プロレスラーの壮絶な生き様を語るコラムが大好評! 元『週刊ゴング』編集長小佐野景浩の「プロレス歴史発見」――。今回取り上げるレスラーは全日本プロレス社長、秋山準です! イラストレーター・アカツキ@buchosenさんによる昭和プロレスあるある4コマ漫画「味のプロレス」出張版付きでお届けします!
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血を血で洗う格闘技抗争劇――前田日明NKホール襲撃事件の闇がいま語られる!
◯小佐野景浩のプロレス歴史発見
「天龍番」が感傷に浸れなかった天龍源一郎引退試合――!!
6年間勝ち星なし、ファイターはここまで精神的に追い込まれてしまうのだ……
◯なぜ横綱は大晦日に再び挑むのか? そこには13年間にわたる怨念があった――
曙インタビュー「プロレスファンの皆さん、俺と一緒に入場してください!」
◯大沢ケンジ師匠の格闘技談義はUFCの女王ロンダ・ラウジーの敗戦を検証!
なんとロンダはホーリー・ホルムにもう勝てない!?
・ミルコ・クロコップ、13歳の息子を特訓中「私と同じサウスポーでね、クレイジーなハイキックを放つんだ」
・コナー・マクレガーが仕掛ける同時多発的メンタルゲーム
――『東京スポーツ』新聞社制定「2015年度プロレス大賞」の授賞式が1月21日に控えていますが、小佐野さんも選考委員として選考会議に出席されました。いまはプロレス団体の増加とスタイルの豊富さにより選考も年々難しくなっていますね。
小佐野 UWFが登場して以降、本当に難しくなってますよね。
――あ、80年代まで遡りますか(笑)。
小佐野 満場一致で決定できたのは80年代までですよ。UWFにしてもあのUスタイルをプロレスとして認めるかどうか。いや、もちろんプロレスなんだけど、「しょっぱい」という見方もできますよね。
――たしかに華のないスタイルとも受け取れますね。
小佐野 一方では「格闘技性のあるプロレス」と評価もできるし。そうなっていくと好き嫌いになっていくよね。UWFの中で一番いい試合を選ぶのは難しくないですよ。ヘビー級、ジュニア、デスマッチにしても同じです。でも、すべてひっくるめて選ぶとなると、そこはインパクトですよ。この1年間で何が一番インパクトがあったか。
――小佐野さんの審査基準はインパクト。
小佐野 たとえばベストバウトって昔だったら「この試合しかない!」って決められたけど、いまはいい試合はたくさんあるでしょ。「どれをおぼえてますか?」ってことになる。試合内容ってことになると、昔よりいまのほうが絶対に上。はてしなく高度になってるから、ファンもそういう試合を見慣れてるからね。
――そうなると、なかなか甲乙つけがたいですよね。以前、選考委員として参加されたターザン山本さんいわく、東スポの思惑で決められてるとしてますね。
小佐野 東スポは関係ない。審査員は東スポの人間だけじゃないし、各記者それぞれの思惑はあるでしょうけど、東スポという社としての思惑は一切ないですよ。記者それぞれに自分が1年間取材してきたプライドがあるから、それぞれの主張がぶつかり合ってますよ。だから面白いし、あんなにオープンな会議もないと思うよ。
――透明性があるんですね。
小佐野 意見を言う合うわけだから、選考委員同士、険悪にもなるわけですよ。「そんなの選んだらおかしいだろ!」って雰囲気にもなるし。
――一番険悪になったシーンっておぼえてますか?
