第254号 2018.1.16発行
「小林よしのりライジング」
『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりが、Webマガジンを通して新たな表現に挑戦します。
毎週、気になった時事問題を取り上げる「ゴーマニズム宣言」、『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成してもらう読者参加の爆笑企画「しゃべらせてクリ!」、著名なる言論人の方々が出版なさった、きちんとした書籍を読みましょう!「御意見拝聴・よいしょでいこう!」、読者との「Q&Aコーナー」、作家・泉美木蘭さんが現代社会を鋭く分析「トンデモ見聞録」や小説「わたくしの人たち」、漫画家キャリア30年以上で描いてきた膨大な作品群を一作品ごと紹介する「よしりん漫画宝庫」等々、盛り沢山でお送りします。(毎週火曜日発行)
【今週のお知らせ】
※「ゴーマニズム宣言」…民主主義が人類史上に初めて登場した古代ギリシアの都市国家(ポリス)においては、兵役に就く者だけが議論に参加する事ができた。しかし現代日本では「侵略されても戦わない」「ただ逃げる」「国を占領され、自由を奪われて、奴隷になってもいい」等と言う者が天下国家を語っている。何故、そのような覚悟のない幼児並みの駄々っ子を議論の場に出し、持ち上げる者がいるのか?
※「泉美木蘭のトンデモ見聞録」…多種多様なフェイクニュース、誤訳した海外ニュースをSNSを通してネット上にばらまいているロシア政府系の通信社「SPUTNIK(スプートニク)」。AI暴走事件の真相とは!?そもそも、なぜフェイクニュースがこれほど蔓延することになったのか?既存メディアとの関わりに潜む問題点等を徹底考察!
※よしりんが読者からの質問に直接回答「Q&Aコーナー」!地方の名産品を“お取り寄せ”することはある?よしりん企画スタッフのデザインは変わらないの?北朝鮮への経済制裁には何の意味がある?なぜ日本では性犯罪対策に本腰を入れないのか?欧米人の「個」と日本人の「個」は何が違う?落語家の笑福亭鶴瓶は好き?…等々、よしりんの回答や如何に!?
【今週の目次】
1. ゴーマニズム宣言・第260回「無知に媚びる民主主義という病い」
2. しゃべらせてクリ!・第212回「ぽっくん画伯の名作自画像、完成ぶぁ~い!の巻〈後編〉」
3. 泉美木蘭のトンデモ見聞録・第64回「フェイクニュース事件簿2~Yahoo!一人勝ちの弊害」
4. Q&Aコーナー
5. 新刊案内&メディア情報(連載、インタビューなど)
6. 編集後記
第260回「無知に媚びる民主主義という病い」 民主主義が人類の歴史上に初めて登場したのは、古代ギリシアの都市国家(ポリス)においてだった。
市民たちは「民会」に参加して、公的な問題の対処を自ら決定した。
ただし、「市民」とは「戦士」のことである。
兵役に就く者だけが議論に参加する事ができ、周辺の他国と戦うか否かといった問題を直接民主政で決めていたのだ。
命を懸けて共同体を守る覚悟を持っている者だけが、民主主義を行使できる。
女・子供・奴隷などは「市民」とは認められていなかった。自らの所属する共同体・国を守る覚悟がなく、いざとなったら逃げるという者は「奴隷」の身分に置かれ、議論の場から排除されるのは当然のことである。
これが、民主主義の起源における原則なのである。
近代国家の始まりであるフランス革命でも、徴兵制によって国民をつくったのである。
ウーマンラッシュアワーの村本は、「侵略されても戦わない。山の中でもドブの中でも逃げまわる」と公言した。
つまり村本は正真正銘の奴隷であり、そもそも議論に加わる資格など持っていないのだ。
そんな人物を、国のことについて議論しようという「朝まで生テレビ」の議論に参加させたこと自体がおかしいのである。
古代ギリシアと現代日本では違うんじゃないかとか言い出す者がいそうだが、本質的には変わらない。
国民でつくり、国民で守る国家であり、その経営は民主制でなされるのだから、国家を守る覚悟のある者と、全然その覚悟のない者が、同じテーブルに就いて議論していいはずがないのだ。
侵略されても戦わない、ただ逃げる、国を占領され、自由を奪われて、奴隷になってもいいという者が天下国家を語ってはならない。
国家の存続に責任を持たない感覚は、憲法9条護持や極左の連中も同じである。
国外から侵略されても、国内から独裁制が生まれても、圧政が敷かれたら人々の自由は奪われる。そんな時、自由を守るために命を懸けて戦う覚悟のない者は、あっさりその境遇を受け容れ、自ら奴隷になるだけなのだ。
チベットやウイグルを見ればいい。ほとんどの民は圧政を受け入れる。ごく少数の者がテロも辞さずの「自由と独立の戦い」を続行しているのだ。
しょせん奴隷志願者が「安倍政権は独裁だ、自由を守れ!」なんて非難の声を上げてもパワーにならない。覚悟のない者は議論に参加する資格はないのである!
