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新年一発目は田中ケロちゃんインタビューだ!! 新日本プロレスの名物リングアナとして活躍。「時は来た!」などで代表される前口上、宝塚をイメージしたド派手なコスチュームでリングアナという職業に光を当てた。今回の取材では昭和・新日本プロレスの仰天逸話から、暗黒・新日本プロレスのどうしようもない話までうかがいました。いいか、よく見て〜ろ!! これがリングアナのパワーだ!!
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①【ヤマヨシかく語りき】
山本宜久17000字「ヒクソンと戦ってるとき放送禁止用語が聞こえてきたんです……」
「高田さんとの最後の会話はいまでも忘れられないですね……」
②小佐野景浩の「プロレス歴史発見」ジャンボ鶴田編
「馬場さんの信頼を失い全日社長の座が消えたジャンボは怪物になったんです」
③K−1のビッグマウス、魂の叫び! 木村“フィリップ”ミノル
「いまの格闘技界はお客さんの目線を気にしすぎです。クソですよ!」
④【総合格闘技が生まれた時代シリーズ】ターザン山本
「佐山サトル、前田日明、船木誠勝、石井館長がプロ格という怪物を作ったんですよ!」
⑤サブミッションアーツレスリグとは何か?
「強い奴はだいたい友達」麻生秀孝は格闘技界のゴッドファーザーだった!!
⑥地下格闘技の英雄が語る“チカカク”の恐るべし実態――渋谷莉孔
「覆面を被って1vs2で戦ったこともありますよ」
⑦「プロレス桃源郷へのいざない」小泉悦次さん■アナタはなぜブログを更新するのか②
昭和のクラシックプロレスを追求するプロレス考古学ブロガーのプロレス観とは?
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――世間では“リングアナ”といえば田中さんの顔を思い浮かべる方が多いと思うんですね。
ケロ ありがとうございます(笑)。
――前口上はいまやあたりまえのようにどのジャンルでも定着してますけど、田中さんが最初に始めたんですよね。
ケロ いまはみんな真似してますよね。ボクシングや柔道でもやってるし(笑)。
――最初の前口上はおぼえてますか?
ケロ 90年2月10日の東京ドームかな。
――全日本プロレスとの対抗戦、長州力&ジョージ高野vs天龍源一郎&タイガーマスクの「7時1分、時は来た!」ですね。
ケロ あのとき1分待ちましたからね。「7時、時は来た!!」じゃ締まらないから(笑)。実際はその前の試合の木村健悟&木戸修vsジャンボ鶴田&谷津嘉章のときに何か言ったのかもしれないけど、おぼえてなくて。もともとはですね、地方のお客さんに対してレスラーの説明をしたかったんです。「このガイジンチームは強いですよ〜」とか。
――いまでいう煽りV的役割ですよね。
ケロ そうそう、煽りVなんですよ。そこから入ったんだけど、いつのまにか抽象的な言葉と雰囲気作りになってしまって(笑)。ちなみに「時は来た!」ってあの興行で橋本(真也)が言ってるようなイメージがあるじゃないですか。
――隣で蝶野(正洋)さんが笑いを噛み殺す迷シーンですね(笑)。
ケロ あれ、リング上で俺が先に言ってるんですけど。橋本は俺のを聞いてたんじゃないかなって(笑)。
――会心の前口上ってありますか?
ケロ どうなんですかね。よく言われるのはやっぱり「時が来た!」と「K−1、PRIDE、プロ野球、Jリーグ! いいか、よく見て〜ろ!! これがプロレスのパワーだ!プロレスは、絶対に負けない!!」ですよね。
――蝶野正洋vs三沢光晴のときの前口上ですね。
ケロ 凄く楽だったのは「力いっぱい新日本プロレスしてください!」だけでお客さんがとんでもなく沸いたときがあって。「ああ、こんなのでいいんだ」って(笑)。
――「時が来た!」の東京ドーム大会は、猪木さんの「1、2、3、ダー!」も生まれましたよね。
ケロ あれは俺が提案したんですよ。「6万人のダー!をやりましょう」と。そもそも「勝ったー!」の「ダー!」なのか、「ヨッシャー」の「ダー!」なのかはわからないですけど(笑)。猪木会長に説明したら「じゃあ、やろうか」と。「1、2、3」をつけたのは猪木さんのアドリブなんですけど、猪木さんはあのとき「1、2の3でダーです」と説明したんですよ。
――「1、2、3」ではなく「1、2の3」で。あれから猪木さんはいまや「ダーおじさん」として定着してますからね
ケロ 商標権を取っておけばよかった(笑)。
――ハハハハハハ。田中さんはそうやってアイデアマンとしても活躍されてきましたが、プロレス界入りの動機はどういうものだったんですか?
