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【第151回 芥川賞 候補作】 『どろにやいと』 戌井昭人
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【第151回 芥川賞 候補作】 『どろにやいと』 戌井昭人

2014-07-14 12:00
     わたしは、お灸を売りながら各地を歩きまわっている行商人です。お灸は「天祐子霊草麻王」という名称で、父が開発しました。もぐさの葉を主に、ニンニク、ショウガ、木の根っこ、菊の葉を調合して作っています。
     天祐子霊草麻王をツボに据えて火をつければ、肩こり、神経痛、リウマチ、腰痛、筋肉痛、胃腸病、肝臓病、冷え性、痔疾、下の病、寝小便、インポテンツ、生理痛、生理不順、肌荒れ、頭痛、ぼんやり頭、自律神経失調などに良いと、いろいろな効能がうたわれています。ようするに万病に効くわけですが、どのくらい効能があるかは、人それぞれで、父は生前、「信じる人ほど効くもんだ」と話していました。
     天祐子霊草麻王を使用して、効果のあった場合は、感謝の手紙をよこしてくれる方もいて、父は、それらの手紙を桐の箱に入れて保管し、行商から家に戻るたびに、届いた手紙を眺めて晩酌をしていました。今でもその手紙は仏壇の前に置いてあります。

    『半年以上も左肩が上がらず仕事もままなりませんでした。しかし天祐子霊草麻王さんに出会い、毎晩、据えておりましたら、一週間後に、肩が上がるようになりました。これでまた運転手の仕事に復帰できそうです。助かりました。』(男性・タクシー運転手)

     効果のあった人は、天祐子霊草麻王のことを、「さん」づけで呼んだりもします。

    『思春期の頃から尻のイボに悩まされていました。焼いたり切ったりを繰り返してきましたが、しばらくするとイボは、またそこにできます。憎しみすら感じていました。けれども、このまえ、イボを切ってからすぐに、天祐子霊草麻王を患部に据えました。毎日これを続け、一ヵ月経ちますが、現在にいたってもイボはでてきません。止めてしまうとまたイボが出てくるかもしれないという恐怖があるのですが、いまのところ大丈夫です。とにかくこの先は、天祐子霊草麻王と共に歩んでいこうと決めました。心から感謝いたします。ありがとうございます。』(女性・デパート勤務)

     尻にできたイボなんてどうでもいいではないか、と思う方もいるかもしれませんが、他人からすれば、どうでもいいような病でも、当人にとっては悲痛な思いがあり、治れば感謝してくれる。これ人情なのであります。

    『目が見えるようになりました。合掌』(男性・山梨県石和在住)

     こちらに関しては、実際のところ天祐子霊草麻王がどこまで作用しているのか定かではないのですが、父が言っていたように、「信じる人ほど効く」というあらわれだろうと思います。

    『海光神社の夜市で、おたくさまから天祐子霊草麻王さまを購入しました。わたくし共夫婦は恥ずかしながら、ここ二〇年以上も夜の生活がなかったのです。しかし天祐子霊草麻王さまを、旦那のそけい部に据えましたところ、その夜に、旦那がわたくしをもとめてきました。わたくし自身、性生活に対しては枯渇し、遠い昔の絵空事と思っておりましたが、天祐子霊草麻王さまによって、なんとも救われた気分になり、新たな喜びを味わうことができました。どうもありがとうございます。』(女性・四七歳)

     このように赤裸々な便りをよこしてくれる方もいます。

    『先月、天祐先生が行商にいらしたとき、寝小便にも効くと講釈をしていただいて、天祐子霊草麻王さんを購入させていただきました。あのときも相談しましたが、息子は、わたしが四〇代半ばを過ぎて産まれた子供で、翌年旦那を亡くしたこともあり、随分甘やかして育ててしまい、小学六年生になっても寝小便が止まらずにおりました。そこで天祐先生のおっしゃっていたように、天祐子霊草麻王さんを息子の肛門と金玉袋の間(この部分をあなた様は、アリのなんたらと言っていましたが失念しました)に据えました。ビロウな話が続いて申しわけないのですが、息子には、後方でんぐり返しをする途中で止まったような格好になってもらい、アリのなんたらの部分を天井に向けて突き出させ、灸を据えたのです。最初は恥ずかしいと言って嫌がり、泣き出した息子ですが、わたしが、寝小便を治すためだ、恥ずかしがっている場合か、と怒りますと、しぶしぶではありますが従ってくれました。すると驚くことに、その晩から、ピタリと寝小便が止まったのです。これで、修学旅行で東京に行けると、息子は喜んでおります。わたしも母として、とても感謝しております。』(女性・農家)
     