それでも「言論の自由はある」とか言い出す者もいるかもしれないが、国家を守れずに「言論の自由」は守れないのだから、幼児並みの駄々っ子な主張は「公論」にはならない。一人で呟いておけばいい。
最低限の資格もクリアしていない、レベルが低すぎる人物を朝生に出すこと自体がおかしいのだ。そんな奴隷を出して、井上達夫ほどの学者にその相手をさせるなんてことは失礼である。
このような民主主義の原則は、『民主主義という病い』に詳述している。これを読んでいれば、村本を朝生に出すなんてありえないことだと、すぐわかるはずである。
コメント
コメントを書くおぼーちゃまの毎月連載
めちゃめちゃ楽しみやんけ!やんけ!
神出鬼没や
クローズアップ現代でmee too 運動、
やってます。見ます。
取り乱してしまひ、すみません円、と言ひたいところですが、
自殺だったんですか!!
さらにショックです。
でも、立派だったのだとも。昔でしたら、腹を召されてゐたのでせうか。
西部さんも、武士だったんですね。
自分には、かくの如き覚悟ができるのでせうか。
78は若いです。天皇陛下と比べても、個人的なことですが、私の親と比べても。
数年前に二度救急車搬送されて、九死に一生を得てゐるんですが。
渡部昇一さんのなくなった時は、もうかなり体力も弱ってゐたのが(TVでも)分かりましたので、意外ではなかったのですが。
それでも、気の毒に思ひました。ご自身と同じ年位の陛下のお気持ちも、もっと察して欲しかったです。
一日もはやく、「こころ」をちゃんと通讀したいです。
高校で習はなかったのか、と言はれさうですが、
「それから」のはうをやったのです。こちらは文庫本で全部よみました。
起伏のないストーリーだと思ひましたが。
漱石だったら、草枕や坊ちゃん、野分や夢十夜です(とりわけ第一夜、第三夜。第五夜も)。
検定試験とかで疲れてゐる場合ぢゃないですね。
雪にたたられたし。
明日の朝は、大変だらうな、とも。
でも、頑張りたいです。
あと、生放送、最後まで見られませんでしたが、笹さんへ、おからだを大切にしてください。
それでは、日附がかはる位に、感想を用意できたら、と思ひます。
クローズアップ現代、
Mee Too 運動について日本では声を上げた女性を責める風潮があるなど取り上げていました。
「伊藤詩織」さんのことも取り上げていましたが、山口敬之のことは「相手の男性」とだけ伝え、政権に近いジャーナリストだということも、逮捕執行直前に当時の刑事部長で管官房長官の元秘書官である中村格に止められたこともということなども伝えていませんでした。
最高権力者の影響で強姦事件が罪にもならずに葬り去られようとして、特集でもそのことに触れられないことこそが、日本におけるこの問題の本質を如実に表しています。
私の勤務自治体でも事実がねじ曲げられて報道され、加害者は勤め続け、被害者の臨時職員の方が「雇い止め」になりました。
日本社会全体がこのような体質なのだと思います。
関東は、雪で大変のようですね。皆さまの御無事を祈ります。
第260回「無知に媚びる民主主義という病い」
西部さんの話でも思ったのですが、社会に対する責任を考へると、無意味に生かされる、といふことは拷問のやうに感じる人がゐてもをかしくないのだ、といふことです。
私は、キリスト教とかで、人は主が生きてゐてもいい、と思ふまで生きなければならない、とかいふ考へに贊同してしまふので、安楽死に必ずしも肯定的にはなれないのですが。
