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小説『神神化身』第二部 第十六話 「微忘トランスファー」
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小説『神神化身』第二部 第十六話 「微忘トランスファー」

2021-08-13 19:00

    小説『神神化身』第二部 
    第十六話

    「微忘トランスファー

     いくら謎めいた居候の持ち物とはいえ、人のノートを覗き見る趣味は無い。だから、阿城木(あしろぎ)が七生(ななみ)のノートの中身を見てしまったのは不可抗力だった。朝になっても起きてこなかったのは七生だ。ノックをしても起きなかったのも七生だし、かといって朝食を食べ損ねたら暴れ回るのも七生である。中に入っても仕方がない。
     阿城木が部屋に入ってもなお、七生はまだ布団に包まっていた。そこから、昔自分が着ていた寝間着が覗いている。母親が嬉々として着せていたものではあるが、このまま七生がこの家に居続けるのなら、新しい物を買ってやった方がいいかもしれない。サイズが合っていない所為で、余計に幼く見える。正直、頼りない。
     その寝顔が思いの外安らかであることには安心した。よく分からない奴だからこそ、夢の中くらい無敵であってほしいと思う。
     それにしても、七生は起きない。
     無防備に心を許してくれたのか、それとも自分の存在が眼中に無いのか。前者だと自惚れる気にはなれなかった。
     さて、叩き起こしてやろうかと思ったところで、隅の机に小さなノートが広げてあるのを見つけたわけである。
     悲しいかな、阿城木の目はとてもいい。見てはいけないと思った瞬間には、中の文章を読み取ってしまっていた。
     七生の書いた丸文字で、ノートのページはみっしりと埋まっている。そしてその内容は──……何のことはない、スイーツレビューだった。
    「何だこいつ……本職グルメライターか何かなのか……?」
     近所の美味しい洋菓子店や注目している和菓子屋、それらの店の甘味を食べた感想が子細に記載されている。ここまできたら、と捲っていくと、阿城木が作ったフレンチトーストやらの感想もふわふわだの香りがいいだのと丁寧に書かれていた。
    『このまま阿城木を褒めて伸ばしていけば、スイーツ職人として大成させられるかもしれない。ここに僕のスイーツ王国を作ろう』
    「……させてたまるか!」
     思わずそう言いながら、表紙を確認する。そこにはやや大きな文字で『微忘録 Vol.2』とあった。……漢字を間違えている……。
    「へえー、阿城木は人のノートを覗き見る趣味があるんだぁー」
     小さい悪魔の何とも言い難い声がしたのはその時だった。そのまま、首筋にひやっと冷たい感触がする。七生が手をぺたりと付けてきたらしい。
    「ぎゃっ!」
    「えー何その反応ー傷つくなあー。僕の体温が錦鯉レベルでもべたべた触っていいんじゃないのー?」
    「お前わざとやってんだろ! ていうか起きてたのかよ!」
    「さっき起きたの。ふーん、僕のことネズミ呼ばわりする癖に、阿城木もそういうことするんだぁー。ここはネズミさんの巣みたいだねぇー」
    「お前がぐーすか寝こけてるから起こしに来てやったんだろうが! そ、そうしたら……なんか机にあんなって……見るつもりはなかったんだって、マジで……」
    「ふぅーん」
    「何だよその目! あとお前備忘録の漢字間違えてんぞ。漢字弱々か? 人ん家の冷蔵庫漁ってないで勉強しろ、勉強」
    「それはわざとだってば、わーざーとー! 微妙に忘れることを記録していくから微忘録で。どう? これはこれでお洒落だと思わない?」
    「お前のセンスがわかんねえよ……」
    「とにかく! 覗き見たのは阿城木じゃん! ばーか! 覗き魔!」
     七生がぎゃあぎゃあと喚きながら枕を投げてくるので、今更ながら罪悪感が湧いてくる。派手に漢字を間違えている、手書きのスイーツレビュー集でも、七生にとっては大切なものなのかもしれない。だとしたら、相応の対価を払わなければいけないだろう。
    「わかったっつーの、ちょっと待ってろ」
    「え? 何? 詫びスイーツ?」
     阿城木は自分の部屋に行くと、古ぼけたノートを持って戻った。そのままそれを、七生に押しつける。
    「何これ?」
    「俺が中学の頃に描いた、最強化身(けしん)集だ。俺に出るならどんなやつがいいかなって……。見ていいぞ。お前も見られたくないもん見られたんだから、俺もそうすべきだろうし」
    「僕の微忘録をお前の黒歴史ノートと一緒にするな!」
     何か間違えたっぽいな、と阿城木は思う。やっぱり自分には七生のことがよく分からない。



