社会学者・南後由和インタビュー
都市をスポーツの問題として読み替える
――都市と身体の新しい関係
☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
2014.4.8 vol.047

今朝の「ほぼ惑」は、P9チーム連続インタビューの第4回。 社会学者・南後由和さんの登場です。 都市をスポーツの問題系にある概念で読み替えて 人間と切り結ぶ新しい関係を考えていきます。

【PLANETS vol.9(P9)プロジェクトチーム連続インタビュー第4回】

この連載では、評論家/PLANETS編集長の宇野常寛が各界の「この人は!」と思って集めた、『PLANETS vol.9 特集:東京2020(仮)』(略称:P9)制作のためのドリームチームのメンバーに連続インタビューしていきます。2020年のオリンピックと未来の日本社会に向けて、大胆な(しかし実現可能な)夢のプロジェクトを提案します。
今回お話を聞くのは、社会学者・南後由和さん。「スポーツ」という言葉から私たちが連想しがちなのは、鍛え上げたアスリートたちがスタジアムで試合の勝ち負けを巡って競い合う姿ですが、その〈身体〉や〈ゲーム性〉の問題は、本来もっと私たちの身近にあるものではないか――そんな観点から、スポーツ・身体・都市空間の関係の〈再編〉について聞きました。
 
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▼プロフィール
南後由和〈なんご・よしかず〉
1979年生、大阪府出身。東京大学大学院学際情報学府博士課程単位取得退学。明治大学情報コミュニケーション学部専任講師。主な共編著に『磯崎新建築論集7 建築のキュレーション』(岩波書店、2013)、『文化人とは何か?』(東京書籍、2010)、共著(分担執筆)に『モール化する都市と社会』(NTT出版、2013)、『榮久庵憲司とGKの世界』(世田谷美術館、2013)、『メタボリズムの未来都市展』(新建築社、2011)がある。
 
◎構成:ミヤウチマキ
 
 
■都市のアクセシビリティから見出される〈ゲーム性〉

――今回の「PLANETS vol.9」のBパート(=Blueprint)、つまり2020年の東京オリンピックに向けて未来の東京の青写真を描くという企画に参加する上で、南後さんが考えていることについて聞かせてください。
南後 オリンピックといえば当然「スポーツ」がキーワードになるわけですが、僕が考えているのは、「スポーツ」の概念を、プロのアスリートの人たちがスタジアムでやっているようなものから拡張して「都市の問題」につなげていきたいということなんです。要するに、〈都市空間〉と〈身体〉の関係をもう一度問い直すきっかけにしたい。
 たとえば、都市において「歩く」という行為や、「自転車に乗る」といった行動も〈都市空間〉と〈身体〉の関係ですよね。バリアフリーをめぐる問題も〈都市空間〉と〈身体〉や知覚の問題につながっています。
 僕は学生時代から多木浩二さんをよく読んでいて、多木さんは『スポーツを考える』(ちくま新書、1995)という新書で、「スポーツはこれまで暴力や戦争、資本主義といったものと結びついてきた」と書いています。スポーツは、ゲーム性が重要で、そのゲーム性を〈都市空間〉に落としこんでいったときに、もう1つ考えたいのが、「都市のアクセシビリティ」という側面です。
 今回の2020年のオリンピックに向けた計画は、選手村を中心にして半径8キロの同心円が描かれていますが、それはあくまで物理的な距離の話であって、僕たちの時間的な経験の仕方は多様だと思うんですよ。時間地理学的に考えると、同心円はゆがんでいく。
 同じ5キロや10キロの距離の移動でも、電車で行くと場所によって所要時間というか、アクセシビリティが違ってくる。僕たちの東京をめぐる身体を介した経験というものを、まずは可視化し、新しい地図を描いてみたいと考えています。
 その地図に不動産的価値の変数をかけ合わせると、より面白くなると思います。「徒歩5分で行ける」とか「最寄り駅から何分」とか、あるいは「電車で直通で行ける」というのが不動産的価値を持ったりするわけじゃないですか。それも資本主義のメカニズムと連動した、一種の〈ゲーム性〉ですよね。
 これらは一見するとスポーツとは関係のない話に思えますが、〈都市空間〉と〈身体〉の関係に置き換えていくと、都市のアクセシビリティにまつわる〈ゲーム性〉、さらにはコンパクトシティの話なども、広義のスポーツの問題として読み替えていくことができるのではないかな、と思っています。


■都市空間の導線における〈名詞〉と〈動詞〉の違いとは!?
 
南後 都市論には、「点・線・面」という3つのボキャブラリーがあります。「線」というのは、たとえば明治通りのような通り、鉄道、高速道路などのインフラのことです。都市論の系譜を振り返ると、80年代の渋谷では、「点」としての駅から、公園通りやスペイン坂などの「線」を経て、見る−見られるの関係が成立するような舞台装置としての「面」が形成されていったと語られてきました。90年代の裏原カルチャーでは「ストリート」という言葉が出てきたりしましたが、それもデヴェロッパーが開発、用意し、メディアが演出した〈名詞〉としてのラインという意味合いが強かった。
 これまでも〈名詞〉としてのラインは存在していたんだけど、近年目立つ動きは、ユーザーが自ら「線を引く」、〈動詞〉としてのラインの方なんじゃないかと思うんです。
 「もはや文化は地理に規定されていない」と宇野さんがよく言っていますけど、東京ビッグサイトや幕張メッセのような巨大なハコが点在している……それは「点」の話なわけですが、その「点」であるハコどうしをつないでいく新しいラインが、従来の行政区分のような区画とは違うかたちでどんどん引かれていくはずです。そのことからも、2020年の東京オリンピックに向けた大規模な都市再開発の中で、環状2号線のような〈名詞〉としてのラインだけではなく、これまで見られなかった〈動詞〉としてのラインがボトムアップ的にできてくると思うので、そういった動きにも注目していきたいですね。

(了)

▼インタビューの動画はこちらから。
社会学者・南後由和インタビュー【P9プロジェクトチーム連続インタビュー第4回 】 - PLANETS YouTubeチャンネル
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【次回予告】

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