いつもとちょっと違う水曜、今回は気楽に書き始める記事[S]です。 

 こんな記事見つけました。

 効率的にてきぱきと、しかも掃除しながら作業する日本の工事現場の作業員の仕事っぷりがアンビリーバブル!と海外で話題に  

 海外から「お・も・て・な・し」と呼ばれ感動される日本のサービス。それはサービスに限らないと、工事現場を撮影した様子に驚いています。
「無駄口を叩かず、真面目にてきぱきと効率よく仕事こなしている。しかも掃除しながらだ!なぜ彼らはさぼろうとしないんだ?」
 こないだまで未就園児の子どもがいましたので、工事現場の見学も良くやってました。工事現場見るのって楽しいですよね。子どもがいれば後ろめたくなく見られるので嬉しいです。

 で、動画見ましたけど、まあごく普通の工事現場なんですけど、そうですか、これがそんなに感動的なのですか。

 しかも、その考察がすごいんです。
なぜこんなにもすべてにおいて、きちんと行われているのか。日本人持ち前の精神性などもあるのであろうが、すべてがそれのおかげとは言い切れないのではないか。私はここで仮説を立ててみた。日本人はどのような雇用形態であれ、仕事に就く際以下のような心持で挑んでいるのではないか。

a)自分の代わりは履いて捨てるほどいるのだから努力しなくてはいけない
b)なんにせよ仕事は仕事なので割り切ってやらねばいけない
 えー。何その仮説。まじで分からないのでしょうか。

 そんなの「無駄口を叩かず、真面目にてきぱきと効率よく仕事こなしている。しかも掃除しながら」の方が気持ちいいからに決まってると思うんですが。

 例えば、自分ちの家で、玄関から門まで歩道をDIYしようと思ったら、「真面目にてきぱきと効率よく掃除しながら」やった方が快感だし、できも良くなると考えるはずです。

 この道路工事の作業自体も、自分の家の玄関から門が快適になる訳ではありませんが、街の人々が快適に歩けるようになります。日本人だろうが外国人だろうが、美しく仕上がった自分の作業した道を、みんなが気持ちよく歩いていて嬉しくないはずがありません。作業自体もてきぱきやれば早く終わって快感だし、掃除しながらやれば、事故も減るし、仕上がりも良くなって快感です。

 もちろん日本だろうが外国だろうが、それだけの作業をしても給料が少な過ぎるとか、休みが少ないなど過酷とか別の問題はあるでしょうが、道路工事をてきぱきやること自体はそれほど不思議なことに思えません。
 でもこうやって労働の場面として見ると、そんなにすごいことに映るのでしょうか。

 この間、東北x四国食べる通信 OKAWARI LIVE!@京都・五条というイベントに参加して、鰹の一本釣りのレポートを伺いました。鰹の群れは一回につき、10分ほどしか釣る時間がないそうで、その間はもう息をつく暇もなく釣り続けるそうです。そういう漁であれば、世界中どこでだって「真面目にてきぱきと効率よく」やる以外ありません。

 今、朝ドラで『花子とアン』やってますけど、小作農である主人公の家族は身を粉にして働いていて、だってしないとたくさん収穫できず、苦しくなるわけで、真面目にやるしかありません。

 外国だと農業も大規模で、自分が手を抜くかどうかなんて全体にはあまり関係がないから、やる気にならないのでしょうか。

 結局、単純に「真面目にてきぱきと効率よく」働き方が分からないだけかなという気もします。日本ではそういう作業の仕方が出来ていて、みなそのてきぱき働く快感も見て仕事を始めるのですから、自分もそうなるのでしょう。日本に働く海外の人や、海外で日本人が指導しててきぱき働くといった事例を聞いたことがあります。

 海外から賞賛される「おもてなし」もとても似ています。海外でも、リッツカールトンホテルの超一流のホスピタリティなど有名ですが、日本の場合、新幹線の清掃など、日本中すみずみまで、すばらしいサービスを見ることができ、そのことに外国人は大きな驚きを覚えます。

 以前二つの書籍を比べたことがあります。

 日本のおもてなしがなぜすごいのか大胆に仮説を立ててみた 

 『リッツ・カールトンが大切にする サービスを超える瞬間』という本では、ホテルの人たちがホテルの中でどのような一流のサービスをするかという話が中心ですが、『ディズニーと三越で学んできた日本人にしかできない「気づかい」の習慣』という本では、どっちかというと普段の生活規範のような話が多く、そうすることで自分が成長していくという視点です。おもてなしを実践することは、相手にとってだけでなく、なにより自分のためにもなるわけです。

 こうやってつなげていくと、工事現場の人も、