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アグレッシブなファイトスタイルでPRIDE武士道や修斗で活躍し、DEEPではミドル級チャンピオンに輝いたこともある格闘家・桜井隆多。鋼のような肉体を維持する42歳は長年にわたり茨城を拠点として活動。同じ茨城勢の川尻達也を新人時代から今日に至るまで支え続ける盟友である。そんな桜井隆多は90年代の“さまよえる格闘家”のひとりであった。リングスの入門テストを受け、アメリカにわたりマレンコ道場やカール・ゴッチのもとで修行をし、プロフェッショナル藤原組に入門――。そして桜井マッハ速人との運命的な出会い。桜井隆多が「マイ・サン(byゴッチ)」こと木戸修に見えてくるインタビューをスクワットしながらお読みください!
入会すれば読める! 8月度大反響インタビュー
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佐伯祭りをやった前後で、桜井選手に試合後コメントで「桜井選手のプロレスも見てみたい人は多いんじゃないですか?」と聞いたところ、「そうですね。僕もマレンコ道場で練習してますから(笑)」と答えられ、その事実を知らなかったので「シャレのわかる人だなぁ」と感心したのを思い出しました(笑)。
藤原組を辞めた一因であるレフェリーは島田さんではなく、新日本から新生UWF→藤原組に移籍したKさんかと思います。数年前のトークイベントで高橋選手が「自分より後から入ってきた選手を奴隷のように扱う」と言っていましたね。
>>2
新幹線の名前の。