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鬼も逃げ出す昭和・新日本プロレスの過酷な練習を耐え抜きプロデビューを果たし、その後はジャパンプロレスやSWSで活躍した新倉史祐さん。現在は渋谷で飲食店「巨門星」を経営している。好評連載中の小佐野景浩氏「プロレス歴史発見」では“全日本プロレス側”の視点からSWSが語られているが、元・新日本である新倉さんは“恐竜団体”の崩壊をどのように見ていたのだろうか? 昭和・新日本道場秘話ととも12000文字のボリュームでお届けします!



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■元『週刊ゴング』編集長・小佐野景浩
「ジャイアント馬場vs天龍源一郎」とは何だったのか

■衝撃告白! 船木誠勝が語る90年代プロ格の時代「俺は真剣勝負をやるつもりはなかったんですよ」
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――
このメルマガは90年代のプロレス格闘技ネタが好評なんですよ。

新倉 90年代のプロレスというと闘魂三銃士あたり?

――あとは新倉さんも参加されていたメガネスーパーのプロレス団体SWSですね。

新倉 はいはいはい。俺の本(『プロレスラーの秘密』『プロレスラーの秘密2』)にはSWSの話がぜんぜん載ってなかったでしょ?

――あの本は本当に面白いんですけど、そこが凄く気になったんです。SWSに関しては意図的にブレーキをかけているのかな?って。

新倉 うーん、ただSWSはネタがなかっただけなんだよねぇ。あんまり楽しくなかったから。

――楽しくなかった!(笑)。SWSはプロレスファンからかなり叩かれてましたよね。

新倉 だよね。『週プロ』の(ターザン)山本さんが先頭に立って。俺も最近は取材も受けてないし、
たぶん話す機会もないだろうから、SWSのこともバンバンしゃべるよ(笑)。

――よろしくお願いします! SWSの話題の前に90年代ってプロレスが格闘技に変換していくエネルギーに満ちた時代でしたけど、その原点は新倉さんも汗を流した昭和・新日本道場だと思うんです。

新倉 だよね。総合格闘技は猪木さんから始まってるから。

――新倉さんも三迫ジムに通ってボクシングを相当やられてましたよね?

新倉 たまたまなんだけど、家の近くに三迫ジムがあったんだよ。もともとボクシングが大好きでモハメッド・アリやジョージ・フォアマンを見てたし、プエルトリコのロバート・クレメンテ・スタジアムで馳(浩)とのタッグで試合をしたときには感激しちゃってね。だってフォアマンがそこで試合をしたことがあるから。「ああ、フォアマンが戦っていた場所だ!」って。

――かなりのボクシングマニアだったんですね。

新倉 ヘビー級のタイトルマッチはほとんど見てるから。新日本プロレスに入る前からボクシングの練習はしてたしね。

――それでこなだい船木(誠勝)さんに話を聞いたら新日本の道場はほんとどシュートの練習しかやってなかったとか。

新倉 そうだよ。受け身の練習はほとんどなかった。

――船木さんが全日本に参戦したときに渕(正信)さんと話をしたら「受け身の練習量が全日本とは
100倍違った」と。

新倉 俺もジャパンプロレスにいたから全日本の練習を知ってるけど、「新日本とこんなに練習方法が違うか」ってビックリしたもんだよ。新日本はフィジカルが7割、セメントが3割。受け身の練習は空いてる時間に勝手にやれって感じでしたよね。

――そこまで徹底してたんですね。

新倉 練習にマスコミの取材が入るとシュートの練習はやらないんですよ。バーベルやスクワット、プッシュアップ、コシティを見せる。あれは取材用の練習でもあるんだよ。

――コシティは取材用の練習!

新倉 会場でシュートの練習をやるときは取材陣を全員外に出してね。誰にも見せないのは猪木さんの方針なんです。あとシュートじゃない練習をやってると猪木さん機嫌が悪いから(苦笑)。シュートの練習をやってると機嫌がいいんだよねぇ、猪木さん。

――そんな新倉さんからすると、全日本の練習はビックリしますよね?