     嬉しくなる便りです。手紙の中にある天祐先生とは父のことですが、この手紙の後に、息子さんからも手紙をいただきました。東京タワーの絵葉書でした。

    『天祐さん、こんにちは、修学旅行に行ったとき、天祐さんのお灸を持っていきました。一日目は心配だったので、押入れにかくれて、すえました。二日目からはすえなくても大丈夫でした。でもお守りのようにして、ポケットに入れておきました。』

     父は田舎の小さな村や山奥の集落まで足を伸ばし、購入してくれた人のところへは、ふたたび訪ねて、お灸を据えたりしていたので、顧客が離れることはありませんでした。また香具師の組合にも入って、お祭りの市が立つと口上販売をすることもありました。
     香具師は神農さんという医薬を司る神様を信仰しています。神農さんは薬草の効能を確かめるため、わざと変な食べ物や腐った水を飲み、腹をくだして山の中に入り、木の根や草木を齧って、どれが効くか試されたそうです。ですから、わたしの家にも神農さんの神棚があって、子供のころから毎朝拝むのが日課でした。
     行商をする以前の父は地元の川崎の精螺工場で働いていました。ある日、仕事帰りに、多摩川沿いの波丸神社の夏祭りに立ち寄ると、夜店でお灸の実演販売をやっていて、それを見て衝撃を受けます。口上をしていた香具師が、杖をついて歩いていたお爺さんを呼び止め、足の甲にお灸を据えると、お爺さんは杖をポイと投げ、普通に歩けるようになってしまったのです。なにごとも信じやすい性格の父は、その場でお灸を購入しました。
     父は三人兄妹の長男で、弟と歳の離れた妹がいて、そのころ父は一八歳、妹は九歳でした。妹は右足が不自由で、お灸は彼女のために購入したのですが、買ってきたお灸を据えても妹の足は良くなりませんでした。そこで、もっと上質なものを作ればいいのだと、お灸作りの研究をはじめました。
     けれども妹に開発したお灸を据えてやることはできませんでした。彼女は、波丸神社の夏祭りから一ヵ月後、台風が関東地方を直撃した翌日に、濁流となった多摩川に流されてしまったのです。そのとき彼女は、父から誕生日プレゼントで貰った赤い長靴を履くのが嬉しくて、一人で川に行き、崩れた土手で足を滑らせ、川に落ちたのでした。
     妹は亡くなってしまいましたが、意地もあったのでしょう、父は工場に勤める傍らお灸の研究を続け、三年の歳月をかけて天祐子霊草麻王を完成させます。それから工場の仕事仲間や知り合いにお灸を据えたりしているうち、よく効くと評判になり、自信をつけた父は工場を辞めて、お灸を背負って行商に出ることにしました。ちなみに天祐子霊草麻王の「祐子」の文字は、亡くなった妹の名前なのです。
     ところが行商に出て在庫が無くなると、いちいち川崎の自宅に戻って天祐子霊草麻王を製造しなくてはならないので、これでは効率が悪いからと、弟に天祐子霊草麻王の製法を伝授して、行商に専念することになります。品物がなくなると電話をかけて、次に行く町の宿へ、天祐子霊草麻王を手配してもらい、補充してまた売り歩きました。
     父は、三〇歳のときに岐阜の商人宿の娘と出会い、川崎に連れて帰り、一年後に子供が産まれました。これがわたしです。母は結婚当初から現在まで、叔父と一緒に天祐子霊草麻王の製造をしています。父はとにかく日本各地を歩きつづけ、川崎の家に帰ってくるのは、年に三、四回程度で、一週間もすると、また行商に出て行きました。
     しかし一年前、五七歳のときに、山陰地方の山奥の集落へ行商に行った帰り、熊に襲われて命を落します。
     遺体は地元のお爺さんが発見しました。まわりには天祐子霊草麻王が散らばっていて、父は頭を叩かれたらしく、顔が一八〇度まわって背中を向き、リュックサックから飛び出した顧客名簿を咥えていたそうです。この顧客名簿を受け継ぎ、わたしが二代目の行商人になりました。
