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lkfaeaniさん のコメント

ライジングの配信、ありがとうございます。

活動内容よりも容姿ばかりが評価されることが不満なら、なぜミス・アメリカに出場したのでしょうか。
活動内容が評価されたければ、その分野でもっと努力すればいいだけのことです。
アスリートの中には容姿や肉体美で話題になる選手もいますが、実績が伴っていればちゃんとそちらが評価されます。
不当に評価を下げられているわけでもなく、自分の望まない部分に注目が集まることに不満を言うのは甘えだと思います。

「公衆の面前で肌を曝すのは不適切」ということかもしれませんが、裸になるのでもなく、下着姿になるのでもなく、バニーを着るのでもなく、扇情的なポーズを取るのでもない水着審査を、性欲を刺激するものという認識で今まで続けてきたのかと、疑問に感じます。

左翼の活動を振り返ってみると、欲望を持たず、他人に迷惑をかけない人畜無害な者こそが理想的な人間像であると彼らは考えており、世論に受け入れられるタイミングを見計らって、その価値観を浸透させてきているように見えます。

しかし、他人の迷惑にならないことだけを気にしていても、他人の気持ちなど把握しようがないし、思った通りに対応しきれないときもあります。
それでは生きてて辛いだけだし、反動で、身勝手に振舞っている(ように見える)連中への憎悪が湧き上がります。

それならいっそ、他人のことは一旦置いて、自らの意志で何かを為す、そしてその時々の状況に自分自身と向き合って対処していく。そうした主体的な態度を持ち続けることが生きることの意義ではないかと感じています。
主体性を持って生きようとすると、常に自分の限界や愚かさに向き合わされます。
その辛さを乗り越えるには、心の底から湧き上がる情熱を糧にする必要があります。
その中に欲望と呼ばれるものも潜んでいます。
だから私は、人が生きる上で欲望は不可欠だと考えます。

欲望を適切に発散させる手段として、エロトークとして気心の知れた友人達と笑い飛ばし合うことはとても有効だと思います。
それに異性が付き合ってくれるなら、その効果はますます強く発揮されるでしょう。
(先月の「オドレラ正気か」、めちゃくちゃ面白かったです。)
性欲とは離れて、酒やたばこ、車の運転といった趣味に興じるのも同様です。
また、欲望という醜悪な内面を原料として「美」に昇華させたものが、芸術なのではないかとも思います。
だとすれば、文化とは人類が欲望と正面から向き合ってできた産物ともいえるでしょう。

しかしこれらも左翼は、他人への迷惑という点を強調して攻撃対象とするでしょう。
酒・たばこは既に目をつけられているし、芸術活動も当たり障りの無いものに限定される。車の運転も、自動運転が普及すればいずれ…。
欲望を否定し、欲望を健全に発散させようとする行為まで排除しようとする左翼の取り組みは、人間本来の姿を否定するものです。
だからこれらの活動が、人類のためになるとはとても思えないのです。


セクハラ問題について、よしりん先生はなにも「エロトークぐらい我慢して付き合えよ。」と言っているのではなく、「嫌なら嫌と自分の意志で断る主体性を身につけよ。自分に都合のいい同調圧力に守られようとするな。自分の感覚がすべてだと思い込むな。」とおっしゃっているのだと思います。それは男女を問わずそうあるべきだと思います。

あらゆる立場の人たちが共存していく上で、価値観の対立は必ず生じます。そのときに一方の価値観だけを正として、他方の価値観を刑罰化してしまうのはアンフェアです。男女が対等に扱われるために変えていくべき部分はあるでしょうが、今の流れでそれが実現するとは思えません。

