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石のスープ
定期号[2013年9月18日号/通巻No.91]
今号の執筆担当:渋井哲也
今号の執筆担当:渋井哲也
渋井哲也 連載コラム【“一歩前”でも届かない】vol.14
「残った防災センターは何を意味するのか」
■2年半が経過した防災センター
岩手県釜石市では、東日本大震災の影響で、死亡者と行方不明者とあわせて1061人(2011年11月18日現在)が犠牲となった。このうち、鵜住居地区は583人で、市内で最も被害が大きい地域だった。なかでも、200人以上が亡くなったとされたのが「鵜住居地区防災センター」だ。2年半が経った2013年9月11日、片桐浩一さん(43歳)がその前に立っていた。
妻の理香子さんは、あの日、隣接する「鵜住居幼稚園」で臨時教諭として勤務していた。妊娠9カ月だったため、次の週からは産休の予定だった。お腹の子は女の子で、すでに「陽彩芽(ひいめ)」と名付けていた。
地震後、理香子さんは防災センターの2階に逃げて、津波に遭う。そして陽彩芽ちゃんとともに亡くなった。それ以来、浩一さんは、毎月11日の月命日に防災センターに来るようにしている。理香子さんに“会う”ためだ。
この日、理香子さんの両親とともに訪れた。3人で来たのは初めてだった。もしかすると、月命日に訪れるのは最後になるかもしれない……、その思いがあって3人で訪れたのだった。というのも、鵜住居地区防災センターの解体が、8月に決まったためだ。納得がいかない片桐さんは、野田武則・釜石市長と13日に面談することになっていた。
──きょうは理香子さんに会えましたか?
「なんか違うんだよね」
夜になってから市街地で浩一さんと再会し、このときの真意を聞いてみると、片桐さんはこう答えた。
「防災センターが解体されることが決まっている中で、その場所に行けなくなるというか、遠くなるというか。そういう意識が強くて感じたのかもしれない。いつもと違う。もう会えないかな、っていう。そのくらいの気持ちだった」
防災センターは、理香子さんがお腹にいる陽彩芽ちゃんとともに「最後に見た風景」が残る場所だ。だからこそ、心のよりどころになっている。月命日に来る時には、二人に会えるような気がしている。浩一さんは、いまだに髪も切っていない。
[キャプション]防災センターの祭壇で手を合わせる浩一さんと義父母
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