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【第159回 直木賞 候補作】『未来』湊かなえ
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【第159回 直木賞 候補作】『未来』湊かなえ

2018-07-11 13:00



         序章


     カラカラの喉をさらに乾燥させるかのように、開いたままの口に大量の空気を送り込みながら、全力で走る、走る、走る……。
     駅が見えてきた。高速バス乗り場には、大型バスが一台停まっている。すでに、改札が始まっているようだ。バスの乗車口前には、長い列ができている。
     夏休み中とはいえ、平日だからか、家族連れよりも、高校生や大学生っぽいグループの方が多い。八割方女子だ。これから約八時間、深夜のバス旅が始まるというのに、ほとんどの人たちがヘアスタイルもメイクもバッチリ決めていて、すでに、クマの耳が付いたカチューシャを着けている人さえいる。皆、笑顔だ。おしゃべりの声も止まらない。
     午後一一時前とは思えない、昼間のファストフード店並みの賑やかさだ。
     だから、かえって目立って見えた。待合室の一番奥のベンチに背中を丸めて座り、キャップを深くかぶっていても暗い顔をしていることがわかる、彼女の姿が。
     彼女はわたしを見つけると、駆け寄ってきた。ずっと待ち続けていた恋人が現れたかのように。わたしの右肩に両手をかけてすがりつく。
    「あ、あの、あのね、あたし……」
     座っていたはずなのに、息はわたしよりも弾んでいた。彼女も到着したばかりだったのかもしれない。わたしは左手の人差し指を立てて、自分の唇に当てた。
    「余計な話は、しなくていい。バスに乗ろう」
     声を潜めてそう言うと、彼女は静かに頷いた。短くなった列の最後尾につき、背負っていたリュックのポケットから、バスのチケットを取り出すと、彼女も同じ動作をした。
     チケットを二枚買ったのはわたしだけど、事前に彼女に一枚渡していた。もし、どちらかが来られなくても、一人でバスに乗ることができるように。でも、こうして二人一緒に乗ることができた。
     二列シートが両側に並んだバスの、わたしたちの席は、運転手側の後ろから二番目だった。最後尾は荷物置き場になっていて、乗客はいない。彼女に窓際の席を譲った。
    「酔わない?」
     こんな状況でも、ぶっきらぼうな口調で気遣ってくれる彼女を、改めて好きだと感じた。
    「ありがとう。薬も持ってる」
     酔ってから飲んでも効くタイプの薬だ。これなら、家で飲んでこなくてもいい。リュックを足元に置いて、二人並んで座った。グリーン車ではないものの、やせっぽちの女子二人にとっては十分なスペースなのに、彼女の左肩はわたしの右肩にピッタリとくっついていた。震えが伝わってくる。わたしは彼女に近い方の手で、彼女の手をしっかりと握りしめた。
     プシュウ、とバスのドアが閉まる音がした。ではこれより出発します、と男性乗務員のアナウンスがあり、バスはゆっくりと動き出した。
    「もう、大丈夫。何も考えずに寝ればいい」
     わたしがそう言うと、彼女はまた静かに頷いて、キャップをかぶったままの小さな頭を窓にくっつけ、まばたきを数回繰り返してから目を閉じた。
     駅のロータリーを抜けたバスは、高速道路に上がるまで、しばらく薄暗い田舎道を走る。まるで、今のわたしたちのようだ。だけど、暗闇がずっと続くわけではない。
     夜の道を何時間も走り続けて、夜明けとともに辿りつくのは、光溢{あふ}れる夢の国、未来の自分が導いてくれた場所だ。
     握っていた彼女の手をそっと放し、彼女が起きる気配がないことを確認してから、リュックのファスナーを開けると、内ポケットから封書を一通取り出した……。