それでも、「火の鳥」生命篇で、ヒロインの祖母がからだ全体を機械化してまで生き延びようとする姿を見てゐると、「ロボットとかはりがないではないの」と感じます。個人的な話をまた記すのですが、母方の祖母も母よりも長寿で、最後には意識をなくしてしまひました。とても活動的な人だったのですが。自身がこの世を去ってしまった、といふ感覚もなくなってゐたのでせう。自分ももっと老いたら、かうなってしまふのか、と。
それでも、肉親には可能な限り長生きして欲しい、とは願ひます。西部さんの投身自殺を聞いても、これだけショックだったのですから。
昔、「アンネの日記」を授業で習った際に、アンネの最後の一言が弱すぎる、なくなった肉親の分まで頑張って、もっと長生きするんだ、といふ気迫があって欲しかった、なんていふ感想を漏らしたことがあるのですが、アンネ・フランクにしてみれば、収容所で肉親の殆どをなくして、自分一人だけで生きられるのか、といふ不安はあっても仕方がないのだ、と今は思ひます。
ウーマンなんちゃらとかいふ人って、さういふ葛藤があって、自身の萬歳を作成されるのかな、とか思ひました。この前述べた、「サハラに舞う羽根」(タイトルを間違へてゐました)についても。
竹宮惠子先生の「ファラオの墓」などもおよみになってはいかが、とも思ひました。
逃げる、といふ行為は、三方ヶ原の戦ひで、家康が脱糞してまで命からがらするほどの切羽詰まった行為で、次に戦ふために命をつなぐ、といふ意味あひや、もっと言へばそんなことも考へられずに、死んでしまったら、何もできないから、まづは明日のことも何もできなくなるから、とりあへずは恥をかいてでも、といふやうなことで、「五十歩百歩」といふ言葉があるやうに、逃げたらおしまひ、といふニュアンスもあると思ひます。それでも、緊急のために、犠牲を少なくするために退路を確保するといふことは重要ですが、まづは戦ったものしか口にしてはならない言葉だらうと。そして、次に戦はないと、その退散は無価値なものになるだらう、と。自分ができないのなら、誰かに託すとか。古代支那の荊軻とかの例のやうに。
先日述べられなかった、「世界の果ての十七歳」について。銃後の生活を描いた名作だと思ふので。
その戦争は、小さな、見知らぬ国で起こったもので、すぐに終はると誰もが思ってゐたものでしたが、戦火が拡大し、気づくと三年が経過してゐて、誰の、何のための戦ひといへなくなってゐました。ヒロインの父親は、戦争の取材に出かけると言って、そのままかへらぬ人になり、親戚の家で厄介になってしましたが、生活費を養家に提供するため、からだをうって暮らしてゐました。その情況を、主人公の十八歳の少年は知ってはゐたのですが、誰もが默認してゐる状態で(養家のはうも生活が苦しいので)、さらに、彼女と寝た少年たちも、召集令状で戦場へとかり出されてゆく日常で(18歳から45歳までの健康な男子には、令状がおくられてきてゐる)、中には麻薬をつくって金儲けをしてゐるものもしたりして(戦場での恐怖を忘れさせるため)、そんな世界だったりするのです。
そして、令状が送りつけられた主人公が最後に、ヒロインに頼んだことといふのが・・・小林先生が書いてゐることなのです。「ぼくの片足をナナリにあげる。このクワで思いっきり僕の足をなぐりつけて。いっそ切り落としてくれてかまわない」。
ほんたうに、ウーマンなんちゃらによませてあげたい作品です。それとも、この作などを踏まへて、ウーマンラッシュとかいふかたは、発言をしてゐるのでせうか?
