主張

沖縄「慰霊の日」

戦争許さない努力を今こそ

 きょう23日、沖縄は69回目の「慰霊の日」を迎えます。1945年、太平洋戦争末期の沖縄戦で、日本軍の組織的な抵抗が終わった日とされます。沖縄県は、「戦争による惨禍が再び起こることのないよう」(県条例)にと決意し、「慰霊の日」を定めました。沖縄戦最後の激戦地、摩文仁(まぶに)の丘にある平和祈念公園(糸満市)では、追悼式が開かれ、安倍晋三首相も出席します。集団的自衛権の行使容認で日本を「戦争する国」にしようとしている首相が、24万人を超える犠牲者名が刻銘された「平和の礎(いしじ)」や県民を前に、何を語るというのでしょうか。

資料館の「ことば」

 公園の一角にある平和祈念資料館の展示室の壁には、次のような「ことば」が書かれています。

 「沖縄戦の実相にふれるたびに/戦争というものは/これほど残忍で これほど汚辱にまみれたものはない/と思うのです」「戦後このかた 私たちは/あらゆる戦争を憎み/平和な島を建設せねば と思いつづけてきました/これが/あまりにも大きすぎた代償を払って得た/ゆずることのできない/私たちの信条なのです」

 県民の4人に1人が犠牲になった沖縄戦の凄惨(せいさん)な体験から、戦争につながる一切の行為を否定し、平和を求め、文化をこよなく愛する“沖縄の心”は生まれました。それは、「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意」した日本国憲法にも体現されています。

 安倍首相は、日本が海外での戦争に乗り出す集団的自衛権の行使を可能にするため、閣議決定という独裁的な手法で解釈改憲を強行し、戦争を永久に放棄し、戦力の不保持、交戦権の否認を定めた憲法9条を根底から破壊しようとしています。それは“沖縄の心”の乱暴なじゅうりんでもあります。

 “沖縄の心”は、戦後の米国による軍事支配に抗するたたかい、72年の日本復帰後の米軍基地の異常な集中に反対するたたかいなどの中で育まれてきました。

 「沖縄に軍事基地はない。沖縄そのものが軍事基地だ」―。5月に来日し講演した元米国防総省高官のモートン・ハルペリン氏は、米軍統治時代に、ある米軍大尉が語った言葉を紹介し、「(米軍は)沖縄の市民の心配などまったく考えていなかった」と語りました。住民の声を押さえつけ、強権で米軍基地建設を推し進める体質は、安倍内閣にも引き継がれています。普天間基地(宜野湾市)に代わる新たな戦争拠点を名護市辺野古(へのこ)に建設する計画はその典型です。

 昨年1月、沖縄県内の41市町村全ての首長と議会議長、県議らが欠陥機オスプレイの配備即時撤回、普天間基地の閉鎖・撤去を求める「建白書」を首相に提出し「オール沖縄」の声をぶつけました。

「建白書」で一つに

 政府・自民党の強圧の下、仲井真(なかいま)弘多(ひろかず)知事は昨年末、新基地建設のための辺野古埋め立てを承認し、県民を裏切りました。今こそ、「建白書」の立場で沖縄県民が一つになることが必要です。

 平和祈念資料館の「ことば」の次の一節を胸に刻みたい。

 「戦争をおこすのは たしかに

 人間です/しかし それ以上に/戦争を許さない努力のできるのも/私たち 人間 ではないでしょうか」