、いちローカル団体の冒険から始まった…『フックンシュート』、22年の歴史に幕をおろす■MMA Unleashed
Omasuki Fightの北米MMA抄訳コラム――今回のテーマは……格闘技ファンなら一度は耳にしたことある老舗MMA団体『フックンシュート』、万感のラストショー――!!
米国女子MMAは、いちローカル団体の冒険から始まった
フックンシュート(HOOKnSHOOT)、22年の歴史に幕をおろす
米国のメジャーMMA団体で初めて女子の試合が行われたのは、2006年12月にストライクフォースが本拠地サンホセの旧HPパビリオンで行った「ジーナ・カラーノ対エレーナ・マックスウェル」であるとされる。
しかしインディ団体を含めれば、米国で初めて女子MMAの試合を組んだのは、1995年にインディアナ州エヴァンスビルで設立された、プロレスラーが顔をしかめそうな名前の団体、『フックンシュート(HOOKnSHOOT)』である。
創設者のジェフ・オズボーン(47)は、女子MMAを実施することになったのは、日本の女子格大会『ReMix』のVHSテープを見たことがきっかけだったと述べている。
「私よりも女房と娘が夢中になって見ていた。メグミ・ヤブシタというすごく小さい選手が、大きな選手を相手に粘り強く戦っている様子をみて、とりこになっていたんだ。そこで私は北米にいる女子MMA選手に声をかけまくった。女子の試合は男子の試合とは違っているように見えた。女子はエゴのために戦わないから、リスクを取ることを厭(いと)わない。男子の方がむしろ、負けることや弱い姿をさらすことを恐れているように見えた」
1999年から女子MMAの試合を組み始めていたフックンシュートは、2002年に女子だけの大会、『Revolution』を開催する。デビ・パーセル、タラ・ラロッサ、エリカ・モントーヤら全14選手が出場した。2004年の第2回大会では、藤井恵対モントーヤをメインイベントに、ロクサン・モダフェリ、モーリー・ヘイゼルらが出場。2005年の第3回大会では、8人参加のワンナイト・トーナメントでジュリー・ケッジーが優勝を飾っている。また、2007年大会のトーナメントには、ミーシャ・テイト、ジャン・フィニーらが参加、ケイトリン・ヤングが優勝を飾った。
当時を振り返って、タラ・ラロッサは次のように語っている。
「当時のMMA関係者にとって、インターネットといえば東海岸では掲示板の『The Underground(UG)』、西海岸では『Sherdog』のことを指していた。で、UGで私のことをひどく嫌っていた女がいた。私も同じ気持ちだった。そんな時ジェフ・オズボーンが、女子の格闘技大会を開くから、そこでこの女と戦ってみないかと連絡してきた。掲示板でのヒートに目を付けて、声をかけてきたのだ。断る理由などなかった」
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