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非会員でも購入できる大好評インタビュー詰め合わせセット! part38は大好評インタビュー15本、コラム10本、14万字で540円!!(税込み)
part38収録記事
FMW女子部の一期生として団体旗揚げから活躍してきたシャーク土屋インタビュー前編!! 土屋は糖尿病により右ヒザ下切断、癌により右胸全摘手術という闘病生活を送っていたが、昨年11月に引退セレモニーを行なっている。デザイナー志望がひょんなことから悪の限りを尽くす猛毒ヒールレスラーになるまでの半生をお読みいただきたい!!(聞き手/小野仁)
――FMWの旗揚げ準備期間に団体のロゴマークを制作したことがきっかけになったという風変わりな入門のエピソードを、まずはあらためて詳しくうかがいましょう。
――その人こそ大仁田厚だったわけですね。
土屋 そう。「自分、デザインできるんだって?」って聞かれて「はい、デザインの学校に行ってます」って答えたら、「いま会社を立ち上げてんだけど金がなくてさ、ロゴマークを作ってくんねぇ?」って言われて「あ、はい。自分でいいんですか」「いいいい、全然。(プロの)デザイナーに頼めねぇから」って。
――そんな発注だったんですね(笑)。
――ちなみに、ロゴの制作代は少しでも出たんですか?
土屋 大仁田さんが「これでメシでも食ってけ」って、お姉さんに5000円渡して、2人で食事して終わりだよ(笑)。
――その初対面のときに、いきなりプロレスラーとして勧誘されたそうですね。
土屋 「自分、身体デカいなぁ。ウチ、女子部やるけど、やるか?」って言われて「はい」って返したら、「じゃあ、1期生でデビューが決まってる奴がいま下(事務所ビル地下の道場)で受け身やってっから見てけよ」って。見に行ったら「ドドドドーン!」って感じでとんでもない受け身を取ってるんですよ。「どういう受け身だ!? 頭打ってるだけだろ!」って格闘技やってない自分が見てもわかる。それが里美和(笑)。
――衝撃の初対面だったんですね(笑)。
土屋 それがまた「アゲハ蝶かオマエは!?」というようなスウェット着てやがって(笑)。ぜってぇコイツとは仲良くなれねぇと思ってたもん。
――土屋さんとは真逆のキャラクターですよね(笑)。
土屋 無理! あんなカラフルなスウェット着てる奴とは……って感じだったんだけど、すっかり仲良くなったどころか、自分が倒れたときに助けてくれた救いの主だからねぇ。人生どうなるかわからないもんだね(しみじみと)。
「FMWアイドル女子レスラー」の今はキリスト教伝道師……里美和ロングインタビュー
http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1183681
――入門テストなしで練習生生活を始めたかたちですが、その時期を覚えていますか?
土屋 旗揚げ(1989年10月)まで、そんなに時間がなかったはずだから、3ヵ月ぐらい前だったんじゃないかなぁ。ウォーリー山口さんに借りてた馬込の事務所地下に道場があって、そこで元たけしプロレス軍団(TPG)の人たちに教わってたんだよね。受け身は高山さん(圭司=外道)に習ったのよ。あの人に習ってよかったと思うね。自分は高山さんと練習時間が重なることが多くて、おかげさまで受け身はうまくなったね。
――もちろん、大仁田さんとも顔を合わせる機会はあったわけですよね。
土屋 よくイジメられたよ。オーディション組が入ってくる前なんて、美和ちゃんと自分の2人しかいないから、「おう、おう、土屋! カレー作ったから食ってけ。里も来い」なんて言われて食わされたけど、もう辛いのよ! あの人のカレーって。
――邪道カレーは激辛!
土屋 食わねぇと怒られるから、辛いの苦手だったのにガマンしてやっと食ったら、「おーう、食ったか。2杯目いけ! どうだ?」「おいしいです」「ホントか!? オマエ~」って。そこで「ちょっと辛いですね」なんて言おうもんなら「おい! たいがいにしろ!」って怒られっから。
――カレーの辛さも文句は言えないんですね(笑)。
土屋 これは旗揚げあとだけど、雪が降った日なんか、ウチら2人、壁際に立たされて、5mも離れてないところから雪球を思いっきり投げつけてくるからね、あの人。後ろが壁だから、ウチら横にしか逃げられないわけだよ! 雪球が壁に当たってカツンっていうから、「大仁田さん、何か入れました!?」って聞いたら「石ぃ!」って。
――危ないですよ!(笑)。
土屋 「石入れないでくださいよぉ!」「ウ●コよりいいだろぉ?」とか笑って言いながら(苦笑)。
――何発かは当たったんじゃないですか?
