▼プロフィール
小笠原治(おがさはら・おさむ)
1971年京都府京都市生まれ。1990年、京都市の建築設計事務所に入社。データセンター及びホスティング事業のさくらインターネット株式会社の共同ファウンダーを経て、モバイルコンテンツ及び決済事業を行なう株式会社ネプロアイティにて代表取締役を努め、インターネット・インフラとモバイルサービスにそれぞれ黎明期から取り組む。以降、「Open x Share x Join =∞」をキーワードにスタートアップ向けシード投資やシェアスペースの運営などスタートアップ支援事業を軸に活動。2013年より投資プログラムを法人化し株式会社ABBALabとしてIoTプロダクトのプロトタイピングへの投資を開始。同年、DMM.makeのプロデューサーとしてDMM.make 3D PRINTの立ち上げ、2014年にはDMM.make AKIBAを立ち上げている。他、経済産業省 新ものづくり研究会 委員、福岡市スタートアップ・サポーターズ等。
◎聞き手:宇野常寛
◎構成:鈴木靖子、中野慧
■ DMM.make AKIBAとはどんな場所なのか?
宇野 この「DMM.make AKIBA(以下make)」という場所は、日本におけるメイカーズ・ムーブメントの象徴だと言えるのだと思います。これまでに小笠原さんにはいろいろなかたちでお話を伺ってきましたが、今回はズバリ、この「make」という場所について伺っていきたいと思います。
小笠原 最初の事前登録が330人位で、現時点で180名の方に実際に使っていただいていて、すべて有料課金です。思っていた以上に初動はよかったですね。賃料は月額1万5000円〜2万円ぐらいなんですが、機材の使用などを含めると、一人あたりの平均は3万5000円〜4万円ほどです。2015年2月末の時点ではこの半分位だろうと見込んでいたので、こういう場所を使いたい人は潜在的にかなり多かったということだと思います。
宇野 Cerevoのような家電ベンチャーや、ツナグデザインの根津孝太さんのような個人デザイナー、さらには大手メーカーの出張ユニットも入るんですよね?
小笠原 まだ稼働はしてないですけど、インテルさんからは「edison」という開発プラットホームを絡めて、ここで何かしたいねというご相談はいただいていたりしますね。
それと長年、「超音波モーター」の研究・開発を続けている新生工業さんが、新規事業のチームをここに置いたりもしていますね。旧来のメーカーさんがmakeを使うことで、社員の働く環境を変えて新しいことに挑戦させるという動きは、僕らが思っていたより早く起こり始めています。
宇野 個人で登録して使っている方はどういう人なんですか?
小笠原 ネットベンチャー出身の人が多いんですが、ここで実際にものづくりをしていますね。同じ秋葉原にある秋月(株式会社秋月電子通商)で買ってきた部品とかを使って、はんだごてで作ったりしていますよ。
▲DMM.make AKIBAの作業用スタジオ
■「作りたい欲求」から始まるものづくり
宇野 読者は、いま個人単位でものづくりをしている人がたくさん出始めていることについてあまり実感がないと思うんですが、このムーブメントについて小笠原さんから解説していただけないでしょうか。
小笠原 そうですね、じゃあ岩佐琢磨さんのCerevoを例にお話しましょう。そもそも、Cerevoをmakeに入れた理由って、僕が岩佐さんの言葉に反応してしまったからなんです。岩佐さんは「世界で戦うハードウェアスタートアップ企業はなぜ可能になったのか」というお話をよくするんですが、「ハードーウェアスタートアップ」という言葉を、「個人」に置き換えても同じなんですよ。
Cerevoは「ネットと家電を繋げていく」という、「ものの再定義」のようなことを進めています。そうなると色んな人が岩佐さんたちの取り組みにイマジネーションを掻き立てられて、手を動かせる人はどんどん行動に移していくようになります。そういった、ものづくりをする人たちの精神面での変化がまずひとつあります。
