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リングスでプロデビュー前から“怪物くん”の異名をつけられるほどそのポテンシャルを評価されていた横井宏考。リングス休止後はMMAだけではなくプロレスのリングでも活動。二足のわらじを履いていたが、2007年のMMAを最後に突然現役を引退してしまった――。日本格闘技界の将来を嘱望されていた“怪物くん”は、狂騒のゼロゼロ年代をどう生き抜いていたのか。
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par17
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――須藤元気プロデュースの柔術イベント『一騎打』(5月17日)で横井さんはひさしぶりに表舞台に姿を現しましたけど、引退後は格闘技には関わってなかったんですよね?
横井 完全に離れてましたね。2007年に引退してから格闘技は一切やってなかったんですけど、去年の9月に柔術を始めたんですよ。
――もう一度格闘技をやろうと思ったのはどんな理由があったんですか?
横井 いや、格闘技をやろうという感じではないんですよね。いまは会社で働いているので現役のときのように練習する時間もそれほどないですし、趣味の一つとして柔術の黒帯でも目指してみようかなって(笑)。一般会員としてイチから柔術を学んでます。プロとして格闘技をやることはもう考えていないですけど。
――『一騎打』はアマチュアのイベントですもんね。そのわりにはその筋のビッグネームが多く参戦してるんですけど(笑)。
横井 柔術の世界って帯のカテゴリーごとに試合があるので、黒帯の人と試合する機会はないじゃないですか。『一騎打』で黒帯の杉江(アマゾン大輔)選手と戦えたことは貴重な経験ではありましたね。
――今日は横井さんの現役時代のお話をうかがいたいですけど、いつ頃からプロ格闘家志望だったんですか?
横井 小さい頃からプロレスファンでプロレスラーになりたかったんです。中学のときは前田(日明)さんに憧れていて。ホントは中学卒業したらリングスに入りたかったんですけど、親に「高校だけは行ってくれ」と泣かれて(笑)。結局大学にも行くことになったんですけどね。
――高校の時点で身体は相当大きかったんですよね?
横井 高校のときは柔道部と並行しながら相撲もやってましたからね。120キロくらいありました(笑)。
――まさに“怪物くん”!(笑)。
横井 ウチの柔道部は変わっていて相撲もやってたんですよね。柔道ではインターハイにはダメでしたけど、相撲でインターハイに出ました(笑)。
――それなら相撲部屋から勧誘もあったんじゃないですか?
横井 そんな話もちょっとあったんですけどね。でも、目標はリングスに入ることでしたから。でも、とりあえず柔道の推薦で近畿大学に入りました。
――近畿大学のときは旧UWFの森(泰樹)さんのジム、ライルーツコナンに通われてたんですよね?
横井 森会長のところには大学の3年の頃から通ったんですけど。それもやっぱりリングスに入りたかったんで、その準備をするというか。ジムに入会するときに「大学卒業したらリングスに入ろうと考えてます」という話もして。
――当時はPRIDEが始まるか始まらないかの時期ですが、どんな練習をされていたんですか?
横井 ボクが通った頃はまだPRIDEは始まってないですね。練習はいまとそんなに変わらないです。森会長が技を教えてくれて、みんなでスパーして。ジムの先輩に池本誠知さんがいたんですけど、極めが強かったですよね。
――池本さんのファイトスタイルは“U系”っぽいですよね。横井さんはコナン時代に偽名で修斗に出てるじゃないですか? 「阿部新也」として(笑)。
横井 そうなんですよね(笑)。いまだから言えるんですけど。近畿大学には柔道の推薦で入ってるので、柔道以外の格闘技をやるのはよくないんじゃないかって考えて。森会長にも相談して偽名で出ようと。
――バレなかったですか?
横井 柔道部の監督にはバレなかったです。柔道部の仲間は応援に来てくれたんですけど(笑)。
――横井さんが目標にしていたリングスは、旧ルールからKOKルールに移行していた時期ですよね。
横井 ボクが入ったときはKOKルールでしたね。でも、ルールに関係なくとにかくリングスに入りたかったんで、柔道部の先輩に高阪(剛)さんの知り合いがいたんです。その方からリングスに話をしてもらって、入門テストを受けることになったんですけど。
――というと、大学時代は就職活動は何もしてなかったんですか?
横井 全然してなかったです。リングス一本。警察方面とか、いろいろと就職のお話もいただいていたんですけど。
――大学の柔道部を4年務め上げたら就職先はありますよねぇ。
横井 それなのに親にはリングス入りの話を全然してなかったんですよ。
――あれまー(笑)。
横井 母親が北海道の柔道関係者からリングス入りの話を聞いたらしくて。電話で泣かれましたねぇ。
――そりゃ泣きますよ(笑)。入門テストのときは横井さんのほかに何人受けたんですか?
