首相のウソと開き直り
靖国参拝「脅かしに屈しない」というが…
侵略の歴史認めてこそ日本人の誇り守れる
安倍晋三首相は、閣僚らの靖国神社参拝に対するアジア各国の批判に「どんな脅かしにも屈しない」(24日)などと開き直り、それ自体が新たな外交問題となっています。首相発言は、国の将来に責任を負うべき政治家の発言というより、ウソを平気でつく詐欺師のようだといわざるを得ません。
さかさまに描く
一つの詐術は、「脅かしに屈しない」などと自らを被害者かのように、さかさまに描いていることです。
靖国神社は、日本の侵略戦争を“自存自衛”“アジア解放”の戦争だったと正当化し、その宣伝センターの役割を果たしている特殊な神社です。その神社に、閣僚が参拝するということは、政府として侵略戦争正当化の立場に立っていることを内外に示すものです。
中国政府が「軍国主義の侵略の歴史を否定しようとする意図がある」(外務省副報道局長)といい、韓国政府が「靖国神社は…戦争を美化しているところだ」(外務省報道官)と指摘しているのも当然です。
日本による韓国・朝鮮の植民地化は侵略そのものですし、1931年の「満州事変」以降の中国にたいする戦争も領土拡張と他国の支配を目的とした不正不義の侵略戦争でした。「満州事変」も「終局の目的はこれを領土とするにあり」として始められたものであり、その後も他国領土を勝手に日本の「生存圏」とするため侵略戦争をすすめました。
その侵略戦争で被害を受けた国が抗議しているとき、それを「脅かし」などということ自体が、過去の侵略戦争にまったく反省がないことを示すものです。
侵略戦争推進の施設
安倍首相は、その批判をかわすため、靖国参拝を「国のために尊い命を落とした、尊いご英霊に対して尊崇の念を表する。これはあたり前のこと」などと合理化しています。
しかし、靖国神社は単なる慰霊施設ではありません。戦前は陸軍省と海軍省が共同管理し、昭和天皇は戦前・戦中、大元帥姿で参拝しました。「死んだら九段(靖国神社の所在地)で会おう」との合言葉をはやらせ、国民を侵略戦争に駆り立てた施設だったのです。
戦後、「英霊の顕彰」―つまり旧日本軍兵士の武勲をほめたたえることを目的にすえ、1978年には、東京裁判で「平和に対する罪」で裁かれた東条英機元首相らA級戦犯を合祀(ごうし)(翌年新聞報道で発覚)。小泉内閣時代まで、同神社はA級戦犯を「一方的に“戦争犯罪人”という、ぬれぎぬを着せられ」(「やすくに大百科」)たと説明していました。
靖国参拝は侵略戦争美化の点でも、その立場からのA級戦犯合祀の点でも「国のために命を落とした」人への慰霊とは違う意味をもっているのです。
「突然の抗議」でない
第二の詐術は、「韓国では、靖国(神社参拝)について抗議をし始めたのは一体いつなのか。盧武鉉(ノ・ムヒョン)時代(03年~)に顕著になった。…中国においてもそうだ」「ある日突然、抗議し始めたわけだ」などと中韓の批判をよこしまな意図があるかのように描くことです。
だいたい、1985年の中曽根康弘首相による公式参拝後、96年に橋本龍太郎首相が1度だけ自分の誕生日に参拝した以外は、2001年の小泉純一郎首相の参拝まで首相参拝ができなかったこと自体、アジア諸国の批判が大きかったからでした。
中曽根氏が公式参拝を正式に中止した際、当時の官房長官談話は、「公式参拝は…近隣諸国の国民の間に…A級戦犯に対して礼拝したのではないかとの批判を生み、ひいては、我が国が様々な機会に表明してきた過般の戦争への反省…に対する誤解と不信さえ生まれるおそれがある」(1986年8月14日)と説明しました。
そもそも中国、韓国がいつ批判し始めたかを問題にする以前に、過去の侵略戦争への自らの態度を問い直すべきです。侵略戦争を正当化することは、戦後の国際秩序の土台を否定することであり、日本が世界で生きていく道を失わせることになるからです。
国家の過ちへの態度
首相は「歴史と伝統の上に立った私たちの誇りを守っていく」などと気取っています。
しかし、本当に誇りを守るとはどういうことか。かつて旧日本軍「慰安婦」問題で河野洋平官房長官談話をまとめた石原信雄官房副長官(当時)は「国家の名誉というものは人道主義とは矛盾しない」「国家だってときには過ちを犯すんですから、それを認めるか認めないかという問題です」(『オーラルヒストリー アジア女性基金』所収)とのべました。
歴史の事実を事実として認めてこそ、日本人の誇りを守ることになるのです。(藤田健)