日独友好決議(11年)に反対

 ナチスの思想を信奉する極右団体「国家社会主義日本労働者党」代表と議員会館でツーショット写真の撮影(2011年6~7月ごろ)に応じた高市早苗総務相が、当時国会で問題となっていた「日独友好決議」について、日本とドイツの「戦争への反省」を表明していることなどを理由に強硬に反対していたことがわかりました。 

 同決議については、日本の過去の侵略戦争を肯定・美化する改憲・右翼団体「日本会議」が強く反対し、同会議と一体の「日本会議国会議員懇談会」も決議採決時の本会議退席を各党の加盟議員に文書で呼びかけていました。

 高市氏は、同決議に反対した理由や経緯を月刊誌『正論』(11年7月号)で説明しています。このなかで同氏は同年4月22日の自民党代議士会で、「日独友好決議」の案文のうち、日独両国が各国との戦争で「多大な迷惑をかけるに至り、両国も多くの犠牲を払った」と述べていることや、戦後の「戦争への反省」に言及していることを問題視。「『戦争権』は、全ての国家に認められた基本権です」「日本の自虐史観にドイツまで巻き込んで、現在のドイツ政府を『反省するべき行為をした主体』であるかのように断罪する権利を日本の国会が持つとは思えません」と主張したことを明らかにしています。

 同決議は同年4月22日に衆院本会議で可決されましたが、「侵略行為」という文言が当初の文案から削除されたため、日本共産党は反対しました。

高市氏とネオナチ 思想的共通

日本会議系反対 党議拘束外す― 「日独友好決議」めぐり自民代議士会

 高市早苗総務相が2011年4月の国会で強く反対した「日独友好決議」をめぐって、自民党内はどんな状況だったのでしょうか。

40人以上退席・反対

 月刊誌『正論』での高市氏の説明によると、当初、自民党執行部は「戦争への反省」に言及した「日独友好決議」案への賛成を決めていましたが、代議士会では高市氏の強い反対を受け、下村博文衆院議員(現文科相)らから本会議採決の際の「退席」や「反対」を求める声が相次ぎました。

 このため、当時の石原伸晃幹事長が党議拘束を外すことを宣言。本会議では安倍晋三(現首相)、麻生太郎(現副総理兼財務相)両氏ら30人以上が退席し、高市氏や森喜朗元首相ら10人以上が着席したまま反対の意思を表明しました。

 日本会議の月刊誌『日本の息吹』(11年6月号)も、「自民党の代議士会では、日本会議(議連)所属議員より批判が続出」した結果、「自民党執行部は党議拘束を外さざるをえなくなった」と強調しています。

 日本会議事務総局は、同決議採択の動きに対し、「大災害(東日本大震災)の対応に全力を尽くすべきこの時期に、日独両国の歴史を断罪する国会決議の強行に断固反対します」とする見解を発表(同年4月14日付)。同会議は「『友好増進』に名を借りて日独両国を『侵略国』として再定義することが隠されたねらい」だとも批判していました。

 「ネオナチ」団体代表とのツーショットで批判された高市氏や稲田朋美自民党政調会長は、ともに日本会議と一体の議連「日本会議国会議員懇談会」の役員で、日本の過去の侵略戦争を美化・正当化する靖国神社への参拝を繰り返してきた人物です。

撮影 決議まもなく

 高市氏は12日の記者会見で「ネオナチ」団体代表の身分や思想・信条について一切知らなかったと説明しましたが、侵略戦争を肯定・美化する日本会議系政治家と、ナチス・ドイツによるホロコースト(ユダヤ人大虐殺)を「つくり話」と宣伝する「ネオナチ」との間には思想的共通点があります。高市、稲田両氏らが「ネオナチ」団体代表との撮影に応じたのは、「日独友好決議」をめぐる国会での動きからまもなくのことでした。

「侵略」削った日独友好決議

 「日独交流百五十周年に当たり日独友好関係の増進に関する決議」が正式名称。日本とドイツの前身・プロイセンとの修好通商条約締結(1861年)150周年を記念し、友好増進を図ることをうたった決議です。

 日独友好議連が外務省の意見などを踏まえてまとめた当初の原案には「(日独)両国は、侵略行為により、近隣諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与え」と明記していました。しかし、「日本会議国会議員懇談会」などの反対を受け、当該部分を「(日独両国は)各国と戦争状態に入り、多大な迷惑をかけ」たと修正し、2011年4月22日、衆院本会議で、自民党が40人以上の反対・退席者を出したなかで可決されました。参院では、提出自体が見送られました。

 一方、ドイツ連邦議会が同年1月に可決した「独日外交関係樹立150周年決議」には、「ドイツと日本はそれぞれ侵略と征服のための戦争を遂行し、戦場となった近隣諸国の人々に甚だしい惨禍をもたらした」と明記されています。