ケロ もともとリングに立ちたい気持ちが強かったんですけど、身体が小さいからレスラーとしては無理だし、痛いだろうし(笑)。レフェリーは経験者以外はダメそうなのでリングアナしかないなあ、と。当時のリングアナはそんなに人気のある職業でもないし、目立ってたわけでもないですよね。でも、自分としてはとにかくリングに立ちたい!と。もしくは吉本興業で漫才師をやるかで悩んでいたので。
――リングアナか漫才師か。
ケロ それくらい人前で何かをやりたかったんですよ。それでリングアナになってしまいました。
――すんなり新日本には入れたんですか?
ケロ その頃リングアナをやっていた倍賞鉄夫さんがちょうど次のリングアナを探してる最中だったんです。もうひとり有力な候補がいたらしいんですけどね、熊本の自衛隊員で。
――熊本の自衛隊員だったら「ダー」は生まれてなかったかもしれないですね(笑)。
ケロ 当時は新日本さんも全日本さんも定期社員応募はしてなかったんですけど。新日本に入り込むためにプロレスをテーマにした大学の卒業論文を書くという名目で、新日本さんに電話したんです。「日本におけるプロレス経営」というテーマです(笑)。
――行動力ありますねぇ。
ケロ そこから新間(寿)さんにお会いして、営業部長を紹介してもらってお話を聞いてるうちにリングアナを探してると聞きつけて。次に話を聞きにいったときに履歴書を持って行きました。
――いろんな運が重なったんですね。
ケロ そこで動いてなかったら、いま頃は漫才をやっていたかもしれません(笑)。それで面接を受けて、あの頃売れていた『私、プロレスの味方です』の感想を聞かれたりして。
――村松友視さんの。
ケロ そのときは夏休みだったんですけど、8月の巡業について回ることになって。リングに慣れるために新日本の道場でリングアナの練習をしたんですよ。当時の道場は一番の新人が保永(昇男)くんと仲野の信ちゃんで、高田(延彦)くんのデビュー前。みんなが選手役で手伝ってくれて。
――初めての新日本道場はどんな雰囲気でした?
ケロ 当時レフェリーだった田中米太郎さんが横になってゴロゴロしてましたね(笑)。若い選手はみんな協力的で、とくに高田くんはずっと付き合ってくれましたよ。コールする選手のモノマネしてくれて。
――リングアナは最初からこなせたんですか?
ケロ あのですね、最初は日プロのリングアナウンサーの真似をしてたんです。「あかぁ、コ〜ナ〜ァ!」って。
――ボクシングなんかでよく聞かれるコールですね。
ケロ それで1シリーズやったら倍賞さんから「違うやりかたをやってみろよ」と。その一言以外は一切教えてもらってないです。その頃はね、誰でも簡単にできると思われてたんです(笑)。プロレスは選手ありき、レフェリーありきで、リングアナはそれほど重要視されてなかったんですよね。
――リングアナ以外、普段はどんな仕事をされていたんですか?
ケロ 興行部の社員ですから、マネージャー的な仕事ですよね。巡業中の宿泊先や移動の手配、お金の管理。リングアナの仕事としては試合公式記録をつける。けっこう忙しかったですよ。
――お金の管理もされるんですね。
ケロ 坂口(征二)さんがチケットや売店の売り上げを管理してるんですけど、俺が全部計算して翌日銀行に入金して。それに当時は一番下っ端ですから、レスラーの雑用でも動いてましたよ。アンドレ(・ザ・ジャイアント)が「ラーメンが食べたい」と言ったらラーメン屋を探さなきゃいけなかったし。アンドレって試合前に必ずラーメンを3杯頼むんですよ。会場に着いたらまずラーメンを頼んでました(笑)。
――試合前に3杯ってさすが大巨人ですね(笑)。一番大変な仕事ってなんでしたか?
ケロ なんだろな。飛行機の手配かな。団体で席を押さえるから普通は横並びの席になるじゃないですか。それを縦並びに取れるように航空会社に交渉するんですよ。レスラーが3人横並びだとキツイですからね。
――身体が大きいから横並びだとギュウギュウですよね。
ケロ あとレスラーが集合時間に来ない。
――ハハハハハハ! 時間にルーズな方が多いですもんね。
ケロ 巡業で言えば、昔は旅館だったんですよ。1人部屋は猪木さん、坂口さん、(ストロング)小林さんくらいで。若手は大広間で寝ることが多かったのかな。相部屋も楽しいといえば楽しいですけど、先輩と相部屋だと楽しくないし。電気消すのも起きるのも向こうのペースですから。
――部屋割りは誰が決めるんですか?
ケロ 須川さんという日プロ時代からの方です。日プロのときに休憩時間にリングを掃除機で掃除していたオッサンです(笑)。
――三菱掃除機の風神雷神ですね(笑)。
ケロ 須川さんは先乗りと言って、興行の1日前に現地入りして旅館や会場の細かな手配をするんです。いまではネットや電話でいろいろと手配できるようになりましたけど、当時はそういう役割も必要で。その須川さんの気持ち一つで部屋割りがされてたんですよね。またね、選手同士で「◯◯と△△はダメ」とかあるんですよ。
――ちなみにダメな組み合わせといえば?