     けれども、それまでのわたしは行商をする気などまったくなく、父からも商売を継いでくれと言われたことは一度もありませんでした。
     父の葬式の前日は台風が関東を直撃しました。当日は台風一過の快晴でしたが、前日の名残で斎場の近くの多摩川は濁流になっていて、同じような日に亡くなった妹の祐子さんが迎えにきているのかもしれないと叔父が話していました。
     葬式が終わると叔父は、父の行商を継いでくれないかとわたしに話してきました。残った顧客名簿は、父にとっては宝物以上のものであり、どうしても身内に受け継いで欲しいということでした。
     当時のわたしは、ずいぶん酷い生活を送っていました。武田紀之という中学時代からの悪友と遊んでばかりで、昼間は武田の実家が経営する堀之内のソープランドに行き、別に働いているわけでもないのに、従業員と一緒に出前をとってもらい昼飯を食べ、その後は、控え室でソープ嬢とトランプでお金を賭けてドボンをやり、夜になると武田と一緒に酒を飲みに行き、最後はキャバクラで遊ぶのです。遊ぶ金は、武田が全部出してくれました。彼の親父は堀之内で二店舗のソープランドを経営していて、武田はたいした仕事もしていないのに、そこの役員でした。暇をもてあましていたわたしは、彼のちょうどいい遊び相手でした。また武田は覚醒剤をやっていて、わたしは「あんまりやりすぎるなよ」などと言いながらも、ちょろちょろお裾分けをいただいていたこともある始末なのです。
     このように生活が荒んでしまったのは、ボクシングをやめてしまったのが原因であり、言い訳がましいのですが、打込むものがなくなり、心にポッカリ風穴が空いてしまったのです。武田は、わたしが選手のころから、半ばタニマチのような感じで応援してくれていたので、ボクシングをやめてからも甘え続けていました。
     ボクシングは高校のころにはじめて、卒業後は多摩川沿いの石鹸工場で働きながらジムに通っていました。二〇歳のときにプロテストに合格し、二四歳でスーパーライト級の日本チャンピオンに挑戦することになったのですが、その試合は負けたうえに、右目を負傷してしまったのです。
     負傷した右目は手術をして、その後も三試合しましたが、結局ボクシングをやめることになります。
     右目は、ボクシングをやめてからの不規則な生活がたたって、ふたたび悪くなってしまい、今では、いつも膜が張ったみたいにかすんでいて、視力はほとんどあてになりません。
     このように、片目が見えなくなってしまうような酷い生活をしていたとき、父が亡くなりました。
     叔父は、わたしに、「とにかくなんだか、わけのわかんねえ生活はやめて、親父の仕事を継げ、このままじゃただのチンピラになっちまうぞ。まあ、このご時世に行商が古いのはわかっている。天祐子霊草麻王も然りで、インターネット販売が主流になりつつある。おまえの親父も顧客名簿を辿っての行商はこれが最後だと考えていた。この名簿をまわりきったら終わりにしようとも話していた。だから残っている顧客をまわるのは、おまえの使命でもある」。使命とまで言われてしまいました。ボクシングをやっていたときには応援してくれていたので、よけいにわたしの自堕落な生活を見兼ねていたのでしょう。もちろん自分でも、今のままでは、まずいと思っていて、この街から、しばらく離れなくてはどうにもならないとも感じていました。
     四十九日が終わった翌日に、わたしは川崎の街から逃れるように顧客名簿をたずさえて、各地を歩きはじめ、そろそろ一年が経とうとしていますが、地元には、まだ一度も戻っていません。
     行商は、最初こそ戸惑うことも多かったのですが、名簿に載っている家をまわると、たいがい父のことを憶えていてくれ、優しく迎え入れてくれるので助かりました。


