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第12回  ファミコン登場の背景――日米テレビゲーム市場の明暗
 
(前回までのあらすじ)
世界を席巻したインベーダーブーム後の日本ゲームは、
テクノロジカルにはアメリカで生み出されたコンピューター技術の前提の上に
様々なるアレンジメントを積み重ねるものでしかなかったとはいえ、
ウォークマンの発明にも比肩する任天堂の「ゲーム&ウオッチ」を生んだ電子ゲームブームや、
コミックマーケットなどの同人創作文化にも通ずるマイコンブームなど、
人々のライフスタイルとゲームとの関係を変える数々のイノベーションを生み出していた。
そうした時代と共振する日本ゲームの独自性の集大成ともいうべき『ゼビウス』が
アーケードに登場したその年、いよいよ世界のゲーム産業の在り方を決定的に規定する
“国民機”ファミリーコンピュータが、市場にその姿を現したのだった。
 
 ■日本市場――「第二次テレビゲームブーム」の顛末
 
  ファミコンという家庭用ゲームの覇者が生まれた背景には、いくつか込み入った文脈が存在する。
 
  まず国内的には、ここまでの節で述べたように電子ゲームの勢いに押され気味だったテレビゲームが、再び注目されてゆく流れがあった。その契機となったのが、エポック社が1981年に投入したカートリッジ交換式のテレビゲーム機「カセットビジョン」である。1万3,500円の本体と1本5,000円弱のソフトによって、ようやく一般家庭が手を出す気になる価格水準を実現した本機は、累計70万台程度を出荷するヒット商品となった。本機の代名詞的なタイトルとなった『きこりの与作』以下、ゲームカセットのラインナップは11本と決して豊富ではなかったが、ひとつのハードで様々なソフトを差し替えて遊ぶというスタイルを日本の消費者に広く認知させ、競合各社に市場成立の機が熟したことを告げる役割を果たしたのである。