     ともあれ、禊(みそぎ)自体は済んだという判定になったらしい。七生は微忘録を読まれたことを忘れたかのように、おはぎを食んでいる。それは本来デザートなのだが、七生は初手からおはぎを攻め、今や三つ目に手を伸ばしていた。
    「おはぎは……」
    「デザートのつもりで用意したんだろうけど、僕には通用しないからね。おはぎの中はお米だもん。主食じゃん」
    「心の中を先読みした上で屁理屈をこねんじゃねえ」
     阿城木がそう突っ込むものの、七生は素知らぬ顔をしている。気づけばテレビは怪盗ウェスペルが萬燈夜帳(まんどうよばり)の講演会に現れたというニュースを報じていた。
     そこでは何だかんだがあり、名探偵の皋所縁(さつきゆかり)が殺人事件を解決し、萬燈夜帳は大いに満足げで、ウェスペルは逃げてしまったらしい。世の中は色々なことが起こるものだ。
    「しっかし、怪盗ウェスペル? よく捕まんねえよな」
    「あったりまえでしょー? だって怪盗ウェスペルは本物の怪盗なんだから!」
     勢いづいた様子で七生が言う。思いの外子供っぽい反応を見せる相手に戦きながらも、阿城木はどうにか「……お前、ああいうの好きなの?」と返した。
    「だって怪盗ウェスペルはロマンでしょ! 怪盗だよ!? それが分かんないなんてセンス無いなー」
    「いやまあ……悪い奴から盗むっていうのは何か筋が通ってんなと思うけどさ……そこまでロマン感じるわけでもねえな」
    「皋所縁との対決、また見たいと思ってたんだ。引退したって出てた気がするけど、復帰──」
     そこまで言って、ハッと七生が口を噤む。恐らくは皋所縁という名探偵の名前から拝島去記(はいじまいぬき)のことを連想したのだろう。別にチームメイトの過去に関係している人間だからといってはしゃいじゃいけないこともないだろうが、七生はその辺りを気にするようだ。
    「俺はどっちかっていうと萬燈夜帳の方が気になるけどな」
     話題を変えるべく、少々わざとらしいくらいにそう言ってやる。すると、その話題の転換に乗ることにしたのか、七生が言った。
    「その萬燈夜帳って人、有名なの?」
    「お前マジかよ……本屋とか行かないタイプか? めちゃくちゃ売れてる小説家だぞ。出す本出す本面白えし」
    「面白えって……読んだことあるの?」
    「俺は割と本読むからな」
     阿城木がサラッと言うと、七生は苦虫を噛み潰したような顔をした。
    「え、嘘……ほんとに? 阿城木のその妙なインテリキャラ何?」
    「俺はインテリキャラじゃなくてインテリなんだっつーの。大学でも成績上位だからな」
    「う、ムカつく……。いいじゃん……本読むかどうかなんてその人の勝手でしょ……」
    「勝手だけど、俺は読んどいてよかったわー。口の中常に甘太郎にこうしてマウント取れっからな」
    「読書は他人にマウント取る為のものじゃないでしょ!」
     おはぎを目一杯に口へと詰め込みながら、七生が尤もらしいことを言う。それだけ甘い物ばっかり食べ続けて、しょっぱいものが欲しくならないのだろうか? 常に甘みだけを感じさせられている七生の味覚に、軽い同情を覚える。
    「とにかく、僕は断然ウェスペル派だから! でも、ウェスペルもらしくないよね。萬燈夜帳の生原稿って、あんまりウェスペルのターゲットらしくないし。もしかして、別の目的があったんだったりして」
    「萬燈夜帳に会いたかっただけなのかもな」
    「もしくは皋所縁に会いたかったのかも」
     七生が首を傾げながら言ったところで、ニュースは次の話題へと移った。
    「そういや、今日はお前のこと構えねーからな」
    「何で? 大学? 今日休みでしょ?」
    「上野國(こうずけのくに)の舞奏社(まいかなずのやしろ)に顔出さなくちゃなんないからな。ほんとは拝島のやつを迎えに行って、水鵠衆(みずまとしゅう)としての稽古をしたかったんだけどな……」
     どのみち廃神社に顔を出さないといけない拝島を一旦は送り返していたから、稽古はまたの機会になってしまったのだが。
    「舞奏社か……何するの?」
    「そりゃ、俺はノノウだったわけだし……舞奏披(まいかなずひらき)出る予定だからな。いきなりノノウとしての稽古をほっぽるのもおかしいだろ。水鵠衆の話を拝島がいない状態で言うのもなって思うしな」
    「ん……まあ、そうだね……」
    「何ならお前も来るか? 上野國の舞奏社に面通しといた方がいいだろ?」
     何しろ、これから水鵠衆として活動していくのだ。舞奏衆(まいかなずしゅう)を組むことはまだ伝えなくていいにしろ、化身持ちの七生千慧(ちさと)として挨拶をするくらいはいいだろう。
     だが、七生は微妙な顔をして首を振った。
    「いや、まだだって……こういうのはタイミングが重要だから。今日のところは阿城木が一人で行くといいよ。それがいい、それがいい。うん」
    「まあ、お前がそう言うなら無理強いはしねえけどさ」
    「うん。僕そういうのよくないと思う」
    「それ拝島の台詞だろうが」
     阿城木が鋭く言うと、七生はわざとらしく肩を竦めてみせた。