新倉 ジャパンのときの長州さん、毎日ピリピリしてた。4時半頃、試合会場に眠たそうに入ってくる天龍さんや鶴田さんの姿を見て「アイツら、死んでるよなーっ!!(怒)。そう思わねえか新倉?」って吐き捨てるように言ってたね。

――それくらい練習の取り組む姿勢が違ったんですね。

新倉 俺たちが4時くらいからリングを占領してることに焦った馬場さんが3時に会場入りするようになりましたからね。三沢(光晴)、川田(利明)、(ターザン)後藤、小川(良成)くん、ハル園田さん、渕さんとか連れて受け身の練習をしたりして。それで4時頃に俺たちが来るとリングを空けてくれてね。

――ジャパンの存在は全日本にとって大きな刺激になったんですね。

新倉 試合内容も変わっていったしね。それまで鶴田さんなんかは笑いながら試合をやっていたんでビックリしましたよね。そんなことは新日本ではありえなかったし。

――鶴田さんってそんな練習量で長州さんと60分フルタイムやっちゃうんだから素材は一流だったん
ですね。

新倉 そこは持って生まれたものだよね。スタミナは凄かったですから。練習をもっとやっていたら、もっと凄いことになってたんじゃないですか。身体能力は本当に高かったから。

――ところで長州さんはレスリングでオリンピックまで出たバリバリの競技者だったこともあって、セメントの練習は好まなかったという話ですけど。

新倉 あまり好まなかったほうですね。どっちかというとフィジカル中心でコンディションを充実させていくほうで。長州さんはアマレスで人を倒すことにかけては凄かったんですけど、寝技はそんなに強くはなかった。あるとき「長州さん、ひさしぶりにグラウンドをやりましょうか?」って聞いたら、辺りを見渡して「馬鹿野郎、おまえに負けたらどうするだ?」って。

――そこはイメージを大事にするんですね。

新倉 新日本の下からやってる若手は藤原(喜明)さんから寝技を教わってることを知ってるんで。

――当時の新日本のスパーというのは亀の状態から始まるんですか?

新倉 立ちからもやりましたよ。相撲みたいな感じで。荒川さんや藤原さんは相撲は強かったんで。あとボクシングのグローブを嵌めたまんまでスパーリングをよくやりましたよ。

――それは面白いですね。

新倉 俺は相手をロープに追い詰めたところを転がして、寝技で極めるのが得意で。グローブつけてるからスリーパーや逆十字しかないんですけどね。藤原さんから「お、やるじぇねえか」と褒められて嬉しかったもんですよ。

――いまの総合みたいな練習もされてたんですね。

新倉 だから佐山(サトル)さんや前田(日明)さんがUWFの流れに行くのは自然だったと思いますよ。

――藤原さんといえば、地方巡業中にキラー・カンさんとのシュートマッチがあったんですよね。

新倉 あれは凄かったですね。

――ふたりの仲は悪かったんですか?

新倉 というか、小澤(正志、キラー・カンの本名)さんが自慢するんですよ。「MSGで1試合いくらもらった」とか(笑)。前座からずっとやってる藤原さんからすると、それが面白くなかったんですよね。それであるとき小澤さんが入場するときリングに上がるハシゴを出す若手が誰もいなくて、仕方なく藤原さんが用意することになったんですけど、そのハシゴをわざと逆さにしたんですよ。

――嫌がらせをしたんですね(笑)。

新倉 そうしたら小澤さんが「藤原、あんなことするな!」と怒って。それに藤原さんもカチンときて。たまたまその翌日に藤原さんと小澤さんのシングルマッチで組まれちゃってねぇ。

――それで藤原さんが仕掛けたんですか!

新倉 試合前の合同練習で藤原さんの姿が見えないんですよ。「おかしいなあ」と思っていたら、体育館に大きなカーテンがよくあるじゃないですか。それを結んで人間みたいな固まりにしてね、サンドバック代わりにしてボクシングの練習をしてるんですよね。

――やる気満々だったんですね(笑)。

新倉 そんな藤原さんを見て「今日の試合はいくんだろうなあ〜」と思いまして(笑)。

――ハハハハハハ! カンさんはそんな試合になるとは思ってなかったんですよね?

新倉 じゃないですか。藤原さん、いきなり小澤さんを殴りにいきましたよ。藤原さんはロープに詰めて殴りに行くんだけど、小澤さんはいなして。それに小澤さんは頑丈じゃないですか。打っても打っても倒れないし、藤原さん、どこか固いところを殴っちゃって手にヒビが入ったのかな。

――ああ、素手ですもんね……。

新倉 試合後、藤原さんに言いましたよ。「やられたほうより、やった本人のほうがダメージが大きいですね」って。「アイツ、頭が固いんだよ……」とかボヤいてましたけど(笑)。 

――ハハハハハハ! しかし、不穏試合になっても続けないといけないんですね。

新倉 あのときは収拾がつかないから長州さんやマサ斎藤さん、藤波さんたちがやってきて、ふたりを場外に連れ出して両者リングアウトで終わってましたね。

――そういう試合ってたまに起きるんですか?