土屋 当たったよ。そうやってフツーにイジメられたからねぇ、ウチら2人は。
――大仁田さんとしてはイジメてるつもりじゃないんでしょうけどね。
土屋 遊んでるつもりなんだけどね。
土屋 基本、イタズラ好きだからね。だけど、こっちがイタズラだと思ってると、それがシリアスなときがあるから見極めが難しいんだけど……。道場で美和ちゃんと2人で腹筋やってたらさぁ、「おうおう、やってんなぁ」って革靴のままリングに上がってウチらの腹を踏んでくわけよ。それもトレーニングだと思って一生懸命耐えてたんだけど、美和ちゃんが踏まれた勢いでオナラ出ちゃったのよ。そしたら、「オマエ、たいがいにしろよ!」って、革靴の角でコーンって殴られちゃって(笑)。
――「たいがいにしろ」って、大仁田さんが踏むから圧迫されたんでしょう!(笑)。
土屋 そこで「オマエが踏むからだ!」って言えないから(苦笑)。こっちが「たいがいにしろ」って言いたいけど。まぁ、でも楽しかったよ。
――FMW初期の頃には1台のバンにギュウギュウ詰めに乗って移動していたそうですね。
土屋 初期の頃に大仁田さんがバンを運転して、みんなで移動してたときに、途中に海があったんだよね。ニタさんが釣り好きだから、その頃は市ちゃん(フライングキッド市原)か誰かが付き人で、いつも竿を持たせてんのよ。そしたら「オイ、寄ってくぞ」って。
――試合前に釣りですか。
土屋 こっちからすれば「えっ、会場に向かわなくていいんですか!? いいのかな? リング作りやらなくて」って感じ。男子に「オイ、うつぼ獲ってこい、素手で」とか。2時間ぐらいで結局、ちっちゃいフグみたいのを1匹釣り上げて「なんだよ! 釣れねぇな」って、海に放り返して会場に向かったの(笑)。そういう思い出もあるけど、ごく最初の頃って、自分はあんまり地方(巡業)に行ってないんだよね、美術学校に通っていたから。
――学校に通いながらのプロレス活動だったんですね。
土屋 大仁田さんが「ちゃんと卒業はしておけ!」って。関東近辺とか、行けるところは行ってたから、ほとんど気づかれてないようだけどね。
――一介の新人ながらにスポット参戦だったという。
土屋 会社もお金なかったはずだけど、(巡業に途中で合流する場合の)交通費は出してくれてたんだよ。だって、そうしないと、自腹でなんか行けるわけないじゃん。ウチの親はお金持ってたけど、「交通費ないと試合に行けないんだ~」って言ってお金くれるような親じゃないから。「じゃ、行かなきゃいいじゃん?」って言われるのオチで(笑)。テッド(・タナベ=故・田辺哲夫氏)っていたじゃん、レフェリーの。
――みちのくプロレスでもレフェリーをやられていた。
土屋 あの人が送り迎えしてくれた。車持ってたからね、FMWの宣伝カーだったライトバンだけど。「ごめん、テッド、迎えに来て」って。「家(練馬区の実家)の近所の川越街道まで自転車で行くから拾ってって」とか。たしかテッドは護国寺あたりに住んでたんだよ。それで練馬に寄って拾ってもらってたんだよね。
――新人だった土屋さんからしたら、業界の大先輩ですよね。
土屋 テッド? 大先輩かもしれないけど、ツッチーツッチーって可愛がってくれたから、使えるものは使わなきゃ!って(笑)。
――まさか、当時から本当にテッド呼ばわりしてたわけじゃないですよね?