     今回は、日本海に面した酒井田という港町を午前中に出て、三時間弱バスに揺られ、山奥にある志目掛村にやってきました。バスを降りて地図を眺めると、志目掛村にはいくつかの集落が点在していて、思っていたよりも大きな村でした。
     バス停から坂をのぼっていくと道は四つ辻になっていて、それぞれの集落へ向かう道があり、まずは大房トメさんという方が住んでいる集落に向かいました。顧客名簿を見ると、父は四回ほど志目掛村を訪れていました。
     道は舗装されていないところも多く、木陰や橋の下には、初夏を迎えたというのに雪が残り、冬は豪雪地帯であることが窺えます。あたりは田んぼと畑がひろがり、村全体は山に囲まれて、山は奥の方まで影のように折り重なっていました。
     大房トメさんの家は、田んぼのどん詰まりにありました。木造の黒い大きな家の裏にまで山が迫っていて、斜面の緑に浮かび上がっているように建っています。庭に面した縁側には、色褪せた赤いムームーのような服を着たお婆さんが座っていました。彼女がトメさんのようです。
    「こんにちは、こちらは大房トメさんのお宅でしょうか。以前、お灸の、天祐子霊草麻王を購入していただいたと思うのですが」
     彼女はうつろな目つきで庭の先を眺めています。庭には赤いツツジの花が咲いていて、犬小屋がありましたが、鎖が死んだ蛇のように転がっていて犬は不在でした。
    「あの、天祐子霊草麻王を持ってきました」
     トメさんはチラリとこちらを見ましたが、すぐに庭先に目線を戻します。どうしようかと迷っていると、あぜ道の方からエンジン音が聞こえてきました。振り返ると軽トラックがこちらに向かってきて、家の前に停まると、肌の焼けた男と割烹着姿のおばさんが降りてきました。男の白いシャツやズボンは泥で汚れていて、二人とも麦わら帽子をかぶっています。二人は農作業の帰りのようです。
     割烹着姿のおばさんはそそくさと家の中に入っていきましたが、男は庭の垣根越しにいるわたしを不審がり、「どちらさんですか?」と声をかけてきたので、天祐子霊草麻王の話をすると、「あれれ、するとあんた、天祐さんの息子さんかい?」と驚いた様子でした。
     男は大房敏郎さんといって、年齢は四〇代半ば、あけすけな明るい感じの人で甲高い声で喋ります。またトメさんのことを「婆さん」と呼んでいますが、トメさんの息子さんで、歳がいってからの子供だったから、物心ついたときには、もう婆さんだったと話しました。
     敏郎さんは、父がこの村を何度か訪れ、トメさんに縁側でお灸を据えていたのを憶えていました。
    「それにしてもよ天祐さんか、懐かしいな」
     敏郎さんは、感慨深そうに目を細め、ニヤッとした口からやたらと白い歯がのぞきました。
    「恥ずかしい話だけどもな、おれは子供のころ寝小便たれでよ、天祐さんに治してもらったことがあんだな。毎晩、寝る前に、尻と金玉袋のあいだに据えられてよ、なんていったっけな、あそこ」
    「ありのとわたりですかね」
    「ありのとわたりだな」
    「もしかしたら、父に手紙をくれませんでした?」
    「東京に修学旅行に行ったときに買った絵葉書でお礼状を書いたな」
    「東京タワーの葉書ですね」
    「婆さんに強制的に書かされたんだけどもな」
    「その葉書、父は大事にとっていました」
    「でもよ関東の人に東京タワーの葉書で手紙を書くなんて、間抜けだよな。おれは寝小便が治ってからは、お灸はやってねえけどな」
    「久しぶりに、わたしが据えましょうか」
    「もう寝小便はだいじょうぶだ」
     敏郎さんは大きな声で笑い、ありのとわたり以外ならどこにでも据えてくれと言います。
     さっそくわたしは、リュックサックから道具を取り出しました。線香、マッチ、灰皿、タオル、それから水をもらって、タオルを湿らせ灰皿に水を張ります。
     天祐子霊草麻王は知熱灸で、もぐさを手のひらでほぐしてから丸め、指でまわして円錐形に成形し、底の部分に水をつけて湿らせます。こうすればピタリと皮膚に張りつくようになり、これをツボに据え、線香に火をつけて、お灸に火を入れるのです。
     敏郎さんは、農作業で腰が痛いというので、縁側に寝てもらい、腰のツボにお灸を据えました。