たとへは違ふかもしれないけれども、「塞翁が馬」を思ひだしました。
かなり長くなりましたが、生と死の葛藤はこの位のものだらうといふ例としてあげてみました。話はずれますが、この作者の河合二葉さんといふかたは十八禁とは思へないやうな文学的な作品を描かれるかたで、上記の作でも、このヒロインのナナリと、主人公のイオは寝てゐません。単行本になってゐないけれども(といふか、コミックスにほとんどなってゐない)、「鰯の鱗」といふ作品でも、主人公の少年と異母妹のエッチシーンを描いてゐないし、デヴュー作が、若年症の健忘症にかかった少年と少女の出会ひと別れを描いたものだったり、なぜこのやうな寶石のやうな作品群が、十八禁といふ理由だけで一般に膾炙しないのか、と思ってゐます。公的な場に書く話題ではないのかも知れませんが、やはり紹介しておきたいので、あげてみました(といふか、このコメント欄をよんでる人の中にも、ご存じのかたはいらっしゃるとおもふのですが)
あまりうまくまとまらなかったですが、こんな感じでよろしいのでせうか。上記の作品にしても、自分の感想にしても若造が偉そうなことを言ってゐるといふ程度のものかも知れないです。
泉美木蘭のトンデモ見聞録・第64回「フェイクニュース事件簿2~Yahoo!一人勝ちの弊害」
前回からのヘルイレイザーを思はせる画面を見てゐても、誰が何の楽しみを求めて、どんなもくてきでかのやうな誤報を流布させてゐるのか、と思ってゐましたが、要は多数決は必ずしも民意ではない、といふのと同じで、このまへの意味のない衆議院選挙の自民圧勝の結果と同じなのだらう、といふふうに感じました。
つまり、新聞社や雜誌社でも、取材をする人と文字・語句校正をする人が別々に存在するわけで、インターネットには内容校訂をしてくれるかたがゐないから、噂を信じちゃいけないよ、といった事態が発生するのだらうと。図書だって、売れてる本が必ずしも名作ではなしに、埋もれてしまってゐるものもあるのだらうと。
次回の記事も楽しみにしてをります。
あと、生放送は勉強の片手間に少し聞いてゐましたが、会社でお茶を出すのは、女性が良い、といふのは間違ってゐるのでせうか?男尊女卑なのかと。
実をいへば、自分もそんなふうに思ってゐました。今でも自分のお茶は自分で入れるし、それ以前に罐コーヒーや罐紅茶、ペットボトルなどを自分で買ひます。
ただ、お客さんが見えられた時、さへない中年のをぢさんが出すのと、若い可愛い女性が出すのと、どちらが印象が良いと感じられるのか、といふことです。実際に、かつてつとめてゐたところの先輩に、「相手方から、『男が出すお茶なんか飲めるか」と言はれるぞ」と忠告されました。これもケースバイケースなんでせうが。
以前のライジング記事ではないですが、人間は不合理で、非論理的だ、といふことにつながってゐるやうにも感じました。感情的なので、美的にすぐれたもののはうを評価する誤謬におちいりがちだと。
ただし、その感情の中には、その人なりの経験や常識、歴史に基づく論理が働いてゐて、その意味では非常に理論的な動物なのだ、とは言へると思ふわけです。だから、言葉であらはし、その人の常識や経験に訴へかけることはとても大事であると思ひます。
それでも、他者に迷惑がかかるかも知れない、とか、今そのことを口に出すのは情況的にまづい、といった判断もあるわけで、人と人とのコミュニケーションは難事であり、(私がよく口にすることですが)何かテレパシーのやうなものがあればいい、と思ったりしますが、それはそれで内心の祕密を握られるやうな気がして、地獄だらうな、と。
先の話にもどりますが、「ただ逃げる」なんてことは、さう言った意味からも覚悟がないと口にしてはならない、と思ひます。
といふことで、今回もぎりぎりでしたが、また次回を楽しみにしてをります。
それと、「おぼっちゃまくん」、連載おめでたうございます。「大人のヤッターマン」ならぬ、「大人の」おぼっちゃまくんが描かれるものと期待してゐます。
雪の中、てくてく本屋さんに出かけて、FLASH買ってきました♪
『よしりん辻説法』も大好きです(*^^*)
今週は『新・堕落論』も発売なんですよね。
楽しみです♪
>>201
そういえば山口がNHK記者の岩田明子(安倍ポチ記者として有名)や森永製菓の松崎勲(アッキードの実の弟で現在は森永の関連会社社長みたいです)と一緒に、それも全員にこやかに映ってる写真が某ツイッターで出てました。
まあNHKも放送しただけまだマシですが、名前隠すってことは要はそういうことなのかなと。