土屋 いや、「テッド」とも呼んでたよ。時によって「田辺さん」とか「テッド」とか使い分けて(笑)。テッドがすっげぇデブだったじゃん。横向きに寝てたら(身体の下敷きになった)自分のヒジが脇腹に入ったらしくってアバラを折ったことがあってさ、体重で圧迫されて。
――ええええ!?(笑)。
土屋 朝起きたら、なんか息するだけで痛ぇなっていうんで病院に行ったら、肋骨が折れてたんだって。「何やってんの!?」って、みんなでバカにした覚えもあるし(笑)。
――テッドさんがFMWにいたのは本当に初期の頃ですよね。
土屋 うん。オーディション抜きで最初に入った美和ちゃんと自分の2人を何かと可愛がってくれてた。食事に連れてってくれたりね。とくに自分のほうが面倒見てもらったかな。
――その頃はテッドさんも決して金銭的に余裕があったわけではないでしょうけど。
土屋 それでも先輩がオゴるっていう、プロレス界のしきたりだよね。オゴられるっていえば、リッキー(・フジ)さんはパチンコが好きでさ、勝つと「いいよ。ファミレス行こうぜ」って連れてってくれんの。チャラとかトントンだと「長崎ちゃんぽんな。ちゃんぽんだけだぞ。餃子も食いたかったら自腹な」って、シビアなオゴり方をしてくれた(笑)。
――餃子は自腹(笑)。
土屋 それから、ヒールバスを運転していたデンジャラスドライバー・タケウチね。
――“有刺鉄線職人”としてマニアの間で知られる武内正義さんですね。
土屋 よしか(クラッシャー前泊)と非道と3人で、みんな1000円ぐらいずつ出して、残りは全部、武内さんにお世話になってたね。あの人は凶器作りの名人でさ、ヒールバスの連中はみんな「運ちゃん、これ壊れた~」って(笑)。
――修理を頼んでたんですね。
土屋 自分がFMWを離れて単独で動いていた時期にも「有刺鉄線木刀が折れたから新しいの作って」って頼んで、LLPWの会場に新品の有刺鉄線木刀を送り届けてくれたこともあったね。
――こうして聞くと、土屋さんにとって、レスラーとしての生まれ故郷であるFMWは、かなり快適な
空間だったようですね。
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FMW女子部の一期生として団体旗揚げから活躍してきたシャーク土屋インタビュー前編!! 土屋は糖尿病により右ヒザ下切断、癌により右胸全摘手術という闘病生活を送っていたが、昨年11月に引退セレモニーを行なっている。デザイナー志望がひょんなことから悪の限りを尽くす猛毒ヒールレスラーになるまでの半生をお読みいただきたい!!(聞き手/小野仁)
――FMWの旗揚げ準備期間に団体のロゴマークを制作したことがきっかけになったという風変わりな入門のエピソードを、まずはあらためて詳しくうかがいましょう。
土屋 自分はさ、高校を卒業して美術学校に通ってたんだけど、「プロレスラーになりたい!」って熱が高まって、1度だけジャパン女子のオーディションを受けて落ちたんだよね。そのときに知り合ったお姉さんと仲良くなって、その人がFMWの事務所に入ってたんだよ。そうとは知らずに、ある日、お姉さんに「顔貸しな」って言われてついてったら、事務所に黒っぽい人が座ってて……。
――その人こそ大仁田厚だったわけですね。
土屋 そう。「自分、デザインできるんだって?」って聞かれて「はい、デザインの学校に行ってます」って答えたら、「いま会社を立ち上げてんだけど金がなくてさ、ロゴマークを作ってくんねぇ?」って言われて「あ、はい。自分でいいんですか」「いいいい、全然。(プロの)デザイナーに頼めねぇから」って。
――そんな発注だったんですね(笑)。
土屋 で、「インパクトがあるロゴにしてくれ」って言われたから、文字だけじゃなくてファイティングポーズのシルエットを入れてね。あれは大仁田さんのシルエットをかたどったんだけど、本人いわく「ちょっと短足すぎねぇか?」って(笑)。
FMW初期の団体ロゴマーク
http://blog.goo.ne.jp/miwatti88/e/c35c1d6e4e30e7a6df0ceddb3904bba1
FMW初期の団体ロゴマーク
http://blog.goo.ne.jp/miwatti88/e/c35c1d6e4e30e7a6df0ceddb3904bba1
――ちなみに、ロゴの制作代は少しでも出たんですか?