     背中から煙を立ちのぼらせながら、敏郎さんは目を細め気持よさそうな顔をしています。燃えたお灸は、外してから灰皿に入れ、また違うツボにお灸を据えていきます。取りかえるタイミングが悪いと火傷をしてしまうので、見極めが大切です。相手に「熱い」と言わせてはいけません。
    「婆さん、今日はよく見えるなあ」
     敏郎さんが首を横に向けた庭の先には大きな山が見えました。
    「ほら、山の形なんだけどな、牛が臥せてるみたいだろ」
     山の稜線は痩せた牛の背骨みたいになっていて、隆起した端っこの方が牛の肩、頭は雲の中に突っ込まれています。
     牛月山という霊山で、この辺りには他にも、湯女根山、魚尾山という二つの霊山があり、修験道者が三つの山をぐるぐるまわっていて、三つの山は信仰の対象となっているのだそうです。
     そういえば村に来る途中、バスの中から白装束の修験道者が国道を歩いているのを見ました。本来なら山の中を歩いているイメージがある修験道者ですが、トラックや車の走る道を歩いていたので、なんだか変な感じがしたのです。
     三つの霊山は、牛月山が過去、魚尾山が現在、湯女根山が未来を表し、過去は死、現在は今生、未来はこれから生まれてくるもの、という意味があるそうで、「三つのお山をお参りすると生れ変わって、新たな人生を歩めるんだな」と敏郎さんが説明してくれました。
     わたしは、三山を拝んでみたいものだと思いました。しかし、この村からだと、牛月山と魚尾山を拝める場所はあるけれど、湯女根山を望めるところはなく、山を越えていかなくてはならないのだそうです。
     牛月山をしばらく眺めていると、ボヤけてしか見えなかった右目に映る山が、だんだん輪郭をくっきりさせてきました。
     臥せた牛が立ち上がり、のっしのっしと歩きだしました。牛は山が意味する「過去」へと向かっているのでしょうか、牛の歩く速度はとても穏やかで、自分の背負った過去、忘れたい過去が、ゆっくりと開帳されていくような感じがしました。
    「あっちちち」敏郎さんの声がしました。わたしがボサッとしている間に、お灸の火が背中の皮膚に達しようとしていたので急いで取りのぞきました。火傷寸前のところでした。
    「すいません」とあやまり、右目をぱちくりやりながら庭の先を見ると、牛はもういなくなっていて、山の上に雲が流れていきました。
     敏郎さんは、一袋、五〇〇グラム、二五〇〇円の天祐子霊草麻王を購入してくれました。一緒に、父が作ったお灸を据えるツボが記してある用紙を渡しました。これは人体が描いてあり、ツボに番号がふってあって、番号を追うと、どんな症状に効くか記してあるのです。また電話番号とメールアドレスもあるので、次回からは、ここに連絡してくれれば郵送で送ることができると伝えました。
    「しかし便利になったもんだよな、もし婆さんがインターネットやってたら大変だったな。婆さん、行商の人が来ると、羽毛布団だとか、百科事典だとか、なんでも買っちゃってたからな、ぶらさがり健康器も買っちまってよ、インターネットやってたら家ん中、物だらけだったな」
     居間には確かに、ぶらさがり健康器が置いてありますが、ハンガーにかかった農作業用のジャンパーが吊るされていました。
     トメさんは早くに旦那さんを亡くし、敏郎さんを女手ひとつで育て、二年前までは敏郎さんと一緒に農作業をやっていたそうで、トメさんの顔をのぞくと、皺の谷まで染み込んだように陽焼けをしています。
    「用水路に流されてからだな」
     敏郎さんは言います。
     二年前、トメさんは農作業中に用水路に落ち、一〇〇メートル近く流されましたが、運良く土砂災害工事の作業員に助けられたそうです。ここら辺は、土砂災害が多く、集落がまるごとなくなってしまったこともあって、常にどこかしら工事をしているため土木関係の人が常駐しているのでした。「工事の人がいなかったら、婆さん、お陀仏だったな」と敏郎さんは言います。そして、「頭に効くツボってあるんですかね」と訊いてきました。
    「頭をスッキリさせるツボはありますよ。子供のころ、自分は試験勉強のときに、頭にお灸を据えてました。でもたいして頭は良くなりませんでしたけど」
    「んだったら、婆さんに据えてもらおうかな」
    「頭のてっぺんですけど」
    「はい。やってみてくんねえかな」
     トメさんの髪の毛は薄く、すぐに地肌が見えました。お灸を据えてもトメさんはほとんど動きません。頭から煙がたちのぼりはじめます。