Cerevoはもとも45%ほどが海外シェアだったんですが、それがさらに伸びていて今は54%ぐらいにまでなっているんです。国内需要だけを見ているとどうしてもジリ貧になっていくんですが、Cerevoのようなハードウェアベンチャーはそこを気にしなくていいから、どんどん革新的な製品を作って、しかもそれが売れるようになっているという状況がある。
▼参考記事
需要面ではそういう背景があるのですが、「じゃあ、なぜそんな革新的な製品をつくれるようになったの?」という疑問が湧くのではないかと思います。でも、実は「売れる」ということが先にあって、「作れるようになったから」ではないんです。
デジタルファブリケーションがこうして盛り上がっていることについて、「3Dプリンターなどの登場によって”作れるようになった”」ということを主語にしたい人たちがいるんですが、実はそういうわけではないんです。「この製品が売れる」とか「新しい価値観が伝わる」のような、本来だったら「作れる」の後に来るようなことが先にできるようになったことが大きいですね。
「売れる」というのをもう少し詳しく解説すると、やっぱりインターネット以降にニッチなコミュニティを見つけやすくなったということがあります。例えばスノーボーダーで「体重のかかり方を知りたい」という人たちがこんなにいるのであれば、じゃあ荷重センサで体重のかかり方を計測できるビンディングをつくろうというふうに発想できる。
そして「作れる」というのは、まず作りたい欲求からはじまって、技術的に作れるようにならないといけないんですが、その「作りたい欲求」が身近な所で見つけやすくなったということもあると思います。
もちろん、家電を構成する電子部品や、モジュール化した電子基板が自由に設計できたり、外装部品のラピッドプロトタイプが3Dプリンターで作れたりとか、そういったところからも「作れる」は実現されてはいますよ。でも、それだけでは、人は「作り出す」までは行かなかったはずなんです。
「売れるから」「喜んでもらえるから」「新しい最適化ができるから」とか、そういうモチベーションがまずあって、そのやる気を起こしやすい時代になってきたんじゃないか、というのが僕の仮説です。
▲XYZ方向に加え、回転軸2軸の合計5軸から素材の切削が行えるCNCマシニングセンター。
■ どんな人たちがmakeに集まっているのか?
宇野 実際にmakeに今入っているのって、どんな人たちなんですか?
小笠原 抽象的に返すとまだ「何者でもない人たち」なんですけど、でもインターネットの草創期だって「C言語が…」とか「組み込みが…」とか、そういう難しいレイヤーの話ではなかったと思うんですね。まず、「自分で何かを動かしたい」人たちがスクリプト言語だったり、htmlだったりで、自己表現をし始めていました。
そういうネットの草創期に手を動かしだした人たちと、今リアルな物体を作ることで自己表現している人たちは同じ表現者というイメージです。
宇野 なるほど。その彼らは、普段他の場所でものづくりに関係した仕事をしていたりするんですか?
小笠原 平日の昼間にmakeにいる人たちはフリーランスが多いですね。事務系の仕事をされていたりする読者の方にはなかなかイメージしづらいのかもしれませんが、メーカーや町工場に所属しなくても、一人で仕事を受けて、ワンルームでこつこつと試作屋さんをやっている人ってけっこういたりするんですよ。
宇野 つまり、これまで確実にいたにもかかわらず、日本のものづくりやデザインの表舞台に出てこなかった製造業のフリーランサーたちが、今自分たち自身で製品化するというところまで考え始め、その彼らがmakeに集結しつつある。さらにはCerevoのようなスタートアップに刺激を受けた家電ベンチャー志望の脱サラ組が加わって、makeのフリーランサー層を形成しているということですよね。
小笠原 そうですね。それ以外には大手メーカーに勤めながら、副業規定があるんで商売にはできないけれど個人的な活動としてやっている方はけっこういらっしゃいます。そういう方々は土日とか水曜日の夜に利用することが多いですね。
宇野 みなさん基本的には開発と試作をやっているわけですか?
