ちまたには「子供に自信をつけさせるには」という記事があふれています。

 今までそういう記事を見かければ大抵読んでいましたし、自分なりにいろいろ考えを巡らせ、また実践していました。

 そんな中、1ヶ月ほど前、とある何気ない出来事がありました。その時は何気ない出来事としてあまり気にも留めなかったのですが、後から後から気になりだして、そしてまたネットの「子供に自信をつけさせるには」な記事をみかけた時、その出来事がいかに重要だったかということに気づいたのです。

 それは、子供の本当の自信とはなにかということです。

 子供にとって本当の自信とは

 1ヶ月ほど前の何気ない出来事とはこんなものでした。

 私は小二の次男と公園で遊ぶために、二人で公園に向かっていました。道すがら、突然次男は私に「見てて」といい準備を始めました。道の側溝には蓋がかぶせてありますが、一部蓋がなく穴が空いている部分があったのです。そこを飛ぼうということでしょう。

 次男は、それは長すぎやろと思うくらい長い助走をつけて、その穴を見事に飛び越えました。得意そうな顔をする次男に、私はきっと「おお〜、すごいな〜、そんな飛べるんや〜」とありきたりの感想を言ったことと思います。そのときはそのままごくごく平凡な日常の風景としてやりすごし、公園に行って遊びました。

 でも今振り返ると、それは、子供の本当の自信を見ることができた瞬間だったのです。

 私たち大人は、子供に側溝の穴を飛べるようになれなどと指南したことはありません。

 そんな中彼は我々大人の知らないところで黙々と挑戦を続けていたのでしょう。友達に刺激されることはあるでしょう。もしかしたら大失敗していることもあるかもしれません。

 そうやって繰り返し挑戦した末に、彼は自分の中に「これくらいは飛べる!」という物差しを持つに至っていたのです。

 そして私と歩いているとき、ちょうどいい距離の穴を見つけ、私に披露したのです。私が内心長すぎるやろと突っ込んだ助走からして、それは彼にとってなかなかの挑戦だったに違いありません。でも彼は「これくらいは飛べる!」という自信があったし、だからこそ、それを私に披露したくて仕方なかったのでしょう。

 その時はそのままあまり気に留めなかった出来事ですが、飛び終わった後の彼の自信に満ちた姿はありありと思い出すことができます。

 そう、これが「自信」なのです。

 「他信」ではない「自信」

 この出来事から、「自信」の本質を垣間見ることができます。側溝の穴を飛ぶという、大人にとっては価値のない挑戦ですが、でも「自信」という視点で見れば、大人が与えようとする「自信」など「他信」でしかないことをまざまざと見せつけられます。

 側溝の穴飛びは、彼自信が課題を設定し、挑戦し、そして掴み取った「これくらいは飛べる!」という自信と、実際にそれをやり遂げる力です。

 なんという純粋な「自信」でしょう。

 もし、これを親が誘導したらどうでしょう。小二として普通に幅跳びができてるだろうかと気にして、飛んでみてと促して、少し物足りないようなら、上手に目標を設定したり、やる気を出させたり、効率良い練習方法を使って……、その結果見事さらに飛べるようになったとしましょう。飛んだ子供も満足そうです。でも果たして「自信」はついたのでしょうか。「自信」という名の「他信」ではないでしょうか。

 しかも、そんな風にうまくいくことはなかなか多くはありません。たいていその過程でウザがられ、嫌がられ、むしろそこから遠ざかっていくでしょう。私はいくつも失敗しています。 

 さらに怖いこともあります。よくある「子供と相談して決めさせる」みたいなやり方。でも、自分で決めたけど、期待される結果が出なかったという体験をすると、もう自分で決めようとしません。親にコミットメントしたくないのです。あるいは親が期待していると、全力でやって期待された成果が出ないのがいやで、全力を出さなくなるなんてこともあります。いくら親はどんな結果でもいいんだよと言ったところで、子供は、自分の納得のいかない結果を親に見られるのが嫌なのです。

 子供に自信をつけさせたいと思えば思うほど、むしろ萎縮していく。それが私の実感でした。少なくとも私のやり方では。なので最近はそういうことを極力避けていたように思います。

 そんな中、次男の側溝の穴ジャンプの披露があったのです。

 「子供に自信をつけさせる」ために唯一つ必要なこと

 つまり、本当の「自信」は、彼らが自分たちで身につけていくものだったのです。

 ですから、「子供に自信をつけさせる」ために唯一つ必要なことは、彼らと適切な距離を取ることです。自分の価値観で行動できる時間を確保することです。

 つい最近そのタイトルで似たような問題を考えたばかりでした。

 大人と子供の距離の取り方  
彼らにとって自分たちの価値観で行動できる時間は貴重です。

 そのときは、自律を学ぶ貴重な時間という風に考えていましたが、それはすなわち「自信」を育てるための時間だったのです。

 その芽を摘まないことも大切です。