土屋 大仁田さんが「これでメシでも食ってけ」って、お姉さんに5000円渡して、2人で食事して終わりだよ(笑)。
――その初対面のときに、いきなりプロレスラーとして勧誘されたそうですね。
土屋 「自分、身体デカいなぁ。ウチ、女子部やるけど、やるか?」って言われて「はい」って返したら、「じゃあ、1期生でデビューが決まってる奴がいま下(事務所ビル地下の道場)で受け身やってっから見てけよ」って。見に行ったら「ドドドドーン!」って感じでとんでもない受け身を取ってるんですよ。「どういう受け身だ!? 頭打ってるだけだろ!」って格闘技やってない自分が見てもわかる。それが里美和(笑)。
――衝撃の初対面だったんですね(笑)。
土屋 それがまた「アゲハ蝶かオマエは!?」というようなスウェット着てやがって(笑)。ぜってぇコイツとは仲良くなれねぇと思ってたもん。
――土屋さんとは真逆のキャラクターですよね(笑)。
土屋 無理! あんなカラフルなスウェット着てる奴とは……って感じだったんだけど、すっかり仲良くなったどころか、自分が倒れたときに助けてくれた救いの主だからねぇ。人生どうなるかわからないもんだね(しみじみと)。
「FMWアイドル女子レスラー」の今はキリスト教伝道師……里美和ロングインタビュー
http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1183681
――入門テストなしで練習生生活を始めたかたちですが、その時期を覚えていますか?
土屋 旗揚げ(1989年10月)まで、そんなに時間がなかったはずだから、3ヵ月ぐらい前だったんじゃないかなぁ。ウォーリー山口さんに借りてた馬込の事務所地下に道場があって、そこで元たけしプロレス軍団(TPG)の人たちに教わってたんだよね。受け身は高山さん(圭司=外道)に習ったのよ。あの人に習ってよかったと思うね。自分は高山さんと練習時間が重なることが多くて、おかげさまで受け身はうまくなったね。
――もちろん、大仁田さんとも顔を合わせる機会はあったわけですよね。
土屋 よくイジメられたよ。オーディション組が入ってくる前なんて、美和ちゃんと自分の2人しかいないから、「おう、おう、土屋! カレー作ったから食ってけ。里も来い」なんて言われて食わされたけど、もう辛いのよ! あの人のカレーって。
――邪道カレーは激辛!
土屋 食わねぇと怒られるから、辛いの苦手だったのにガマンしてやっと食ったら、「おーう、食ったか。2杯目いけ! どうだ?」「おいしいです」「ホントか!? オマエ~」って。そこで「ちょっと辛いですね」なんて言おうもんなら「おい! たいがいにしろ!」って怒られっから。
――カレーの辛さも文句は言えないんですね(笑)。
土屋 これは旗揚げあとだけど、雪が降った日なんか、ウチら2人、壁際に立たされて、5mも離れてないところから雪球を思いっきり投げつけてくるからね、あの人。後ろが壁だから、ウチら横にしか逃げられないわけだよ! 雪球が壁に当たってカツンっていうから、「大仁田さん、何か入れました!?」って聞いたら「石ぃ!」って。
――危ないですよ!(笑)。
土屋 「石入れないでくださいよぉ!」「ウ●コよりいいだろぉ?」とか笑って言いながら(苦笑)。
――何発かは当たったんじゃないですか?
土屋 当たったよ。そうやってフツーにイジメられたからねぇ、ウチら2人は。
――大仁田さんとしてはイジメてるつもりじゃないんでしょうけどね。
土屋 遊んでるつもりなんだけどね。
――むしろ可愛がっている証拠というか……。
土屋 基本、イタズラ好きだからね。だけど、こっちがイタズラだと思ってると、それがシリアスなときがあるから見極めが難しいんだけど……。道場で美和ちゃんと2人で腹筋やってたらさぁ、「おうおう、やってんなぁ」って革靴のままリングに上がってウチらの腹を踏んでくわけよ。それもトレーニングだと思って一生懸命耐えてたんだけど、美和ちゃんが踏まれた勢いでオナラ出ちゃったのよ。そしたら、「オマエ、たいがいにしろよ!」って、革靴の角でコーンって殴られちゃって(笑)。
――「たいがいにしろ」って、大仁田さんが踏むから圧迫されたんでしょう!(笑)。
土屋 そこで「オマエが踏むからだ!」って言えないから(苦笑)。こっちが「たいがいにしろ」って言いたいけど。まぁ、でも楽しかったよ。
――FMW初期の頃には1台のバンにギュウギュウ詰めに乗って移動していたそうですね。
