試験のない学校で何を教えるか?
今回のヤンサンは久しぶりの環境回でした。
いつものポケモン博士「エモリン」に加え、今回はガチのヤンサンファミリーの稲葉先生も参加してくれて、なかなかに見応えのある放送になったと思う。
季節がガタガタと崩れ、暴力的な豪雨や台風が日常化しているのに世間では未だに「エコとか言ってるヤツ草生える」みたいな空気がある。
レジ袋有料化などは始まったものの基本的に相変わらずの大量消費・大量廃棄に「使い捨て社会」の中で暮らしている。
ヤンサンは僕の番組である以上、この問題から目を背けるわけにはいかない。
家が吹き飛んでしまったら、文化どころではない。僕らの好きなアニメも漫画もスポーツも見られないし、ライブにも行けなくなるのだ。
【コスタリカの勝手に進む人達】
そんな中で「僕らはそういうのやめます」と、大量消費社会を止めて、国籍も捨てて「南の島の暮らし」を始めた人達がいる。
放送でも紹介したけど、その村を取材した番組がネットフリックスにある。
「ザック・エフロンが旅する明日の地球」というドキュメンタリーだ。
この番組は環境問題を「深刻すぎる感じ」にも「楽観的すぎる感じ」にもならず、あくまで「こういう人達もいる」「こういう社会もある」と紹介していてとてもありがたい。
何より体験取材をしているザックたちが基本的に「ご機嫌」でヤンサンぽいのもいい。
【試験も宿題も学年もない学校】
コスタリカの村は、かつての「コミューン」に似ているのだけど、文明を排除して「教祖」と一緒に隔離された生活をする、みたいなのではない。
ドキュメンタリーは常に恣意的になるので、本当のところはわからないけど番組で見える範囲では非常に健康的に見える。
その村の学校は森の中にあって、開放的で美しい。
試験も宿題も学年やクラス分けもない。
先生みたいな大人はいるけど、それぞれの子供達がそれぞれ勝手に何かを学んでいる。授業らしきものもあるみたいだけど、強制されてる感じがまるでない。
そもそもこの村では、自分たちの食べ物は自分たちで作る。
家もインフラもほとんど自分たちで作っている。
つまり「社会に出て良い会社に入る」とかいう目的はないのだ。
もちろん免許を取ったり買い物もするので、多少のお金は必要だろうけど、「使う分」が少ないのでボロボロになって大金を稼ぐ必要はないし、世界に出て国際社会と競争する必要もない。
このあたりが実に現実的で面白い。
「学問」が「試験に受かるために頭に詰め込むもの」になってしまった日本の学校とは違って、大人も子供も「幸せに生きるためには何を学んだらいいのだろう?」と考える事になるはずだ。
【大人は何を教える?】
日本の場合、その学校が「名門校に入るための予備校」みたいになっているなら教える事ははっきりしている。
「これ試験に出るので覚えておくように」という授業をするのだ。
こういう授業を真面目にやってた人達は「建武の新政」とか「モホロビチッチ不連続面」とか「as soon as」とかどうでもいい断片的記憶を抱えて生きている。
それが現実社会で約に立つかどうかは問題ではない「試験に受かる事」が目的なのだ。
ところがこの「コスタリカの森の学校」ではそうはいかない。
どうしても「本質」を考える事から、逃げられない。
【1番伝えたい事は?】
もちろん算数も英語も科学も大事だ。
でも「試験がない世界」で何が人間を支えてくれるのだろう。