主張
「安倍70年談話」
過ち認めぬ首相に未来託せず
アジア・太平洋戦争終結70年に際して、安倍晋三内閣が「戦後70年談話」を閣議決定しました。日本が過去に侵略や植民地支配を行ったことを認めようとせず、それに対する「反省」「お詫(わ)び」も自らの認識として示すことはありませんでした。「植民地支配と侵略」を明確に認めた「戦後50年の村山談話」の立場を実質的に放棄する重大な逆行です。そのうえ首相は「積極的平和主義」をうたい文句に「戦争する国」づくり推進の決意まで示しました。過去の戦争の過ちを直視せず、戦後の歩みの転換を狙った「安倍談話」は、国民の願いに真っ向から反します。
借り物の言葉で飾っても
「安倍談話」は、「侵略」や「植民地支配」は言葉としてはあるものの、日本の過去の行為に対する歴史認識としては使っていません。「痛切な反省とお詫び」は、これまで歴代内閣が繰り返し表明してきた、と事実を紹介するだけです。
安倍首相は、1995年に村山富市内閣が閣議決定した50年談話を引き継いでいると強調しますが、「村山談話」とは、まったく異質です。「村山談話」は、過去の日本の「植民地支配と侵略」によりアジア諸国の人たちに多大の損害と苦痛を与えたことに「痛切な反省」と「心からのお詫び」を率直に表明したものです。この立場は、小泉純一郎内閣の戦後60年談話にも引き継がれ、政府の見解として諸外国にも一定受け入れられ、20年にわたり定着してきたものです。この立場を事実上捨て去った「安倍談話」は、日本政府の過去の戦争への基本的な姿勢を根本から疑わせ、国際的な信頼も失墜させる、きわめて有害なメッセージです。
「戦後レジームからの脱却」が信条の安倍首相にとって「村山談話」をなきものにすることは、靖国神社参拝と並ぶ“悲願”でした。安倍首相は、「村山談話」を「全体として引き継ぐ」と述べる一方で、「侵略」「植民地支配」「反省」「お詫び」などの言葉を「安倍談話」に使うこと自体に否定的考えを繰り返したため、国内だけでなく国外からも立場の違いを超えた強い懸念と警戒の声が広がる、かつてない事態となっていました。
「安倍談話」で「侵略」「お詫び」などというキーワードを形式的に書き込まざるをえなかったのは安倍首相の反動的野望が思惑通りにいかない矛盾の反映ですが、記者会見で「どの行為が侵略にあたるか否かについては歴史家の議論にゆだねるべきである」と述べるなど無責任きわまる姿勢です。
「安倍談話」で強調する「積極的平和主義」は、日本を「海外で戦争する国」につくりかえる策動と一体です。自衛隊をアメリカの戦争に参戦させる戦争法案を強行し、日本を「殺し殺される」国に逆戻りさせることの、どこが「不戦の誓い」なのか。安倍政権に日本の未来は絶対に託せません。
歴史の逆流を許さない
70年前、二度と戦争をしないと誓った日本国民の痛切な思いが凝縮されたのが憲法9条です。同時に、9条はアジアと世界に向けた不戦の公約でもあります。憲法9条を破壊する戦争法案の強行は、国民世論だけでなく、世界の平和の流れに反するものであることは明白です。安倍政権の反動的な逆流を大本から断ち切るたたかいがいよいよ重要となっています。