ケロ 永源(遥)さんと藤原(喜明)さん。
――なるほど(笑)。
ケロ 俺はね、木戸(修)さんに凄く気に入られてね。イビキをかかないし、静かだから。あの人はね、凄く几帳面なんですよ。布団一つ踏んじゃいけないくらい(笑)。
――レスラーらしからぬタイプなんですね。新日本プロレスの旅館といえば、UWFとの親睦会で旅館をぶっ壊した事件が有名ですよね。
ケロ はいはい、人吉の温泉旅館ね。
――あのときは現場にいたんですか?
ケロ いましたよ。だってマネージャーですから(笑)。翌日、旅館の人と壊した箇所をチェックして回りましたから。「はい、ここも壊しましたね。あそこもそうですね」って。
――現場検証担当!(笑)。修理代金はどれくらい支払ったんですか?
ケロ そこは会社が払ったんでわからないですけど。かなり壊しましたよねぇ。だって翌日からしばらく旅館が使えないわけですから。
――田中さんも旅館の方もレスラーの大暴走を止められなかったんですよね?
ケロ そんなもん、止められるわけないですよ! すぐに部屋に逃げましたよ!!(笑)。あんな人数のレスラーが暴れたら旅館の人も近寄れないでしょうし。
――ハハハハハハ! 後藤達俊さんが包丁を持って猪木さんを探したほどの修羅場ですし(笑)。
ケロ そういうときの猪木会長って早めに逃げるので(笑)。ホントに凄かったですから。前田(日明)さんとムトちゃんが殴り合いをして、それで顔が腫れちゃって翌日の試合ができなくて「風邪のため欠場」というアナウンスをしてね。あと高田延彦がスッポンポンで外に飛び出してタクシーを止めたけど、タクシーは逃げてしまったというね。
――そんなお客さん、乗せたくないです(笑)。
ケロ あとは、旅館の引くドアを「押しても開かないぞ!」とか騒いで壊したりとか。
――引くドアですからあたりまえですよ(笑)。
ケロ 「突きの練習だ!」と言って壁に穴を開けたりとか。でもまあ壊したといっても、そこまででもないんですよ。
――いやいや、充分過ぎますよ!
ケロ まあ、そうなんだけど(笑)。あの旅館は縦長の5階建てで、その5階すべて貸し切りだったのかなあ。一番の問題は、宴会は最上階でやってたんですけど、5階のトイレが詰まって壊れて、1階までにいろいろなものが流れ来ちゃったのが問題になったんですよねぇ……。
――うわっ、それは破壊行為よりマズイですよ!(笑)。
ケロ 要は5階のトイレで誰かがお吐きになられて詰まってしまった。それで汚物様が下の階にも流れて大騒ぎになった……という。
――いったい、どんな詰まらせ方をしたんですか……(笑)。
ケロ とんでもない悪臭がしてましたねぇ。でも、一番ビックリしたのはその翌朝、猪木さんが旅館の周りを普通にランニングをしていたことなんですよ(笑)。
――ハハハハハハ! 「俺はさわってねえですから」イズム!(笑)
ケロ あの頃はね、1シリーズに1回はちゃんこ大会があったんですよ。でも、あそこまで暴れたことはないかなあ。酔っ払って嫌われるのは荒川さんくらいで(笑)。
――ハハハハハハ! あのときは緊張関係にあったUWFとの親睦会ということも影響してたんですかね。
ケロ 飲むとそのギスギスが表に出ちゃったんじゃないですかねぇ。腹の中ではUWFとの業務提携を反対してる選手もいたでしょうし。
――いまの巡業は旅館ではなくホテルの個室に宿泊ですからそんな伝説も作りづらいですね。
ケロ 昔はハチャメチャで楽しかったですよね。ガイジンはガイジンでホテルで暴れてホテルを出入り禁止になったり。ワイルド・サモアンが青森のホテル前でケンカして、コンクリートの上でバックドロップをやったんですよ。
――一歩も間違えたら死にますよ、それ(笑)
ケロ ついでに消火器を振り回してそこのホテルを使用禁止になって(笑)。
――そんな調子だと警察の厄介事もあったんじゃないですか?
ケロ スタン・ハンセンと警察署に一晩中いたことがありますよ。
――いったい何があったんですか?
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――いったい何があったんですか?
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>府立の髪切りマッチで猪木会長が負けたのに髪を切らないでタクシーで逃げた時
これは猪木対ラッシャー木村の試合で、木村の方が髪を切らずに逃げた試合じゃないかな。ちなみに国際軍団は当日になって髪切りマッチと知らされたそうですが。で、この時に猪木から永久追放宣言があるも、結局は次のシリーズでの1対3の試合の伏線となった試合だった記憶があります。