昨夜は、interFMの宇多田ヒカルの超癒し系トークでしたね。自宅での「宅録」で届いた放送は、とってもパーソナルな雰囲気で、リスナー一人一人が自分のために語ってくれてるような気持ちになるのが魅力的でした。
ヒッキーの声ずいぶん久しぶりで懐かしくもあり、でも普段ツイッターとかで声が脳内再生されてたので、久しぶりでない気もしたり不思議な感覚でした。
生主によるニコニコ生放送に近いものがあります。ぜひニコニコ生放送でもやって欲しいです。「録音」なんだけど、ヒッキー本人もそれ聞きながらツイッターとかコメント参戦とかしてほしいです。
この「宅録」、いわば、ひきこもり録音、いいですよね。心がつながるような感覚。
ということで、この現象をあの言葉「たこつぼ」で紐解いてみようと思います。
「たこつぼ」。日本人が日本人の欠点をあげたら、まず間違いなく5本の指に入ってくるのではないでしょうか。
ここに一冊の本があります。丸山 真男さんの日本の思想 。この本、第1章、第2章は読むのが大変ですが、第3章、第4章は、講演の書き起こしなので普通に読めます。で、読めば、きっと最初から最後まで「うんうんそのとおりそのとおり、まったく日本人はこういうとこだめだよね」と頷き続けることでしょう。大学は縦割りでたこつぼでどうのこうの、欧米はサロンというとこがあって云々。
さて、この本、書かれたのは 1960年頃です。50年以上前です。
日本人は日本人のダメなとこ、これっぽっちも変わっていません。ここまで来ると愉快なので、ぜひ読んでみてください。
そのダメなとこを少なくとも50年引きずった日本人は、でも今も生きています。恐らく 1960年以前もそのダメなところは、だいたいそのまんまだったに違いありません。日本人は日本人をそんなに簡単には変えられないのです。
それは悲しいことでしょうか。いえ、違います。「たこつぼ」はダメなところもあるけど、いいところもあるのです。そのいいところでいいことをできるから、「たこつぼ」なところを抱えたままでいるのです。
そのいいところとはなにか。先日東京造形大学の2013年度入学式で、学長の諏訪敦彦さんからこんなスピーチがあったそうです。
東京造形大・入学式の式辞が名スピーチだと話題に 「経験という牢屋」学長が語る - ねとらぼ
大学に入ったけど、休学して現場で経験を積み、復学。そして作った映画はまったく評価されなかったそうです。一方
同級生たちの作品は、経験も技術もなく荒削りの映画でしたが、現場という現実の社会常識にとらわれることのない自由な発想にあふれていました。この時、諏訪さんは、大学の授業に出ることは、「自分が自分で考えること、つまり人間の自由を追求する営みであること」であり、自身が「経験という牢屋に閉じ込められていたこと」を理解したと語ります。「たこつぼ」とは書いてませんが、これが「たこつぼ」です。
この「たこつぼ」を大事にするのは日本人だけではありません。
日本の建築も手がけているデザイナー、フィリップ・スタルクさんはこんなことを語っています。
フィリップ・スタルクが語る「創造性、お金、セックス」