小佐野 毎回多少は揉めるけど、議論を尽くした上での投票だから、最終的には全員が納得するかたちになるけども。ファンには談合のイメージがあるかもしれないけど、選考委員同士の真剣勝負、ガチンコです。だからけっこう気が重いんですよ(苦笑)。
――たしかに主張をぶつけあうってエネルギーがいりますね(笑)。
小佐野 あといまは興行数も多くて、全試合見てる人なんて誰もいないでしょ。自分が見ていない試合は言えないところはあるし、あとで映像を見るのでは印象も違ってくる。そのときの会場の空気感は感じられないしね。
――インパクトという点では、ベストタッグの大仁田厚&長与千種はまあわかりますね。
小佐野 タッグになるともうちょっと専門屋として評価してほしいなってことで、私は鈴木みのる&飯塚高史を推したんです。この2人はタイトルマッチにかかってないし、戦績もよくないんだけど、タッグとしてひじょうに素晴らしかった。好き勝手に暴れてるようでちゃんと役割分担ができてるし、試合をリードしていく。鈴木も飯塚も古いタイプのレスラーだから、反則をやるときはレフェリーに見られないようにやったりね。古いタッグ屋の戦法を踏襲していたりするから。好き勝手やってるように見えてなんて緻密なんですよ。
――そうやって選考会議でプレゼンするんですね。
小佐野 だから鈴木&飯塚はいいところまでいったんですよ。そういう意味ではプレゼン力は重要ですよね(笑)。
――興味深いお話でした! それで今回のテーマなんですが、現在全日本プロレスの社長を務める秋山準選手についておうかがいいたします。
小佐野 彼が全日本プロレスに入団したのは1992年なんですけど、私は天龍番としてSWSを担当していたこともあって、全日本を取材できなかったんですね。
――以前もお話されていましたが、政治的な問題が横たわっていたんですね。
小佐野 専修大学のレスリング部主将が入ると聞いて思ったのは、専修といえば新日本プロレスのイメージが強いじゃないですか。
――長州(力)さんに馳(浩)さん、中西学選手も専修出身ですね。
小佐野 「なぜ全日本に入るんだろう?」と不思議だったんです。それに背が190センチあるわけじゃないし、アマレスの実績はオリンピックに出たとか、そんなに凄いものがあるわけではない。しかも元横綱の輪島さんとは別格として、ジャンボ鶴田、天龍源一郎、秋山だけですよ、入団会見をやったのは。
――ああ、完全にエース候補扱いだったんですね。
小佐野 それほど逸材だと馬場さんが評価したってことですよね。だから「秋山準はそんなに凄い選手なの?」という興味はあったんです。入団会見をやったあと『ゴング』編集部に挨拶に来たとき初めて会ったんですけど。
――へえー、挨拶回りもやったんです。
小佐野 それだけ売り出したかった人材だったんですね。そのとき私は『ゴング』の副編集長だったんだけど、「いまボクは全日本と仲が悪いから」なんて冗談めかしに挨拶した記憶がありますね(笑)。
作/アカツキ
――秋山選手はプロレスラー志望だったわけではないんですよね?
小佐野 秋山本人はプロレスラーになるつもりはなかった。全日本とあいだを取り持った松浪(健四郎)先生に「今日、ホテルにメシを食いに行くからネクタイを締めてこい」って言われて。ホテルには馬場さん、元子さん、渕(正信)さんがいて、秋山は何も聞いていないのに「心配ないから」という話になっていた(笑)。
――本人の承諾もなく入団確定ですか(笑)。
小佐野 どこかの企業の就職内定が出ていたみたいですけど。本人が言うには「夕方、疲れきってバスの吊革にもたれているサラリーマンの姿を見て、こんな感じになるのは嫌だなあ」と。それだったらプロレスラーでもいいんじゃないかと思ったそうですね。
――自分が培ってきた技術、鍛えてきた肉体が活かせる職業ですし。
小佐野 秋山は物事を冷静に見れる人だから、長州や中西学という大先輩が専修にいたわけでしょ。彼らと比べたら「自分なんかがプロレスラーになれないだろう」と思っていたわけですよ。新日本から声がかかったわけじゃないし、全日本という頭もなかったと思うんですよね。どこかに書かれたらしいけど、秋山が新日本のテストに落ちたなんてのはまったくの事実無根で。
――それがエリート待遇で全日本入りして。馬場さんの眼力どおり、デビュー戦の小橋建太戦も新人離れした試合ぶりでしたね。
小佐野 あの試合は会場では見ていないんですよ。でも、テレビ画面を通しても「凄い!」と思った。こんなに早くプロレスに馴染むだって。馴染みすぎててフレッシュ感がむしろなかったかもしれない。面構えも初々しいというより、生意気な感じだったでしょ?(笑)。
――新人とは思えない面構えでしたね(笑)。
小佐野 後年親しくなって話をしたら、プロレスファンだったわけじゃないし、小橋のように挫折を味わってプロレスラーになったわけじゃない。まさにエリート。「ファンとしては感情移入しにくいレスラーだったと思いますよ」と自己分析してましたね。「プロレスファンに支持されないのはわかってましたよ」と。
――支持されてなかったですか? 評価は高かったような……。
小佐野 デビューしてから最強タッグまではよかったんですよ。年明けから川田(利明)にボッコボコにやられて、ファンも「そうだ、川田!秋山にプロの厳しさを教えてやれ!」というムードになっちゃったんですよ。川田の厳しい攻撃を受けてるうちに「色がない」「伸び悩んでる」と批判され始めて。そんな状態が3年くらい続いたんですよね。やっぱり常に先輩レスラーと対戦してるから、試合をコントロールできないんですよ。
――言うても新人レスラーですもんねぇ。
小佐野 とくに川田には完膚なきまで叩きのめされましたからね。「いまだに川田さんに会うと当時に戻っちゃいますよ」と。それくらい怖い先輩だった。
――まさにデンジャラスKの洗礼だったんですね。
小佐野 川田にやられてるときは「何回もやめたくなった。この人は俺のことが嫌いなんじゃないか……」と。やり返すこともプロレスのリングだと難しいでしょう。「よーいドン!」のケンカならともかく、プロレスという範疇の中ではね。それを超えちゃうときもあるのかもしれないけど、それでも川田には勝てないと思う。
――プロレスの強さでも勝てない。
小佐野 でも、秋山が一番吸収したのは川田利明だからね。
――馬場さんからも帝王学を学んだんですよね?