土屋 初期の頃に大仁田さんがバンを運転して、みんなで移動してたときに、途中に海があったんだよね。ニタさんが釣り好きだから、その頃は市ちゃん(フライングキッド市原)か誰かが付き人で、いつも竿を持たせてんのよ。そしたら「オイ、寄ってくぞ」って。
――試合前に釣りですか。
土屋 こっちからすれば「えっ、会場に向かわなくていいんですか!? いいのかな? リング作りやらなくて」って感じ。男子に「オイ、うつぼ獲ってこい、素手で」とか。2時間ぐらいで結局、ちっちゃいフグみたいのを1匹釣り上げて「なんだよ! 釣れねぇな」って、海に放り返して会場に向かったの(笑)。そういう思い出もあるけど、ごく最初の頃って、自分はあんまり地方(巡業)に行ってないんだよね、美術学校に通っていたから。
――学校に通いながらのプロレス活動だったんですね。
土屋 大仁田さんが「ちゃんと卒業はしておけ!」って。関東近辺とか、行けるところは行ってたから、ほとんど気づかれてないようだけどね。
――一介の新人ながらにスポット参戦だったという。
土屋 会社もお金なかったはずだけど、(巡業に途中で合流する場合の)交通費は出してくれてたんだよ。だって、そうしないと、自腹でなんか行けるわけないじゃん。ウチの親はお金持ってたけど、「交通費ないと試合に行けないんだ~」って言ってお金くれるような親じゃないから。「じゃ、行かなきゃいいじゃん?」って言われるのオチで(笑)。テッド(・タナベ=故・田辺哲夫氏)っていたじゃん、レフェリーの。
――みちのくプロレスでもレフェリーをやられていた。
土屋 あの人が送り迎えしてくれた。車持ってたからね、FMWの宣伝カーだったライトバンだけど。「ごめん、テッド、迎えに来て」って。「家(練馬区の実家)の近所の川越街道まで自転車で行くから拾ってって」とか。たしかテッドは護国寺あたりに住んでたんだよ。それで練馬に寄って拾ってもらってたんだよね。
――新人だった土屋さんからしたら、業界の大先輩ですよね。
土屋 テッド? 大先輩かもしれないけど、ツッチーツッチーって可愛がってくれたから、使えるものは使わなきゃ!って(笑)。
――まさか、当時から本当にテッド呼ばわりしてたわけじゃないですよね?
土屋 いや、「テッド」とも呼んでたよ。時によって「田辺さん」とか「テッド」とか使い分けて(笑)。テッドがすっげぇデブだったじゃん。横向きに寝てたら(身体の下敷きになった)自分のヒジが脇腹に入ったらしくってアバラを折ったことがあってさ、体重で圧迫されて。
――ええええ!?(笑)。
土屋 朝起きたら、なんか息するだけで痛ぇなっていうんで病院に行ったら、肋骨が折れてたんだって。「何やってんの!?」って、みんなでバカにした覚えもあるし(笑)。
――テッドさんがFMWにいたのは本当に初期の頃ですよね。
土屋 うん。オーディション抜きで最初に入った美和ちゃんと自分の2人を何かと可愛がってくれてた。食事に連れてってくれたりね。とくに自分のほうが面倒見てもらったかな。
――その頃はテッドさんも決して金銭的に余裕があったわけではないでしょうけど。
土屋 それでも先輩がオゴるっていう、プロレス界のしきたりだよね。オゴられるっていえば、リッキー(・フジ)さんはパチンコが好きでさ、勝つと「いいよ。ファミレス行こうぜ」って連れてってくれんの。チャラとかトントンだと「長崎ちゃんぽんな。ちゃんぽんだけだぞ。餃子も食いたかったら自腹な」って、シビアなオゴり方をしてくれた(笑)。
――餃子は自腹(笑)。
土屋 それから、ヒールバスを運転していたデンジャラスドライバー・タケウチね。
――“有刺鉄線職人”としてマニアの間で知られる武内正義さんですね。
土屋 よしか(クラッシャー前泊)と非道と3人で、みんな1000円ぐらいずつ出して、残りは全部、武内さんにお世話になってたね。あの人は凶器作りの名人でさ、ヒールバスの連中はみんな「運ちゃん、これ壊れた~」って(笑)。
――修理を頼んでたんですね。
土屋 自分がFMWを離れて単独で動いていた時期にも「有刺鉄線木刀が折れたから新しいの作って」って頼んで、LLPWの会場に新品の有刺鉄線木刀を送り届けてくれたこともあったね。
――こうして聞くと、土屋さんにとって、レスラーとしての生まれ故郷であるFMWは、かなり快適な
空間だったようですね。
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