     一〇才の章子へ
     こんにちは、章子。わたしは二〇年後のあなた、三〇才の章子です。
     つまり、これは未来からの手紙。あなたはきっと、これはだれかのいたずらではないかと思っているはず。大好きなお父さん(あなたはパパとよんでいましたね)をなくしたばかりのわたしをからかうなんてひどい、とおこっているかもしれません。
     しかし、これは本物の未来からの手紙なのです。
     うたがわれたままだと、続きを読んでもらえないかもしれないので、しょうこ品を同ふうします。あなたがお父さんと、たい院したら必ず行こうと約束していた、東京ドリームマウンテンのシンボルキャラクターである、ドリームキャットのしおりです。
     ほら、右下にきざまれた文字を読んでみて。
    〈TOKYO DREAM MOUNTAIN 30th Anniversary〉
     英語はまだ読めないかな? 東京ドリームマウンテン三〇周年記念、という意味です。
     そう、三〇周年。あなたが今年のお正月にお父さんからもらったお年玉で買ってきて、入院中のお父さんの病室でベッドにもぐりこみ、二人一しょに何度もながめた最新ばんのガイドブックには、一〇周年と書かれているはずです。
     にせ物ではありません。ドリームキャラクターの、無きょかの使用がきびしく取りしまられている事は、あなたが一番よく知っているはず。
     わたしの記おくにもハッキリと残っています。
     あなたは三学期の図工の時間、木の小箱せい作の、ふたの部分にちょうこくする図案として、ドリームキャットを選んだ。ガイドブックの表紙にのっていた、チロリアンハットをかぶったドリームキャットのイラストを上手に写し、ぼうしのハネかざりや、キャットのフワフワした毛なみの一本一本にいたるまで、大小の丸刀や角刀を使い分けて、根気よくほっていった。
     完成品をお父さんにプレゼントしたかったから。お父さんがたい院したら、家族三人で東京ドリームランドとドリームマウンテンの両方に行って、箱の中を記念写真でいっぱいにするのだと、あなたは赤いビロードのきれを、箱の内側に一面ずつ、しわ一つないよう、ていねいにはりつけていった。
     あなたはドリームランドよりマウンテンの方が楽しみだった。だって、ドリームマウンテンのオープンした日、九月九日は、あなたの生まれた日でもあるから。
     完成した木箱はボンドをかわかすために、教室の外のろう下にならべたつくえの上にしばらく置いておく事になった。クラスの子たちのほとんどが、あなたの箱の前に立ち、すごいすごい、とかん声を上げていた。
    「ギフトショップで売っている、本物みたい」
     実さいに、ドリームマウンテンに行った事がある子にそう言われ、あなたはほこらしい気分になった。
    「章子ちゃんは作文だけじゃなく、工作も得意なんだね」
     そんなふうにもほめてもらえた。自分で言うのもなんだけど、あなたの、そして、わたしの長所は、想ぞう力と集中力なんじゃないかな。
     休み時間の教室がどんなにさわがしくても、本をめくる手は止まらなかった。何より、教科書にのっているくらいの文章なら、三回声に出して読めば暗記する事ができた。
     国語のじゅ業中、お父さんの事が心配でぼんやりしていたあなたは、本読みを当てられた。あわてて立ち上がったけれど、教科書を開いてもいなかった。となりの席の男子が文頭を小声でささやくと、あなたは「ああ、そこね」と寒い季節にもかかわらず、ひたいにういたあせを手のこうでぬぐいながら前を向いた。そして、教科書を手に取らないまま、一だん落分を暗唱し始めたのだから、教室中のみんなが目を丸くしておどろいていた。
     それ以来、あなたは天才少女なんてよばれるようになった。はずかしがり屋のあなたは「やめて、いつも通りのアッコがいいよ」と顔を真っ赤にしながら、必死でうったえていた。
     そういう所は、今でも同じ。
     そんなあなたにいじわるな事を言う子もいた。あなたは今、自分はおとなしいため、せいかくが暗いと思われて、クラスの中心にいる活発な女子たちからさけられているのだ、となやんでいるかもしれない。だけど、大人になったわたしには、それがまったくの見当ちがいだった事が分かります。
     あなたはしっとされているだけ。だから、学級委員長の実里ちゃんはこう言った。
    「シロウトがお金目的で作ったものじゃなくても、ドリームキャラクターを勝手に使っちゃダメなんだよ。わたしのいとこのお兄ちゃんの知り合いの小学校で、卒業記念に体育館のかべに、みんなで、ドリームランドのメインキャラ、ドリームベアの絵をかいたら、アメリカのドリーム社から、すぐに消すようにってこう議の連らくがあったらしいんだから」
     そのとたん、あなたの顔はこおりついた。木箱をぼっしゅうされるだけでなく、ルールい反をしたせいで、ばっ金を払う事になったらどうしよう。それよりも、ドリームランドやマウンテンに立ち入りきん止にされたらどうしよう、と。
     あなたは泣きながら、たん任の篠宮真唯子先生に相談しに行った。すると先生は「まだ見つかっていないから、大じょう夫よ」と笑いながらあなたをはげまし、もう百点満点をつけたからと、その日のうちに木箱を持って帰らせてくれた。
    「パパに、すごく上手だってほめてもらえたよ」
     学校帰りに病院によったあなたは、よく朝、うれしそうに先生にほう告したよね。
     だけど、その木箱に、家族三人でのドリームランドとマウンテン旅行の写真を入れる事はできなかった。木箱ができたよく週、あなたのお父さんは天国へと旅立ったから。
     ひと月前の事ですね。
     その時に、この手紙を送る事ができたらよかったのだけど……。