小佐野 秋山は頭でも理解できないとイヤだったんです。身体でもおぼえるんだけど「なぜこうなるのか?」って頭でわかりたいタイプ。そこは馬場さんが「それはこうなるんだよ」と教えてあげる。たとえばロックアップからヘッドロック、ロックアップからリストロックって、いまのレスラーの多くは動作としてやっているでしょ。
――型としての動きですね。
小佐野 秋山はロックアップから相手が押し返してきた力を利用して引きつけてヘッドロックに取るとか、相手が首にかけてきた左腕をアゴで押さえて、テコの応用で腕を取るとか、ちゃんと理論的に基本的な動きをやっているんですよ。
――その動きには意味があることがわかってるんですね。
小佐野 「そうじゃなきゃ戦いじゃないですよ」って言うんですよ。タックルで倒れて起き上がるときも、右から起き上がる場合と、左からの場合がある。そこも体勢によって違うんですよ。それが無意識でできるのがプロレスラーなんですね。
――型だけになったらお芝居になってしまいますよね。
小佐野 佐山サトルがよく「お芝居」「学芸会」とか辛辣な言い方でプロレスを批判するけど、秋山はナチュラルに動けるプロレスができるんですね。
――しかし、センスがあってそんな指導を受けても伸び悩むもんなんですね。
小佐野 秋山いわく「デビュー戦は小橋さんが充分に引き出してくれたこともあった。120点満点の試合をしちゃったんで、あとがつらかったんですよ(笑)」と。やっぱりまだ新人だし、ホントはそんなにできる人間じゃないのに、あの試合を基準で見られ続けたわけだから。ホントかどうかはわからないけど、小橋からすれば、期待の新人のデビュー戦だから責任重大でしょ。小橋が天龍さんと初めて試合をしたときの映像を見たってことをちらっと聞いたことがある。要はどうやって若い人間と相対して引き出してやるか、と。
――小橋さんのプロレス観って興味深いですよね。そのへんのことをあまりしゃべらないこともあるからなんですけど。
小佐野 ある意味で職人さんなんだろうね。そういうことは絶対にしゃべらない。口にするのは「ファンのために」という例のフレーズだけ(笑)。ホントはプロレスをもっと深く考えてるんだろうけど、そういう話をすることは好きではない。プレイヤー以外に話す必要はない、知る必要はないと。三沢光晴も同じようなところはあった。
――秋山選手が存在感を増していったのはNOAHに移ってからですよね。
小佐野 ある意味、彼が頑張らないとNOAHが成立しなかったから、物事を凄く考えていた。それまでの全日本の選手はしゃべらないし、「いい試合をすればいい」という考え方。でも、秋山は違った。発信しないと他人には伝わらないし、見てもらわないと意味がない。そのためには伝わるように努力しないといけない。言葉でプロレスをしようとしたんです。全日本の頃からも、彼はしゃべっていたほうだったと思う。「言い過ぎくらいがちょうどいい」ってのが秋山の考え方。「僕らが考えて『ちょっと言い過ぎじゃない?』っていうのは普通なんですよ。『それは絶対まずいよ!』でようやく記事になる載るぐらいですよ」と。ただし、言うからには責任も取らなきゃいけないから。
――言葉でプロレスをしようとしたきっかけはあるんですか?
小佐野 そこは四天王にはなれないからですよね。三沢光晴、川田利明、小橋建太、田上明、この4人は試合だけで表現できるけど、自分はあのレベルまではいけない。だったら違う何かでトッピングしないと勝負できない。それが何かといえば、あの人たちにはない言葉になるんですよね。
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秋山さんの三冠初挑戦では三沢さんが風邪かなにかで当日のコンディションが悪く,秋山さんがそれに合わせてしまい盛り上がりに欠ける結果となってしまったそうです。もちろん重圧と緊張もあったと思います。