セクハラ問題を解決するために必要なのは、
・自分の意志をしっかり示す
・お互いの感覚を尊重しあう(断るときも、断られるときも)
・権力を笠に着た態度には厳しく対処する
という意識の浸透だと考えます。
No.129
71ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
(号外 2018.6.12発行) 【目次】 1. ゴーマニズム宣言・第280回「水着審査をなくすミス・アメリカ」 2. 泉美木蘭のトンデモ見聞録・第84回「芸術家と偏執性~ハンス・ベルメール編」 第280回「水着審査をなくすミス・アメリカ」  ミス・アメリカが水着審査を止めるそうだ。  その上、イブニングガウンの審査も止めるそうだ。  これを聞いて、瞬間的に 「馬鹿馬鹿しい。そんなものを誰が見るか!」 と思わない男がいるのだろうか?  イデオロギーとしてのフェミニズムに嵌った偽善者ならば、おのれの性的欲求を押し隠して、 「水着審査はセクハラだ―――!」 と叫ぶのかもしれない。  人間の煩悩を断ち切った禅僧のような男なら、 「水着は見たくありませぬ」 と無表情で言えるのかもしれない。  わしはセクハラは嫌いだし、やることもない。イデオロギー抜きでわしは「フェミニスト」だと自認しているし、その手前で「紳士的でありたい」と思っている男ではある。   だが一生、性欲を葬れそうにない煩悩まみれの男でもあるから、「水着審査をなくす」という「設計主義的」な流れには、不快感100%になるのである。    ミス・アメリカは1921年に第1回大会が開かれた、米国を代表するミスコンテストであり、世界で初めて水着審査を導入したミスコンともいわれる。  その主催団体、ミス・アメリカ機構が5日、公式サイトやSNSで、水着審査を廃止することを発表した。  同機構の理事長で、自身も1989年のミス・アメリカ優勝者であるグレッチェン・カールソンはTVのニュース番組で、 「ミス・アメリカはもはや美人コンテストではありません。(単なる)コンテストです。今後は出場者を容姿で審査しません。えぇ、大きな決断ですよ」 と語り、今後の審査基準は 「社会に影響をもたらす取り組みについて自分の言葉で何を語るか」 だと表明した。  水着審査の代わりに、出場者には情熱や知性、ミス・アメリカの役割に対する考えについて審査員からの質問に答えてもらい、判断材料とするらしい。  頭がおかしい!  単なるコンテストって、何のコンテストなんだ?  とにかく立派な人を選ぶ、ただし容姿だけは決して判断材料にしないというのか?  だったら、頭巾でもかぶって顔を隠せ!  いや、それではまだ体形がわかるから、いっそのこと全員にブルカを着せろ!  社会貢献について語る内容を審査基準にするって、それは「弁論コンクール」じゃないか。  だったらもう、ミス・アメリカはブルカを着せた「青年の主張」にしてしまえ!  もう24年前の話になるが、堺市の女性団体が 「ミスコンは女性差別の集大成」 だと言い出し、各地のミスコンが次々に中止に追い込まれたことがある。  わしはこれを「SPA!」の『ゴーマニズム宣言』で、以下のように徹底批判した。  わしは「美」も才能だと思っている。美人は天才なのだ。  人は努力に関係なく、生まれつきのものを与えられる場合がある。  絵を描く才能、曲を作る才能、速く走る才能、知識を吸収する才能、笑わせる才能、肉体で戦う才能、美しさで人の目を楽しませる才能。  これらのどれもこれもがまず才能ありき! それから努力で磨きをかけていくものである。  頭のいいやつはちゃんと受験という学力コンテストを受けて世の中に認められていくが、「東大の入試は頭脳差別の集大成だ!」…と言って抗議するやつはいない。 (ミスコン反対論者が、人を外見で判断するな、「大切なのは人柄よ」と主張しているが、)何が「大切なのは人柄よ」だ!  モーツァルトに向かって「大切なのは人柄よ」なんて言って曲を認めないというのか? 音楽家にとって大切なのは曲の質だ! 美人にとって大切なのは顔とプロポーション。人柄など関係ない!  最近ではおそるおそるやってるミスコンなんか「うちでは教養とか礼儀、性格も見てます」なんてバカなこと言っとるが…  それだともう人間コンテストになって、総合的に質の良い人間と質の悪い人間に分けるという、おそるべき差別を犯してしまうぞ!  美だけ! あくまで美だけで競うから良いのだ。  この資本主義の中で人はいろんなものを消費されて生きてゆく。  漫画を描く才能を…球を蹴る才能を…ブスであること、ブ男であることを消費されるやつまでおる。  なんで「美」だけは消費させてはいかんとのたまう?  差別だ! 美の才能だけはこの世で認めんという才能差別だ!  人は誰しも己に与えられた天賦の才能を利用していく権利があるはずだ。  これは人権侵害である!  美は才能。美人は天才。顔とプロポーションを品評するミスコンは女性差別ではない!  いま見ても、完璧な論理だ。  当時、「この見解にきちんと理屈で返答してくれ」とミスコン反対論者を挑発したのだが、これにきちんと返答してきたものは今に至るも皆無である。そして、ミスコンバッシングの嵐も、なし崩し的に消えていった。   ところが24年経ったら、ミス・アメリカが美人コンテストを止め、今後は外見で判断しない「人間コンテスト」にするという、冗談みたいな事態が出現してしまったのである。  さすが「禁酒法」まで生んだお国柄は、21世紀に入っても変わらないものなのだなあと言いたいところだが、何でもかんでも「アメリカについて行け」がお国柄みたいになっている日本は大丈夫なのか? と思ってしまう。 
小林よしのりライジング
常識を見失い、堕落し劣化した日本の言論状況に闘いを挑む!『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりのブログマガジン。小林よしのりが注目する時事問題を通じて、誰も考えつかない視点から物事の本質に斬り込む「ゴーマニズム宣言」と作家・泉美木蘭さんが圧倒的な分析力と調査能力を駆使する「泉美木蘭のトンデモ見聞録」で、マスメディアが決して報じない真実が見えてくる! さらには『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成させる大喜利企画「しゃべらせてクリ!」、硬軟問わず疑問・質問に答える「Q&Aコーナー」と読者参加企画も充実。毎週読み応え十分でお届けします!