     未来からの手紙はかん単にか去へ送れるものではありません。いつ、だれが、だれに、どういった目的で送るのか、きびしいしんさがあるのです。
     よく考えてみて。かん単に送る事ができたら、たからくじの当選番号を伝える事もできるでしょう? みんながそれをしたらどうなると思う? そんなのはくだらない例だけど、たとえば、一部分の不幸な未来を知り、そのステージをさけようとする人だっているかもしれない。
     知らなければ、そのステージを乗りこえた先に、大きな幸せが待っていたかもしれないのに。
     わたしがこの手紙に、げんざいの名字やしょく業を記していないのも、それらをきん止されているからです。この先、あなたがもう少し成長すれば、自分がなぜこの世に生まれてきたのかを、今までよりも真けんに考えるかもしれない。
     だれと出会うために、何をするために、などとなやんだり、色々な方法をためしてみたりしながら、人生は自分自身で切りひらいていくものです。なのに、先の事が分かってしまったら、だれかに決められた人生を歩んでいるだけなのだと思いこんでしまったら、努力をしない人間になってしまうかもしれません。もしくは、わざと反発しようとするかもしれません。
     未来など、知らない方がいいのです。
     それでも、わたしがあなたに手紙を書く事にしたのは、あなたの未来は、希望に満ちた、温かいものである事を伝えたかったからです。
     やさしかったお父さんをなくして悲しんでいるのは、あなただけではない。おそう式の日、お母さんはあまりの悲しみにたえ切れなくなってたおれてしまった。あなたはそんなお母さんの代わりに、自分がお父さんを見送るのだというように、必死でなみだをこらえ、親族席に一人ですわっていました。
     お母さんはそれからも、たびたび起きられなくなる事があって、お父さんのしょく場の社長さんご夫さいや同じマンションの人たちは、あなたに、お母さんを元気づけてあげてね、お手伝いしてあげてね、などと言ったけれど、あなたがお母さんをささえようと必死にがんばっている事は、わたしが一番よく知っています。
     夕飯のおべん当を買いに行ったり、ゴミ出しをしたりといった、家の事だけではありません。あがりしょうなのに、お母さんに喜んでもらいたくて、クラスで一人だけ選ばれる六年生を送る会で手紙を読む係に、自分から手をあげて立候ほしたよね。
     あなたにとっては、先週の出来事です。これには、すいせんされるのを待っていた実里ちゃんもおどろいて、いつものようにもんくを言いませんでしたね。
     努力した先の未来には、楽しい事が待っている。これは、お父さんがよく言っていた事。あなたはなみだがこみ上げそうになるごとに、おく歯をギュッとかみしめて、最後までどうどうと読み上げました。一ぱん公開していたものの、そこに、お母さんのすがたはなかったけれど、体育館中にひびいた大きなはく手は、きっと、天国のお父さんのもとにとどいたはずです。
     あなたは、このままお母さんの具合がよくならなかったらどうしようと、心配になっているかもしれません。この間まで、毎ばんふとんの中で泣いて、目を真っ赤にはらして登校していたでしょう? 先生には、大じょう夫、と作り笑いをうかべながら。そして今は、泣いた事がバレると、周囲の大人がお母さんに、もっとしっかりするように、と直せつ言いに行く事をおそれて、だれもいない所でさえ、なみだをがまんするようになってしまった。
     どうか、そんなに悲しまないで。自分を追いつめないで。
     さびしい時は本を読めばいい。心にうかんだ事を書いてみるのもいい。
     お父さんがあなたの名前にこめた思いを知っていますか? あなたがこの先知るであろう事を、ここに書くのはルールい反かもしれない。だけど、わたしは今のあなたにこの事を伝えたい。
     言葉には人をなぐさめる力がある。心を強くする力がある。勇気を与える力がある。いやし、はげまし、愛を伝える事もできる。だけど、口から出た言葉は目に見えない。すぐに消えてしまう。耳のおくに、頭のしんに、焼きつけておきたい言葉でさえも、時がすぎればあいまいなすがたに変わり果ててしまう。
     だからこそ、人は昔から、大切な事は書いて残す。言葉を形あるものにするために。えい遠のものにするために。
     それが「文章」です。
     お父さんは一〇代のころ、小説家になりたかったんだって。家のどこかをさがしてみると、お父さんが書いた小説が見つかるかもしれないね。
     あなたのお母さんの名前、文乃には「文」という字が入っている。だから、お父さんはあなたの名前には「章」という字を用いる事にした。小学校に上がったころ、お父さんに、もっとかっこいい名前がよかった、とだだをこねてこまらせた事があったよね。
    「どうしてこの名前にしたのか、章子がもう少し大人になったら教えてあげるよ」
     お父さんはそんなふうに言っていたよね。その答えが、今書いた事なのです。
     章子の「章」は文章の「章」。そんなあなたに、文字が、言葉が、文章が、そして物語が味方をしてくれないはずがない。
     未来からの手紙であるしょうこ品として、数多くあるドリームグッズの中から、わたしがしおりを選んだ理由も分かったでしょう?
     どんなしょく業についているかは教えられないと書いたけれど、あなたが本を読む事は、文章を書く事は、決して、今のさびしさをまぎらわすための行いだけではなく、あなたを未来のあなた、つまり、わたしにみちびいてくれる大切な役わりを果たすものになるはずです。
     章子、二〇年後のあなたは、むねをはって幸せだと言える人生を歩んでいます。
     悲しみの先には、光差す未来が待っています。それを、あなたに伝えたくて。
     がんばれ、章子! この手紙が、あなたの人生のささやかなエールとなりますように。
     三〇才の章子より

