元『週刊ゴング』編集長・小佐野景浩が90年代のプロレス界を回顧する「プロレス歴史発見」。今回のテーマは「冬木弘道」――。

国際プロレスでデビュー。全日本プロレスでは「サムソン冬木」のリングネームでアジアタッグ王座を獲得。天龍源一郎のあとを追うようにSWSに移籍し、WARでは寡黙なキャラを投げ捨て理不尽な言動を振りまく理不尽大王に変身。マッチョボディを自称するだらしない身体でのパワフルファイトと、マット界1、2を争うプロレス頭から繰り出されるアイデアと憎まれ口でヒール人気を得る。2002年、癌のため引退。団体プロデューサーとして再出発するが半年後に癌が再発。橋本真也との電流爆破デスマッチで一夜限りの復帰を宣言するも、リングに上がることなく死去した――。

イラストレーター・アカツキ@buchosenさんによる昭和プロレスあるある4コマ漫画「味のプロレス」冬木弘道版つきでお届けします。




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今回は理不尽大王冬木弘道さんについておうがいいたします。

小佐野 ……いやあ、あの人のことを思い出すとね、涙が出そうになりますね(しみじみと)。亡くなるまでの1年間は本当に凄い生き様でしたから……

――小佐野さんは冬木さんとはいつ頃から付き合いがあったんですか?

小佐野 冬木さんとよく話すようになったのは、『ゴング』が週刊化されて、ボクが記者として取材活動をするようになってからですよね。あれは84年の春で、そのときあの人は全日本プロレスの合宿所寮長。三沢(光晴)、越中(詩朗)がメキシコ武者修行に出た直後で、下にいたのはターザン後藤、川田利明、練習生の小川良成くらいかな。すっごく無口な人でね、合宿所に取材に行くじゃないですか。冬木さんはボクの一つ歳上なんですけど、ぜんぜん口を利いてくれないというか。

――理不尽大王時代からは考えられない姿ですね(笑)。

小佐野 「……俺、この人に嫌われてるのかあ」とか考えちゃうくらいコミュニュケーションが取れなかった。そのあと(グラン)浜田さんに連れられてメキシコ修行に行ってプエルトリコへ渡って、1年後の世界最強タッグの途中に、髪の毛を長く伸ばして太って帰ってきたんだけど。

――一般的な冬木さんのイメージですね。

小佐野 そうしたら「ひさしぶり!!」って元気よく声をかけられて。海外生活を経て凄くフレンドリーな性格に変わっていたんです。あとになって事情を聞いたら「天龍さんがマスコミには愛想よくしろというから仕方なくやっていたんだよ」って(笑)。そこからは普通にしゃべるようになったんですけど、冬木さんは話をしていて面白かった。国際プロレスに入門した理由を聞くと、当時国際って入場券プレゼントをやっていたんですけど、プロレスファンの時代の冬木さんは一度も外れたことがなかったそうなんですよね。

――まさか読プレの要領で入門ですか!(笑)。

小佐野 親しみを持って入門テストを受けに行ったら、もうぜんぜんダメで。でも、アニマル浜口さんが「合宿所に荷物を持って住み込んじゃえ!」ってアドバイスされて、そのまま住み着いたんですよね(笑)。

――ハハハハハ!

小佐野 冬木さんはそれまで何もスポーツをやってなくて、体力もなかったみたいですけど本人は「じっと耐えていた。そうしたらいつのまにかプロレスラーになれた」と。でも実際は国際の社員だった若松(市松)さんと一緒にリング屋として働いていて、ほかの選手が合同練習をやってる脇で、若松さんの指導を受けていた。そういう苦労人なんだけど、それを本人を面白おかしく言っていってたんですよね。

――プロ野球で言うところの打撃投手やブルペン捕手みたいなもんだったんですね。その国際が崩壊して冬木さんは全日本に移りますよね。

小佐野 そこで冬木さんは天龍さんの初代・付き人を務めたんです。全日本プロレスって最初は馬場さんにしか付き人がいなかった。それは馬場さんがレスラーに付き人をつけるのを嫌がっていた。そこからやがて派閥ができるから。

――日本プロレス時代、派閥の揉め事を見続けてきた馬場さんらしい判断ですね。

小佐野 たしかに昔のプロレス記者に話を聞くと、日プロは派閥ができて人間関係が複雑になってたというから。極端に言えば、猪木派と馬場派だったけど、実際にはもっと複雑だったみたいで。そうなることを馬場さんは嫌がったんだけど、さすがにジャンボ、天龍には付き人を付けないといけないという話になったときに、ジャンボは三沢、天龍さんは国際から来て肩身の狭そうな冬木さんをチョイスした、と。

――冬木さんは肩身が狭かったんですか?

小佐野 冬木さんはおとなしい人ではあったし、本人には「やっぱり自分は外様」という意識はあったんじゃないかな。実際にメキシコ遠征に行ったのも、天龍さんが「メキシコでもなんでも海外に行けば、あとは好きなところに行けるから」と国外に出るチャンスを作ってあげたんですよ。

――団体主導ではなく天龍さんの計らいだったんですね。

小佐野 帰国してからは大きいファイトをするようになったし、そこそこ上に行くのかなと思っていたら、馬場さんから「太り過ぎ」と言われたのかな。またアメリカに出されて、そのあいだに日本では天龍さんと(阿修羅)原さんの龍原砲が生まれ、レボリューション(天龍同盟)の最中に帰国して。

――そのまま天龍同盟に加入したんですか?