     そういうわけで、阿城木はいつも通り一人で舞奏社に向かい、稽古をした。本当は水鵠衆として二人とここに来たかったが、確かにまだ早いのだろう。それでも、その日を思うだけで稽古には力が入った。
    「すごいわ入彦(いりひこ)くん! いつにもまして素晴らしい舞奏(まいかなず)だった!」
     社人(やしろびと)である筒賀嶺(つつがみね)もそう言ってくれる。彼女は阿城木が小さな頃から目を掛けてくれていた相手で、恩人と言っていい人間だ。だからこそ、その彼女にこうして褒めてもらえることは嬉しい。
     だが、筒賀嶺が阿城木入彦を覡にと推してくれたことはない。それは上野國の舞奏社の方針が化身持ち以外を覡に推さないからであるからだが、なら、彼女の賛辞とは何なのだろう?
     そんな阿城木の心中など知らず、筒賀嶺が続けた。
    「でも、本当に何かあったの? 元から実力は折り紙付きだったけど、見違えるくらいで……」
     屈託無く褒めてくれる筒賀嶺には、何の悪意も無い。それなのに、鬱屈は溜まっていく。褒めそやされるほどに冷えていく心を、今までなら適当に流せていたはずだ。だが、気づくと阿城木の口は勝手に動いていた。
    「もし俺に化身が出たって言ったら?」
    「え?」
     筒賀嶺の表情がみるみる内に変わっていく。驚きから、期待に満ちた笑みへと。その手は今にも拍手喝采を送ってきそうだ。ずっと待っていた瞬間だと言わんばかりに、筒賀嶺が言う。
    「もしかして入彦くん……本当に化身が? やっぱり……! だって、さっきの舞奏は本当に素晴らしかった! 今までとは全然違っていたもの! ああ、本当に──」
     そこで、筒賀嶺の言葉がはたと止まった。阿城木が何とも言えない表情を浮かべていることに気がついたのだろう。冗談と呼ぶには少しばかり悪質な、それでも阿城木が吐くからこそ許されてしまうような、切実な嘘。
    「すいません。意地の悪いこと言って」
    「いや、そんなの……そんな……うん。確かに、意地悪だったけど……ごめんなさい、早とちりしちゃって……ね?」
     騙されたのはそちらなのに、心底申し訳無さそうに筒賀嶺が言う。その瞳には、本当に微かではあるけれど失望と批難の色も混じっていた。本当に意地の悪いことを言った。彼女はずっと昔から、阿城木の努力が報われることを願ってくれていたのだから。
     けれど、報われるとは何なのだろう。化身が出ようと出まいと、筒賀嶺が認めてくれた阿城木の舞奏は変わらないのに。
     七生に出会ってから少しだけ忘れられていた、焼け付くような焦燥を覚える。世界は何一つ変わっていない。未だに光は遠く、求める舞台は阿城木を求めない。
     だが、七生千慧は阿城木入彦を選んだのだ。覡(げき)にしてくれると──そう言った。
     七生の前で早く舞いたかった。彼ならきっと、本当の意味で阿城木の舞奏を観てくれるだろう。
    「そうだ! 入彦くんのおうち、今小さい男の子いるのよね?」
     朝の阿城木と同じような、唐突な話題の転換だった。大方、この空気の気まずさに耐えられなかったのだろう。
    「あの子、どこの子なの? 魚媛(うおめ)ちゃんが方々で話してるから気になって」
    「あー……あいつは単なる座敷童(ざしきわらし)です」
     反射的に答えてから、はたと気づく。筒賀嶺が知らないということは、七生の存在は舞奏社で知られているわけじゃないのか。てっきり、顔は知らずとも存在くらいは舞奏社に報せているんだろうと思っていたのだが。
     何だか嫌な予感がする、と阿城木は思う。家に帰ったら、もう少し七生を問い詰めないといけないかもしれない。
     だが、七生のあの妙に訳ありげな様子を見ていると、強く出られないのも正直なところだった。やりにくい、と阿城木は小さく零す。


