ハックルベリーに会いに行く
ピクサーの限界(前編)(2,019字)
ピクサーには限界を感じる。
今日はそのことについて書いてみたい。
ピクサーやディズニーのアニメは、非常に独特な作り方をしている。それは合議制で決めるということだ。日本のように監督が部屋にこもって絵コンテを描くのとは違う。多いときには30人くらいが一つの部屋に集まって、プレビズという試作品を見ながらあれこれ議論を戦わすのである。
その過程で、必然的に角という角は取られてしまう。結果、非常に丸い映画が作られる。どこから見てもツッコミどころのない映画だが、しかし逆にいえば、ツッコミどころのないところが一つのツッコミどころとなるのだ。
最近のピクサー及びディズニーの映画には、そういう限界が見えてきた。つまり、合議制で作ることに、一つの限界があるのだ。
ところで、議論の前提として、そもそもピクサーのような合議制がなぜ成り立っているかということについて見ていきたい。
その理由は、大きく三つある。
一つ
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