新倉 ありますよ、ありますよ。大阪で栗栖正伸さんが俺に仕掛けてきたりとかね。大阪は栗栖さんの地元で、嫁・子供、友達が来ていたから、いいカッコしたかったんでしょう(笑)。

――そんな理由で仕掛けるんですか!?(笑)。

新倉 やりますよ〜。その当時の俺は合宿所の責任者をやっていたんだけど。栗栖さんが新弟子の牛乳やバナナ、プロテインを勝手に食べたり飲んだりしてたんですよ。それで俺はいっつも注意していたの。「栗栖さん、勝手に飲まないでください!」って。栗栖さんはそれに腹を立てていてね。

――小言の恨みですか!(笑)。

新倉 栗栖さんに過失があるから反論するわけにはいかないじゃないですか。それで試合で仕掛けてきて、おもいきり蹴ったり殴ったりしてきて危なかったですよ(笑)。

――栗栖さんと仲が悪いわけではないんですよね?

新倉 試合が終わったら何もないですよ。いまでも仲はいいですし。あのときは新弟子だった山田(恵一)や佐野(直喜)はキョトンとしながら見てましたけどね。「これは試合なのかな……」って。そんなふうにたまに先輩がやってきますからね。星野勘太郎さんとか。

――ハハハハハハ! さすが新日本の喧嘩師ですね(笑)。

新倉 星野さんはちょっと気に入らないとモロにパンチを入れてきますからね。

――普段から身体も精神も鍛えておかないと生きていけない世界なんですね。

新倉 毎日必死でしたね。猪木さんがウィリー・ウィリアムスと異種格闘技戦をやったときなんて、極真関係から毎日脅しの電話がありましたし。

――ハハハハハハハハ! 空手を舐めるな!!と(笑)。

新倉 「いまから行くから待ってろよぉ!」とか。誰も来なかったんですけど。いちおう念のためにモップに角材をつけて武器を作っておきましたね。

――道場破りはあったんですか?

新倉 ありましたよ〜。空手系が多いですね。こういうことを言うとアレだけど、自分の力を過信してるというか。あるときね、「怪しいもんじゃないんですけど、お話があるんです」って言う奴が来たんだけど、明らかに「やってやるぞ!」という雰囲気なんだよ。拳にタコ、頭はスポーツ刈り。

――明らかに怪しいですね。

新倉 応対したのが新日本の寮だったんだけど、玄関に30センチ以上の靴が何十足も置いてあるでしょ。それを見てビビっちゃってるんだよね。

――昔の新日寮の玄関はちょっと異様ですよね(笑)。

新倉 そこに寮の中から栗栖さんの「もう夜遅いんだから明日にしてもらえ!」という怒鳴り声が聞こえてきて、そそくさと帰っていったけど。あと、これも空手系かなあ。道場に「練習を見させてくれ」という奴が来て。俺が「いま練習中だから、あとにしてくれ」と言っていたら藤原さんが怒りだして「この素人が練習の邪魔するんじゃねえ」「素人じゃないです。空手をやってます」って始まっちゃって。藤原さんが足払いで倒して殴りに行こうとしたところを永源(遥)さんたちが止めてね。

――殺気立ってますねえ。

新倉 プロレスラーは来たらやらなきゃいけないですよね。それはUインターの頃の宮戸(優光)たちも言ってましたよ。いまでも山田くらいはやるんじゃないですか。彼は当時の新日本の流れは組んでると思うんですよね。

――オリンピックの柔道金メダリストで猪木さんと異種格闘技戦で戦ったウイリアム・ルスカも新日本道場にプロレス留学してましたよね。

新倉 いたいた。巡業も出てたんですよ。

――いま考えるとルスカが地方巡業に出ていたって凄いですよね(笑)。

新倉 柔道の世界チャンピオンだからね。ルスカは一切ウエイトトレーニングをやらないであのヘラクレスみたいな身体付きでしたね。

――そのルスカは藤原さんとのスパーで極められまくったという話がありますね。

新倉 最初はルスカは柔道技しか知らなかったから、裸だとそうなるよね。これは長州さんが言ってたけど「裸になったら柔道の山下泰裕でも倒せるよ。柔道着を着ていたらすぐに倒されちゃうだろう」と。レスリング協会の福田さんがルスカを連れて藤原さんとスパーやってたんだけど。ルスカはとにかく投げるんだけど、藤原さんは下からうまいことを極めるんだよね。福田さんビックリしちゃって。ルスカはそのうちいろんな技をおぼえちゃって誰も敵わなくなりましたよ。さすが世界一だけあって。

――新倉さんもルスカと肌を合わせたんですか?

新倉 締められると一瞬。すぐに「ウッ……」って終わりです。俺がルスカの寝技の実験台になってる脇で前田(日明)さんがいろいろと教わってましたよ(笑)。ルスカは前田さんをかわいがってましたから。 

――ルスカ教室を受ける前田日明ですか!

新倉 前田さんとルスカのエピソードには面白いものがけっこうあってね。この続きはお買い得な「好評記事の詰め合わせセット」でも購入できます