     とつぜんトメさんが叫び声を上げ、頭のお灸を手で払いながら、裸足で庭に飛び出し、野生の猿のように木にしがみつきました。敏郎さんが焦ってトメさんのところに行き、背中をさすってなだめました。
     トメさんは家の中に戻ってくると、なにごともなかったように、縁側に座って静かに山を眺めはじめました。
    「婆さんにこんな体力が残っていたなんて、こりゃ天祐さん驚きだな」
     敏郎さんは言いますが、いまのは天祐子霊草麻王の効能ではなくて、トメさんがちょっとした隙に頭を動かし、火の粉が肩に落ちたのです。わたしは敏郎さんに、トメさんの頭にお灸を据えるのは危険なので、くれぐれもやらないでくださいと忠告しました。
     帰り際、縁側で靴を履いていると、奥さんが「これ自家製ですから」と干し柿を持たせてくれました。
     次に向かったのは村にあるお寺でした。一度、バス停の近くの四つ辻に戻って、そこからまた違う道を進みます。
     なだらかな長い坂をのぼっていると、途中に食料品や雑貨を売っている古びた商店がありました。店先の屋根には風化して字も読めないブリキの看板があって、店の前には錆びた自動販売機とベンチがあります。
     道を挟んで反対側には、村の寄り合いに使うらしい平屋建ての公民館があって、玄関脇の花壇には黄色い花が咲いています。その隣の小学校からは子供たちの歌声が聞こえてきました。
     しばらく歩くと、わたしが目指すお寺の看板が見えてきました。木造の藁葺き屋根の山門があって、あぜ道のような参道を進み階段をのぼります。山門の両脇には木造の立派な仁王さんの像がありました。ものすごい形相でこちらを睨んでいますが、田んぼのひろがるのんびりした景色の中で、このような恐ろしい顔をしている仁王さんは、暇を持て余しているように見えました。
     ボクシングをやっていたころ、仁王スグルというリングネームのボクサーと戦ったことがありました。彼は名前通り、ものすごい形相で相手を睨むことで有名で、髪型はパンチパーマ、喧嘩で負ったものらしい深い傷痕が眉間にありました。
     試合前、あまりにも睨んでくるので、わたし側のセコンドは笑い出してしまい、余計に彼の怒りをかいました。しかしゴングが鳴って、一ラウンド、わたしのストレートが上手い具合に顎にヒットして彼は倒れ、呆気なく10カウントが数えられました。半分白目で倒れている相手を見て、これは自分の実力で勝ったのではないと思いました。力んでいる人間は身体がかたくなり、パンチがヒットすると数倍のダメージを受けるのです。こんにゃくをパンチするのと、煎餅をパンチするのとの違いで、こんにゃくはふにゃっとするだけですが、煎餅は割れてしまうのです。
     お寺の境内には大きな山桜があって、その下にベンチがありました。本堂は木造の建物で、境内に突っ立っていると、本堂の脇にある小屋のガラス窓が開いてお坊さんが顔を出しました。彼は箸を持ちながら、「見学ですね、そこで待っていてください」とベンチの方を指すので、「いいえ、お灸を」と言いかけたときには、もう窓は閉められていました。
     わたしはベンチに座りました。ここは高台にあるので、木陰にいると涼しい風が吹いてきます。ベンチの横にはジュースの自動販売機が置いてあるのですが、お寺に自動販売機というのは不釣り合いに思えました。しかしわたしは、商法に嵌められたような気分で缶コーヒーを買ってしまいました。無糖のものを購入しようとボタンを押しましたが、出てきたのは、ミルクの入った甘いものでした。
     甘いミルクコーヒーを飲みながら五分ほど待っていると、紺色の作務衣を着たお坊さんが本堂の前に出てきて、「どーぞ、こちらへ」と手招きするので、立ち上がり、空き缶をゴミ箱に捨て、本堂の木造階段の前にある靴箱に靴を入れました。
    「拝観料、五〇〇円をお願いします」
     四〇代半ばくらいのお坊さんは、小太りで眉毛が太く、愛嬌のある顔なのですが、食事中に来たのが気に食わなかったのか、なんだか不機嫌そうでした。
     わたしは行商に来たことを告げようとしましたが、見学の後にすることにしました。入口脇にある小窓から、中にいる割烹着のおばさんにお金を払って本堂の中に入ると、お坊さんが「では、そこに座ってください。足が痺れるから、あぐらでもいいです」と言うので、リュックを降ろして畳の上にあぐらをかきました。