小佐野 いや、それが初めは敵対関係だったんですよ。合流する流れは凄く面倒くさいので割愛しますけど、冬木さんが言うには「この世界はね、本当に仲が良い者同士はくっつけたくないんだよ。俺と天龍さんは仲がいいでしょ。会社は離したかったの」って。

――それは先ほどお話された派閥問題の危惧があったんでしょうね。

小佐野 そうそう。でも、そこは原さんが天龍同盟に合流する機運を作ったんでしょうね。そして、川田も海外から帰ってきて前座でくすぶっていたんですよ。「こんなに動けるのになんで前座で技の制約を受けて……」という。天龍さんもそんな川田をもったいないと思っていて、だったらレボリューションに来て伸び伸びやったほうがいいだろう、と。

――そうやって天龍同盟入りした冬木さんと川田さんの2人がフットルースを結成したわけですね。

小佐野 メインは龍原砲、中堅はフットルースが全日本マットを活性化させていったんです。

――フットルースというネーミングは誰が付けたんですか?

小佐野 川田は「小佐野さんがゴングで勝手に書いた!」って言うんだけど、当時リングアナだった(仲田)龍さんだと思う。フットルースの派手なバンダナとタイツは天龍さんのアイデア。ロックンロールエクスプレスの影響で(笑)。

――ハハハハハ! ザ・80年代のセンス(笑)。

小佐野 「俺と阿修羅は辛気臭いかんじだから。おまえらは明るくやれ!」と。2人は試合前に御徒町で自前で買ったバンダナを客席に投げる。あのパフォーマンスを川田は死ぬほど嫌がっていたんだけど(笑)。

――クククククク。

小佐野 冬木さんはべつに嫌がるわけでもなく「ま、こんなもんだろ」と斜に構える感じで。


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作/アカツキ

――天龍同盟における冬木さんはどんな立ち位置だったんですか?

小佐野 天龍同盟に冬木さんは必要でしたよ。とくに技や動きが凄いわけでもないけど、あの人が一番物事をよく見ていた。ある意味、冬木さんが天龍同盟を回していた。原さんが失踪したあと、天龍さんと川田の3人になるじゃないですか。あの人はインサイドワークがうまかったから、6人タッグになると自分が死んで死んで死んで、天龍さんや川田につないで試合を盛り上げる。

――冬木さんが試合がリードしていたんですね。

小佐野 冬木さんは天龍さんにアイデアも出していたと思うんだけど、天龍同盟が解散する頃は2人の仲はギクシャクしていた。天龍さんと冬木さんの考えが合わなくなっていたんです。そうすると天龍さんが不機嫌になって口を利かなくてなって、そんな日が最初は1日だけだったのが、2日になり3日となり……

――溝が深まっていったんですね。

小佐野 原さんが解雇されてだいぶ経ったあるとき、天龍さんが「冬木、俺は阿修羅を踏み台にしてるか?」と聞いたら、冬木さんは「当然ですよ!」と答えたそうなんです。それを聞いた天龍さんは大激怒して机をひっくり返したという(笑)。

――そこで「当然ですよ!」と言えちゃうんですか(笑)。

小佐野 そこは冬木さんは素直であり、天龍さんに対してウソがつけないわけですよね。でも、そう言えちゃうくらい天龍さんのことが好きだったんでしょうね。

――天龍さんがそんなことを聞くってことは、それくらい冬木さんを信用していたことでもありますね。

小佐野 そうそう。天龍さんは冬木さんだけには弱みを見せていた。まあ、その頃のレボリューションは行き詰っていたところがあって、全日本を活性化させるという天龍同盟の役割は終わっていたわけですから。武道館大会なんてカード発表前にチケットが完売しちゃう状況の中で、天龍さんには「阿修羅と2人でやってきたことがなかったことにされてたまるかよ!!」っていう思いはあったんでしょうけど。

――結局、天龍同盟は解散しちゃいますね。

小佐野 川田は正規軍に戻りたくなかった。というのは海外から帰ってきてから正規軍より天龍同盟の控室にいるほうが長いから。天龍さんと一緒だとそこまで気は楽じゃないだろうけど、正規軍よりは居心地はいいと。でも、冬木さんは正規軍に戻ってもいいと思ってたんじゃないかな。レスラーとしてはそろそろ環境を変えたほうがいいだろう、と。

――そこは野心があったんですかね。

小佐野 冬木さんには個人的な野心があったというわけでもないんだよね。戻ったほうがレスラーとして展望が広がるんじゃないかという感じで。結局、天龍さんがSWSに行ったら冬木さんもあとを追うように移ってしまうんだけど。

――SWSの件は天龍さんから話を聞いてたんですか?

小佐野 冬木さんは自分から天龍さんに連絡を取って「行かせてください」と頼んだみたい。その当時の冬木さんは30歳で彼なりに考えることがあって、このまま全日本にいてもどうなのかなあ、と。

――天龍さん離脱時、馬場さんは川田さんを呼び出して「おまえは全日本に必要な選手」として残留を促しましたけど、一方で冬木さんに対する評価はどんなものだったんですか?

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