     追しん しおりはだれにも見せないで。あなたとわたしだけのヒミツの品だから。


     あと五分で消灯するというアナウンスが流れた。
     便箋を封筒の中に戻し、指先でプレート状の金属の感触を確かめてから、手紙をリュックに片付けた。もう一度、彼女の手を握り、ゆっくりと目を閉じる……。
     この手紙が届いたのは、小学四年生の終わり、三月末のことだ。
     三学期の終業式を終えて一人、自宅マンションに戻ると、ポストの中に封書が一通入っていた。白い縦長の、どこの文具コーナーにでも置いてあるような、最も特徴がないと言える封筒に、「佐伯章子様」と黒いペンで書かれていた。住所も差出人の名前もなく、切手も貼られていなかった。
     郵便で届いたものではない。ふと、この手紙はママが書いたものではないかと考えた。ママはわたしにこの手紙を残して、家を出ていってしまったのではないか。パパの後を追いかけようとして。まだ肌寒い季節にもかかわらず、脇の下に冷たい汗が流れるのを感じた。
     宛名の筆跡がママのものであるか、すぐには判別がつかなかった。
     わたしの持ち物への名前、学校に提出する書類などは、すべてパパが書いてくれていたからだ。当然、パパの筆跡とは違う。
     パパが死んだ後は、夜、提出物に記入しておいてほしいとママに頼み、ダイニングテーブルの上にプリント等を出しておいても、朝、何かが書き込まれていることはなかった。仕方なく、自分で記入した。文字を少し崩したり、繋げたりしながら、おとなが書いたものに見えるようにして。
     心臓がバクバクと高鳴るのを感じながら、封書におそるおそる手を伸ばした。裏面には何も書かれていない。封筒の口は、子どもの細い指を入れる隙間もないほどに、ビッシリと糊付けされていた。それが、少しママらしくないと感じて、ホッと息をつくと、見られてマズイものではないのに、片手で手紙をパーカーの内側に隠すように持ち、もう片方の手でポケットから鍵を取り出して、家の中に入った。
     ただいま、といつもより大きな声を出してみた。返事はなかった。
     ドアを開けたままのリビングから、積み重ねていたはずの分厚いファッション誌が、雪崩のように崩れて廊下を塞いでいた。それをまたいで歩きながらリビングを覗くと、ママの姿があった。窓辺を向いたお気に入りの籐椅子に座り、どこか遠くを見ていた。
     一瞬でも心配したことがおかしく思えてきた。ママが一人で外に出ていけるはずがない。
     だって、今のママは人形なのだから。
     ものすごく調子のいい時、ものすごく調子が悪い時、ママのコンディションはこの二種類しかない。パパとわたしは、前者を人もしくはオンと呼び、後者を人形もしくはオフと呼んでいた。人の時が二割、人形の時が八割といった具合だった。
     とはいえ、人であるママが活発だったわけではない。ベッドから起きて、簡単な家事をしていたくらいだ。マックスで、お菓子作りだった。パパやわたしと一緒なら、外出もできた。だけど、大概、翌日には人形に戻ってしまう。ベッドから起き上がることができなくなったり、椅子に座ったままぼんやりと一日を過ごしたりするだけの、人形に。
     ママの様子を確認して、食事の支度は後回しにしても大丈夫そうだと、四畳半の自室に向かった。担任の篠宮先生の話が長かったせいで、わたし自身空腹だったけれど、手紙の中身が気になったからだ。
     もしや、篠宮先生がクラスの子たち全員に手紙を書いたのだろうか。そう思ったものの、一年間ほぼ毎日見続けた、篠宮先生が黒板に書く文字は、大きく角ばった、男性っぽいものだった。これは、流れるように整った、女性っぽい文字だ。
     それが、開けてビックリ! まさか未来の自分からの手紙だったとは。
     たとえ、一〇歳の子どもでも簡単に信じられるはずはない。だけど、信じているあいだは、この手紙は本物の未来からの手紙だということを、あのころのわたしは知っていた。だから、その夜から返事を書くことにしたのだ。
     未来の自分に――。


    ※7月18日(水)18時~生放送
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