     目の前にはロウソクが何本も立てられている燭台があり、奥には立派な仏壇が見えましたが、観音開きの扉は閉まっていました。右の壁には畳一枚くらいの古い絵がありました。灰色の大きな岩をとり囲み、人々が手を合わせています。岩の天辺からは噴水のように水が吹き出していますが、それぞれのサイズや遠近がメチャクチャで、どれが本当の大きさかわかりません。
     薄暗い本堂の中で、ロウソクのゆれる光りを眺めていると、自分の身体も自然とゆれていて、いつのまにかお坊さんはいなくなっていました。あたりを見まわしても人影はなく、咳払いをすると、木造の壁に吸い込まれていきます。
     右目に映るロウソクのぼやっとした光りが、じょじょに輪郭をくっきりさせ、炎が、渦潮のようにぐるぐるまわりはじめて、真ん中は黒い点になりました。その奥には、深い静寂があり、音がまったく聞こえなくなりました。
     わたしはノックアウトを喰らったような状態で、渦の黒い点に吸い込まれそうになり、頭を下げて両手を床について耐えています。
     突然、木魚の音が響き出したので頭をあげると、炎の向こうの仏壇の前で、作務衣から袈裟に着替えたお坊さんが、木魚を叩いていました。
     お坊さんは木魚のリズムに乗せてお経を唱えはじめます。その音を身体で受けていると、右目はいつものようにボヤけだし、炎の渦は消えていきました。血流がどくどくと、木魚のリズムに同調していきます。
     木魚を叩きながらのお経が終わると、お坊さんは長い棒に白い紙束のついた大幣で、わたしの頭をシャカシャカやりはじめ、念仏を唱えだしました。わたしは頭を垂れて手を合わせました。
     ここまですべて、このお坊さん一人でやっているので、慌ただしい曲芸のようでもありました。シャカシャカが終わると、お坊さんは仏壇の前から走り込んできて、わたしの前でストンと正座して、お寺に関する説明がはじまりました。
    「わたくしどものお寺が信仰するのは、三つの霊山のうちのひとつ、未来を意味する湯女根山です。あちらの壁の絵にありますように、湯女根山には、山頂に大きな岩があり、そこから湯が湧き出しています。これが御神体で、湧き出る湯は、人間の誕生を意味し、女性自身をも表しています。お山はかつて女人禁制でした。そこで、お参りできない女性はこのお寺から、湯女根山の方角に向かってお参りをしたのです。しかし女人禁制は、マッカーサーが日本にやってきたときに、婦人解放で解かれました。戦争に負けたくらいで習わしを勝手に変えられるのはおかしいと、反対もありましたが、そのように男女の分け隔てなく受け入れられたのは、やはりお山の寛容さがあったからこそなのではないかと思うのです」
     一通りの説明が終わると、お坊さんは、「ロウソクに火をつけて、ここに掲げますと、願いごとが叶います」と目の前にある燭台を指しました。燭台の前の箱に入っているロウソクには、一本一本、「大願成就」「商売繁盛」「合格祈願」「家内安全」「無病息災」それぞれ文字があります。
    「ひとくち五〇〇円からになっております」
     わたしは財布を取り出してお賽銭箱に五〇〇円玉を入れて、「商売繁盛」のロウソクを手に取り、火をつけ燭台に掲げました。
     お坊さんはそれを見届けると、「では上人さまを拝みにいきましょう」と、わたしを立たせ、仏壇の脇にある部屋に連れて行きました。
     部屋は畳敷きで、二〇畳くらいの広い部屋で、沢山の供物の奥に、金糸の織り込んである着物を召した即身仏がガラスケースの中で鎮座していました。
    「全国には二〇体近くの即身仏があるといわれますが、わたくしどもの上人さまは、その中でも一番色が白いのです。他の即身仏は黒ずんでしまっているのですが、見てください、このように白いのは、この上人さまだけで、これは、上人さまがいかに高貴なお方だったかという証なのでございます。即身仏はミイラといわれることがありますが、ミイラではありません。ミイラは死体を処置して防腐をしたものですが、即身仏は生きながらにしてなるもので、これは大変な精神力を必要とします。まずは木喰行で、五穀を断ち、どんぐりなどの木の実しか口にせず身体から油分を抜いていきます。他に、漆を飲んだりもします。そうすると即身仏になってからも身体が腐らないのです。次は土中入定です。地面に穴を掘り、その中に入って蓋をします。そこには竹筒の空気穴があり、毎日お経を唱えて鈴を鳴らします。この鈴の音が鳴っている間は、生きている証で、鈴の音が聞こえなくなると即身仏になったということなのです」