横井 ボクひとりだけですね。
――ひとりだけ!(笑)。
横井 はい(笑)。そんときはボク以外受ける人がいなかったんでしょうね。ボクが入門したあとも、テストを受けたのはひとりだけでしたし。
――希望者がいれば受け付けるかたちなんですね。それ、メチャクチャ緊張しますね(笑)。
横井 「やっと憧れの世界に足を踏み入れるのか……」という緊張はありましたねぇ。中学生の頃からの夢でしたから。
――入門テストはどんな内容だったんですか?
横井 まず50メートル走があって、スクワット500回、腕立ては限界まで。ボクは90回やったのかな。そのあとブリッジが3分。そこらへんは森会長に言われてたんですね。「これくらいはできないと無理だ」ということで。あとスパーリングもありましたね。
――誰とスパーをやったんですか?
横井 伊藤(博之)さんですね。
――リングスジャパン最後にデビューした男・伊藤さん。テストは前田さんがチェックされてたんですよね?
横井 はい。前田さんがいらして。入門テストを受ける前に前田さんにはお会いしてるんです。大阪のどこかの大学の講演会に来られてて、そのときに初めて挨拶して。
――テストの合否はその場で伝えられたんですか?
横井 ……と思うんですど(笑)。受かるかどうかドキドキした記憶がないんで。
作/アカツキ
――リングスの新弟子はどんな生活だったんですか?
横井 朝10時から練習なんですよ。その前に昼のちゃんこの仕込みをやって。基本はボクと伊藤さんが仕込むんですけど。
――食材は何人分用意するんですか?
横井 何人分ですかね……。その頃は田村(潔司)さんが抜けて、山本(宜久)さん、成瀬(昌由)さん、坂田(亘)さんもやめて……。
――続々と日本人選手が抜けた時期だったんですよねぇ。では、接触のない先輩が多いんですね。
横井 坂田(亘)さんはゼロワンで一緒になりましたけど、リングス時代は1〜2回くらいしか会ってないんですね。
――入門早々の選手離脱はどう思われたんですか?
横井 前田さんが引退したあとは田村さんのことが好きだったんで。田村さんがリングスを抜けると聞いて「……あれ?」ってショックはありましたね(笑)。
――ああ、リングス好きだったら、田村潔司にも憧れますよね。
横井 UWFが好きな人はそうなりますよね(笑)。でも、先輩がいなくなったから、デビューも早くなったんですけど。
――入門4ヵ月でデビューするって身体はできていたということですよね。前田さんの口癖は「体重何キロ?」でとにかく身体を大きくさせたがるじゃないですか。
横井 ボクは何も言われなかったですけどね。「食え!食え!」とは言われてたんですけど、とくにちゃんこのノルマもなかったですし。そのときは100キロ超えていたので(笑)。
――ああ、増やす必要がなかった(笑)。
横井 身体をでかくするために、練習が終わったあとに500ミリ缶のビールを一気飲みさせられたことがありましたけど。練習直後だからキツかったですね(笑)。
――ビールを飲ませるのは新日本イズムなんですかね(笑)。前田さんは毎日道場に来られてたんですか?
横井 一時期来られてたんですけど、基本お忙しいので。前田さんの練習は昔ながらなんですよね。スクワット500回やったあとに、ジャンピングスクワット100回やって、次は80回、その次は60回、40回、20回と……(笑)。
――聞いてるだけで嫌になります(笑)。
横井 腕立て伏せを限界までやって。股割りで後ろからガンガン押されて。みんな筋膜炎になって動けないでいると「俺の若い頃は倍はやったぞ!」って怒られるんですけど(笑)。
――それは横井さんと伊藤さんがやらされるんですか?
横井 前田さん練習をやってたのはボク、伊藤さん、滑川(康仁)さんですね。
――滑川さんはデビューしてますよね?(笑)。
横井 されてますね。デビューして5年経ってもその練習をしてましたから。
――デビュー5年経っても!
横井 凄いなと思いました。
このインタビューの続きと天田ヒロミ、巌流島中止の謎、川尻達也、康芳夫、笹原圭一書評などの記事がまとめて読める「詰め合わせセット」はコチラ http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar841870
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こうやって楽しそうに振り返ってもらえると読んでいても気持ちがあたたかくなります。横井選手本人は謙遜されていますけれど、01の両国大会での大谷、田中対坂田、横井の対戦はめちゃくちゃ面白い試合でした。試合後に坂田選手が「これは皮肉とかでなく、プロレスのチャンピオンって凄いなって思いました」というコメントが忘れられないです。
吉田のセコンド見てこいつらクスリでもやってんじゃないかと。
横井選手はリングスとゼロワンて見てますからもう異常に見えました。
吉田秀彦には関わらないで欲しかった、
ですが愛を貫く横井選手は絶対に違いますね。
変な目でみてごめんなさい。