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山田玲司のヤングサンデー 第414号 2022/11/21

「最高の人生」とは?

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人生をかけて何かの「お宝」を集めている人が、死んだとする。


本人にとってはとんでもない苦労をして集めた「すごいお宝」なんだけど、家人には「ガラクタにしか見えない」なんて事もある。


最近いくつかそういう話を聞いた。


「おじいちゃんの宝」が一瞬で「ゴミ」に変わる。

そんな時「同じ趣味の仲間」が現れて、宝を引き継いでいけばいいんだけど、そうもいかない例も多いだろう。


特にネット、サブスク時代になって「画像・動画・音源」なんかは1部の人達のものではなくなった。


あとは「初版本」やら「レコードジャケット」やら「直筆もの」なんかが希少価値として残っていく感じだろう。


神保町なんかの古書街を見ていると、三島由紀夫クラスの文豪の生原稿が売りに出されている事がある。


そういったものを、多少高額でも自分のものにして部屋に置いておきたい、という気持ちはわかる。


そんなふうにして買い集めた「お宝」は、その人の人生を幸せにしたのだから、それはそれでいいのだとも思う。


でもこの手の話に何かしらの切なさを感じるのは、残された世代に「その価値」の「重さと意味」が伝わっていないまま「ゴミ」にされる悲しさがあるからだろう。

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【捨てられた勲章】


僕はと言えば、あまり「もの」には執着しない。

欲しいのは「最高の時間」だ。