     また鎮座している即身仏は四年に一回の衣替えがあり、そのときに着ていたものをハサミで端切れにして、お守り袋に入れるらしく、それが今わたしの目の前にある三宝の上に山積みになっていました。
    「このお守りは、とてもご利益があります。病に冒された人が完治したり、弁護士になれましたとか、極道者になりかけていた息子がまともになりましたとか、さまざまな効力があり、感謝の手紙も方々から来ています」
     ご利益を聞いていたら、お守りと天祐子霊草麻王がダブってきました。
    「あなたも、なにか願い事があれば、ひとくち一〇〇〇円で、このお守りが手に入ります」
     さきほどロウソクで「商売繁盛」も願ったので、お守りはいりませんでしたが、お坊さんは、ジッとこっちを見つめて目線を外しません。しばらく見つめ合った状態で沈黙が続きました。このままだと永遠に見つめ合っていそうに感じられ、仕方なく即身仏の前に置いてあるお賽銭箱に一〇〇〇円札を入れると、お坊さんは三宝からお守りをひとつ取って、わたしに手渡してくれました。
    「では、あとはご自由に見物してください」
     お坊さんが立ち上がって部屋を出て行こうとしたので、自分が行商人であることを告げるため、お坊さんを呼び止めました。
    「あのわたくし実は、お灸を販売しながら各地をまわっている者でして、以前は、父が行商をしておりました。そして天祐子霊草麻王というお灸をこちらの住職さんに購入していただいたことがあるのですが」
    「えっ、テンユウ? なんですか?」
    「天祐子霊草麻王です」
    「なんですかそれ?」
    「お灸です」
    「ずいぶん大層な、お名前ですね」
    「はい、このお灸も上人さまのお守りのように、ありがたいと喜んでくださる方がおりまして」
     お坊さんは目を細めます。
    「あのですね、テンユウだかなんだか知りませんが、上人さまと一緒にはしないでください」
     わたしは謝りましたが、リュックサックから顧客名簿を出して、お坊さんに見せました。
    「ここに、ケイキュウさんというご住職が購入してくれたとあります。お名前の読み方が正しいかわかりませんが、恵まれるに久しいで、ケイキュウさんとお読みしたらよろしいのでしょうか?」
    「はい、ケイキュウですが」
    「この方は水虫がひどかったそうで、それでお灸を使っていただいていたようです」
    「そうですか。でも恵久和尚は五年前に亡くなりました。とにかくですね、ありがたいお灸だかなんだか知りませんが、あなたは恵久和尚のなにを知りたいのですか。なにを詮索しようとしているのですか」
     お坊さんはイライラした様子を隠しません。
    「いや、べつに詮索をしているつもりはありませんが」
    「じゃあ、もういいじゃないですか」
     なにか気に障ることでも言ってしまったのでしょうか。それにしても、このお坊さんは、体型からもわかるように、高血圧で癇癪持ちなのでしょう、良いツボがあるのでお灸を据えてあげたくなりました。
    「あなたは、身体の具合はいかがですか? 良いツボがあるので、もし、よろしければお灸を据えましょうか」
    「だからお灸なんていらないですよ。だいたいなんなんですか、お参りに来たのかと思ったら、上人さまの前で商売をはじめるなんて、失礼ですよ」
     ずいぶんな大声を出すので、イラっとしてしまい、お坊さんを睨むと、彼の顔がニタリと笑っているような気がしました。
    「あとは、勝手にどうぞ」お坊さんは部屋を出て行きます。
     このような場で、うるさくしてしまったので、即身仏に手を合わせると、屋根の方から物音と鈴の音が聞こえてきます。この部屋が土中であるかのように思えてきました。
     鈴の音は移動して、窓の外で、「どふっ」と重みのある音に変わり、そこには白と黒のまだら模様の猫がいました。目が合うと素っ気なく尻を向け、背骨は波打つように動き、白と黒の模様が混じり合い、首輪についた鈴の音が遠ざかっていきました。

    ※冒頭部分を抜粋。続きは以下書籍にてご覧ください。


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