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第8回 1980年代ナムコが先導したビデオゲームの「日本化」
(前回までのあらすじ)
タイトーが1978年に送り出した『スペースインベーダー』の社会現象化により、
アメリカ的な進駐軍カルチャーとしてのアーケードゲーム文化は一変した。
それは「インベーダーハウス」と呼ばれたビデオゲーム主体のゲームセンターを
全国に生み落としたり、カウンターカルチャーの残り香漂う喫茶店などに
テーブル筐体として入りこんだりと、都市の風景を侵食する。
同時に、日本ゲームとしては初めてアメリカへの“逆侵攻”に大々的に
成功したタイトルとなり、以後の世界ゲーム史の共通の基盤を形成する。
かくしてコンピューターの中に見立てられた「もうひとつの世界」からの
侵略者が現実空間を侵食する、〈虚構の時代〉が始まった。
■ナムコ・ブランドの立役者となった『ギャラクシアン』
インベーダーブームの収束とともに幕開けられた1980年代前半の5年間は、日本の社会文化史の中でも、奇妙な明るさを放つ享楽的な期間として記憶されている。世界情勢の上では、1979年にソビエト連邦がアフガニスタンの内乱に軍事介入したことを機に、ベトナム戦争後の緊張緩和(デタント)状態が終焉して西側諸国との間で再び冷戦と核戦争の脅威が強まっていた。この緊張を受けて、1981年に就任したアメリカのロナルド・レーガン大統領が宇宙からのレーザー攻撃で敵の核兵器を無効化しようという戦略防衛構想(SDI)をぶち上げ、「スターウォーズ計画」などという当時のSFブームを反映した通称が世を騒がせた時期である。
このように、国際的には東西冷戦がそれこそ『スペースインベーダー』顔負けの宇宙戦争ゲームじみた方向へとエスカレートし、事態の深刻さとは裏腹にどこか浮ついた世紀末的終末感の高揚をもたらしていたおり。国内的には、オイルショックをいち早く乗り切っての安定成長期の物質的余剰に支えられ、国民の大多数が大衆消費社会と高度情報社会の到来をようやく全国規模で実感するようになった〈虚構の時代〉の中核期。言い換えればそれは、ちょうど1983年に開業する東京ディズニーランドのように、国際政治への見方から産業、文化に至るまで、「遊び」がかつてない広範さで社会全体のありようを規定するモードとして浮上してくる時代でもあった。
前章で見た「遊び」にまつわる近代以前からの歴史的脈絡に重ねて、そうした特異的な時代環境がアメリカ由来のコンピューターテクノロジーの発達と結びつくことで、日本はデジタルゲームという新興の娯楽ジャンルに、爆発的な進化をもたらす場になっていったと言える。
とりわけ、この時期のアーケードビデオゲームの「日本化」の強い推進役となったのが、ナムコの諸製品であった。