学生さんは、何故「自分たちがやってきた学問」について誇れないのだろうか
という記事にインスパイアされました。
その記事は、学生さんが採用面接で
サークル活動でこういう企画のリーダーをやって成功させた。○○というボランティアを行った。アルバイトで、××という店の立ち上げに関わった。色々な人たちとコミュニケーションをとって、成功に導いた。といった話が多くて、
「研究に打ち込み、こういう分野でこういう学問を修めました、修めようとしています」という話はしない。それは会社側がそういうのを求めていないからそうなるのだろう、つまり、
答えは明快だ。会社の側が、社会の側が、「学問」ではなく「リーダーシップ」や「コミュニケーション能力」を求めているから、彼らはそれに特化した答えを返すのだ。会社が、「お前らの学問など仕事では役に立たない」と今まで言ってきたから、学生さんはそれに特化した答えを学習してきたのだ。と分析しています。
面接官のお話なのでまったくその通りなのだと思います。
しかし、学問を修めることには大きな意味があります。
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でも紹介しましたが、東京造形大学学長の諏訪敦彦さんによれば、学問とは、
「自分が自分で考えること、つまり人間の自由を追求する営みであること」です。
そして、その最高峰は博士号。博士号を取るためには、どんなに小さくても世界の誰もなし得なかったことをして初めてもらえます。深い海に潜り、きらきらの金の粒をひらってくるようなものです。今まで無数の人が潜っておいしいところは持っていっていますから、なかなか見つけることはできません。
ドラマ「あまちゃん」のアキちゃんだって、早くウニを取りたいあまり、危険なところに潜って溺れかけました。
私の父は、学生時代、当時では無謀な研究をてがけ無惨にも挫折しました。その無謀な研究分野は、ここ10年大きく進んでいるようなので、4,50年早すぎたことになります。父は、いったん助手かなんかになって、後で博士号を取ることになります。たとえ博士課程で博士号を取った人も、もれなく一度ゾンビのような精神状態を通っています。
いままで多くの人が研究して来てる中での、「誰もなし得なかったこと」ですから、しかも、初めての成果ですから、その内容は極めて小さな金の粒であることが多く、説明しても、多くの人にはなかなか「どこがすごいのかよく分からない」ことでしょう。
でも、問題はそこではないのです。世界の誰も解いていない問題を見つけ、それを解いたというところが重要なのです。
それは、問題を解く高い能力があるというだけではありません。世界には解決できていない問題は無数にありますが、私の父の例を出すまでもなく、何かを解いたということは、今やれば解ける問題をてがけたというところにも、非常に高い能力を携えたということなのです。
たとえば「世界から戦争をなくしたい」と思う人は大勢いることでしょう。でも今それをてがけて、自分が天寿を全うするまでにできるでしょうか。もし難しいと考えるなら、では「世界から戦争をなくすこと」は今出来なくても、自分のできる範囲では何ができそうか、博士を持っていれば、それを見極める力が高いのです。
自分に解けそうな問題を設定し、解決する能力、そう言われたら、どんな会社だって「そんな人材がいるなら是非欲しい」と思いませんか? 博士は専門バカではないのです。
では、なぜ、博士号を持っている人の行き場がないのか(いわゆるポスドク問題)、学生は就職面接で学問に関係ないことをアピールしなければならないのか。