小笠原 企画、設計、試作あたりまでですね。企画というのは、ここに来て人とおしゃべりをするというのも含めてです。それと設計というのは、今のハードウェアベンチャーって言われている人たちはほとんどが設計屋さんたちで、そこがすべての基本になります。そして、試作というのはここの10階のスタジオを使ったりして「手を動かす」ことです。
彼らのような人たちがどんどん個人的なものづくりを始めているのは、やっぱりクラウドファンディングのような仕組みがこのタイミングが出てきたのも大きいでしょうね。デジタルファブリケーションもクラウドファンディングも、インターネットがこれだけ接続されている環境も、すべてが「いま、僕たちは転換点にいる」ということの表れなんじゃないかな。
▲チップマウンター。電子部品をプリント基板に実装する装置。
■ 90年代後半のインターネット草創期とよく似た”熱さ”
宇野 そもそも小笠原さんってさくらインターネットの創業メンバーですよね。その小笠原さんがいまこうしてDMM.make AKIBAを作っている。これってすごく面白いことだと思うんです。
僕は大学生の頃にやっていたテキストサイトがきっかけで出版業界に入った人間です。当時のネットの世界って、世俗的な権威を頼みにしようとしない、野心的な若者たちが集まっていた。まだソーシャルメディアという言葉も、動画共有サイトもなかったけれど、いまの文化状況につながる二次創作文化がネットを舞台にして花開いていましたよね。さくらインターネットって、そういったネット黎明期の盛り上がりを支えたインフラだったと思うんです。
小笠原 ええ、当時は同人の方がものすごく多かったですね。料金を安く設定した理由も、そういう方たちに使ってほしかったからなんです。「安ければ自己表現したいヤツはするやろ」、という(笑)。
ちなみに、さくらインターネットのイメージって世代とか年代とか、インターネットにどう関わったかにもよって違っているんですね。宇野さんのおっしゃるように同人系の方も多かったですが、一方で、20代後半〜30代前半で起業した人たちにとって、さくらインターネットは、スタートアップ時に使う安いサーバーだった。例えばGREEさんとかFC2さんとかもそうでしたが、レンタルサーバーではなく、専用サーバーのイメージです。つまり、設備ってリーチする相手によって見え方が変わると思っていて、それがすごく面白いなと思っています。
宇野 さくらインターネットのあと、どんなお仕事をされていたんですか?
小笠原 そのあとの期間はiモードのコンテンツ屋だったり、携帯電話の販売なんかもやっていました。だからインフラからコンテンツ、そして物販までやっていたんですね。
宇野 そしてmakeの前には、今も六本木で人気のスタンディングバー「awabar」を手掛けたわけですよね。だんだんとリアルの交流の場づくりにシフトしていっている。
小笠原 実は、最初から今のmakeのように「ものづくり」に特化したかったわけではないんですね。
僕はおっしゃるとおりインターネットの世界でずっと仕事をしてきましたが、awabarを作った時期はお節介なソーシャルとか、課金ロジックに絵を乗っけているだけのパズルとか、広告費を回すだけのメディアの亜流がとても目に付くようになっていました。そうではないアンチテーゼを打ちたかったという気持ちが大きかったと思います。
宇野 僕は、小笠原さんが90年代後半のインターネット草創期に感じていたのと似たようなものを、いまの日本的メーカーズムーブメントに感じているんじゃないかと思ったんです。その点についてはいかがでしょうか?
小笠原 僕は、いまでこそawabarやmakeのようなリアルで人が交流するような場を作ってはいても、気持ちはインフラ屋のままなんです。で、人間が使うインターネットって、これだけソーシャルメディア等が普及してくると、今の100倍に成長することはまずないと思います。でも僕らのようなインフラ屋は、自分たちが作ったインフラが今よりも何億倍も使われてほしい。だから、その「何億倍」を実現できる場として、「人間以外」が使うインターネットをもっと追求したくなったということかもしれません。
それと、さきほどの「設備やインフラって、人によって見え方が違う」というのって、いまのmakeでも当てはまると思うんです。たとえば、大手のメーカーで頑張ってきたおじいちゃんからしたら、機械を置いているだけの場所にしか見えないかもしれない。そしてまさにその通りでもあるんですが、大手企業の設備がどれぐらい整っているかを実感として知らない人にとっては、makeって自分でできることが拡張していく全能感を与えてくれる場になるんですね。
人によって感じるイメージがまったく変わるので、僕はmakeでやっているような機械のシェアってすごく面白い商売だと思っていますよ。
■「新しいインターネットのかたち」をつくりたい
宇野 僕が思うのって、「情報テクノロジー×メディア」、つまり情報技術が画面の中やディスクの中を変えていた時代はもう終わるんじゃないか、ということなんです。Googleが何年も前から、ネット上の情報空間だけではなく、〈現実そのもの〉を検索する会社に変わっていったというのは、まさにその象徴ではないでしょうか。だから勘のいい人、鼻の利く人は「情報テクノロジー×現実」の時代がやってくると考えて動きだしている。
「IoT(=Internet of Things。モノのインターネット)」はその代表です。それが具体的にどう世の中を変えていくのかということに関して、多くの人が想像できていない中、makeが出てきた。「情報テクノロジーで〈ものづくり〉が変わっていくんだ!」と、強烈に打ち出したのがmakeだと思うんですよね。