      *



     七生千慧は夢を見ていた。昔の──本当に昔の夢だった。
    「試験お疲れ」
     食事を終えた千慧の目の前に、二層仕立ての真っ白いチーズケーキが置かれる。どう見ても全力食堂のメニューには無かったものだ。
    「何これ?」
    「今度全力食堂で出すかもなんだわ。俺特製チーズケーキ、味わって食えよ」
    「ほ、ほんとに? ほんとにー!? あ、ありがと三言(みこと)!」
    「ケーキ一つでそんな目ぇ輝かされてもな」
     六原(むつはら)三言は呆れたように言うが、その目は優しかった。幼馴染のことを見守ってくれる、北極星のような三言。三言がいれば、何だか全部が上手くいくような気がした。
    「試験、比鷺(ひさぎ)にボロ負けだったんだろ? その慰めってことで」
    「ひ、比鷺はしょうがないでしょ? あいつチートなんだもん! 真面目に学校行ってる甲斐が無いんだけど!」
    「おーおー、大変だねえ。そういうの見てると、やっぱ進学しなくて正解だったって思うわ」
    「でも僕、三言と一緒に浪磯(ろういそ)高校通いたかったなー……」
     ぽつりとそう言ってしまってから、千慧はハッと口元を押さえた。舞奏に集中する為に、浪磯高校への進学をやめるというのは三言の決断だ。そこに千慧があれこれ言うのは違う気がする。
     三言の家族が事故に遭わなかったら、三言は浪磯高校に進学していただろうか、なんて嫌なことまで思ってしまった。あれ以来、三言はなんだか、舞奏に全てを懸け過ぎているような気がする。
     そんな三言がいるからこそ、千慧も安心してその背を追うことが出来るのだけれど、心配なことは心配だった。
    「だったらまず比鷺の方をどうにかしろよ。浪磯高校に通ってない俺並に学校にいねーだろ」
    「それはね。ていうか、学校の大掃除とかちゃんと来るのかなー? 遠流(とおる)は来ても寝てるだろうし、比鷺は来たらちゃんとやるだろうけど、そもそも来るのかって話だし」
    「九割来ねえだろうなー。賭けてもいいわ」
    「うっそだぁー。三言もモップ持って寝るじゃん。僕知ってるんだから──」
     そう言って、はたと思う。何でそんな風に思ったんだろう? まるで見てきたみたいだ。
    「何だろう……何か忘れてるような気がする……覚えておかないといけないことが、あったような気がするんだけど……」
    「覚えておかないといけないこと? 化学式と英単語だろ」
    「もー! そういうことじゃないんだってば! ……ねえ、前もこの会話しなかった?」
    「はあ? 何言ってんだよ」
    「その時はベイクドチーズケーキを……食べたような……」
    「なーに言ってんだよ。甘いもんに関することをお前が忘れるわけねーだろ。それともあれか? 今度はベイクドチーズケーキが食べたいって話か? どんだけ食い意地張ってんだつーの」
    「そうじゃなくて……」
     千慧の目の前には美味しそうなレアチーズケーキがある。それにフォークを入れようとする。美味しいことは分かっている。三言が自分の為に作ってくれたのだ。けれど、千慧は分かっている。
     このケーキを食べたら、きっとこの夢は終わってしまう。
     夢の所在なさが現実までを侵し、不安で動けなくなりそうだ。もしかすると、自分が把握しているよりも、更に前があるのかもしれない。自分は取りこぼさずにいられるだろうか。
    「なんだろう、すごく不安なんだ。僕は全部抱えてきた。前の世界も、抱えてきたはずなんだ。ちゃんと覚えてるよね? それなのに、何でこんな気持ちになるんだろう……。どうしよう、三言。どうしよう……このままだと僕、迷子に──」
    「……させてたまるか!」
     穏やかな夢の中には、場違いな声がする。聞き慣れない声だ。
     この場所には無い声、阿城木入彦の声だった。
     その声で、七生千慧はようやく目を醒ます。





    著:斜線堂有紀

    この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。





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    ©神神化身/ⅡⅤ

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