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近代民主主義の真理についての考察 思想的な観点と制度的な観点から アウトサイダー論も交えて
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近代民主主義の真理についての考察 思想的な観点と制度的な観点から アウトサイダー論も交えて

2014-08-10 05:30

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    ※この記事はこちらのテーマの続きです
    <リンク>天野統康のブログ 政治経済思想理論

    現在の操作される自由民主主義の構造を理解するには、
    経済とともに民主政治の基本原理を考える必要がある。
     

    前回までに



    .社会とは人間の欲求の実現の場であること



    2.
    多数が欲求を実現できる社会=幸福な社会



    3.
    人間の本能的な欲求は快を求め、不快を避けること



    4.
    快の選択肢が最大限保証されている社会
    =人権に基づく民主主義(近代民主主義)


    5.このために近代民主政治システムが世界を席巻している

    6.近代民主政治を構成する基本的な権利は、自由、平等、
    友愛、真理の4つ


    7.近代民主主義の前提が「人間は生まれながらにして
    自由で平等である」という自然権の思想に基づくため
    自由、平等、友愛の権利が必然的に発生



    ここまでをお伝えした。

    今回は、近代民主主義を構成する基本的な権利である、
    自由、平等、友愛、真理の4つの権利の「真理」について
    の考えを述べる。

    民主主義の真理は2つの面から発生する。

    ・人間の尊厳に基づく思想的観点
    ・選挙に基づく制度的観点


    まずは思想的観点から。

    真理とは「ほんとうのこと」という意味である。

    世の中には無限の「ほんとうのこと」が存在する。

    宇宙空間の真理から、物理学の真理から、芸能人の
    ゴシップの真理からと数え上げたらキリがない。

    人々の真理についての姿勢を考えるとき、英国の作家で
    哲学者であったコリン・ウィルソンのアウトサイダーの
    定義が参考になる。

    コリンウィルソンは、真理を重視する人間をアウトサイダー
    と呼び、それを軽視する人間をインサイダーと呼ぶ。

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    (コリン・ウィルソン 宗教とアウトサイダー 

    下より以下転載)


    「P129
    アウトサイダーとは混沌から顔を背けることなく、
    それを直視する人々であり、インサイダーとは
    自分の眼をくらませて、混沌を見ようとしない人である。」

    「P160 
    つまりそれは、いかにしたら全文明人をしてアウトサイダーが
    考えるごとく考えさせることができるか、という問題である。」

    「P174
    文明全体がこぞってアウトサイダー的に考えるということは、
    おそらく、インサイダーの全面的な消滅を意味するだろう。
    またこの挑戦に応じられなかった場合の損失は、必ずしも
    人類のスクラップ化であるとは限らない。
    単に、文明という言葉が意味するあらゆるもののスクラップ化、
    というだけのことかもしれぬ。
    いずれにせよ、スクラップ化を避けるための方途は、全世界が
    あげて「開かれた宗教を」- そして結局は、おそらく新しい
    「開かれた宗教を」創り出すべく努力することである。」

    (転載終了)


    よく真理を語る人々の中には、他人が真理を直視しない、
    といって怒る人が多い。

    まさに上記の記述にあるアウトサイダーな人々である。

    しかし混沌を直視せよ、真理を直視せよ、と述べても、
    何の混沌なのか、何の真理なのかが定義されて伝えられ
    なければ、他者に真理を直視させることはできないだろう。

    真理について考えるときは、何の真理なのかが定義され
    なければならない。

    そこで「民主政治の真理」とは何かを考える必要がある。

    「人間は生まれながらにして自由で平等である」という
    人間の尊厳の実現された状態、つまり「誰もが支配されない社会」
    を目標にすえることで民主政治の真理が定義できる。

    近代民主主義は自由や平等を侵害する権利を市民に与えない。
    日本国憲法に規定されているように、基本的人権を普遍的で
    永久不可侵のものとして定義している。

    その基本的人権は人間の尊厳という原理から発生している。



    (憲法第三版 芦部信喜 高橋和之補訂 P37より以下転載



    人権
    は、「人間の尊厳」の原理なしには認められないが、国民主権、
    すなわち国民
    が国の政治体制を決定する最終かつ最高の権威を
    有するという原理も、国民が
    すべて平等に人間として尊重されてはじめて成立する


    このように、国民主権も基本的人権も、ともに「人間の尊厳」という
    最も
    基的な原理に由来し、その二つが合して広義の民主主義を構成し、
    それが、人類普遍の
    原理と
    されているのである。


    (転載終了)


    当然、現実は様々な支配、被支配関係がある。
    現実に実現されていないからといって否定することは
    できない。
    何故なら、「誰もが生まれながらにして自由で平等である」という
    原理は君主制や身分制を否定するための前提条件だからである。

    そのために、これが実現を目指すための「目標」ということになる。

    目標を意識化すると縦軸に目標、横軸に時間が発生する。

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    そうすると「現状認識」が発生する。
    この目標から見た現状認識が「近代民主主義の真理」と定義できる。

    目標を据えることで必然的に現状認識という真理が発生する。


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    この真理とは、あくまでも目標に基づいた真理である。
    それ以外の無数にある様々な真理は省かれる。

    目標である自由、平等、友愛の統合状態によって真理は規制される。
    それ以外の真理は、ここでは無視されるべきことになる。

    また目標の自由、平等、友愛の統合状態も真理によって規制される。
    目標の現状を美化も卑下もせず、あるがままに理解することが現状
    認識となるためである。




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    以上で思想的な観点から近代民主主義には自由、平等、友愛とともに、
    真理の発生が必然であることを述べた。


    次に、選挙という制度的観点からの真理の発生について。

    選挙制度が発生すると、必ず社会的な意味での真理が発生する。
    何故なら、真理(情報)が無ければ、政治の代表を選ぶことができないからだ。

    候補者が何を言っており、どのような政策を述べているのか?
    社会はどのような状況なのか?
    そのことを市民が知らなければ選挙など成り立たない。

    民主主義以前の体制では、臣民は社会的な真理など必要もなかったし
    求められてもいなかった。
    農民は農業を、商人は商業を行っていれば良かった。

    しかし民主主義になり選挙権を市民が得ると、市民は代表を選ぶ権利が発生した。
    選ぶ基準としての社会的な正しい情報(真理)が求められるようになる。

    民主政治が選挙制度を前提としている以上、自由、平等、友愛とともに、
    真理は必然的に生まれる権利である。

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    以上が選挙という制度的な観点から真理が必ず発生する理由である。

    近代民主主義が世界に普及し維持され続けている理由は、思想と制度が
    自由、平等、友愛、真理の権利のもとで融合しており、制度的に強固なためだ。

    選挙そのものが、人間の尊厳という思想を基に作られ発展してきた制度である。

    コリンウィルソンの述べる真理を直視しないインサイダー的人間を克服し、
    アウトサイダー的人間を多く作るには、何の真理が必要とされている
    のかの定義を明確にすることが必要になる。

    社会が目標を意識化させないのなら真理の基準が曖昧になり、
    マスコミやアカデミズムを支配する国際金融財閥によって容易に
    操作されてしまう。

    例え克服できたとしても別の権力によって新たな支配が始まるだけである。

    例えば、イランのイスラム原理主義や、日本の場合は天皇制を中心にした
    日本原理主義が勃興する可能性が高い。

    一時的には現在の社会的矛盾を克服する有効な手段になりえるかもしれないが
    長期的には様々な弊害が現れてくるだろう。

    何故なら、快・不快の多様さが人類の特徴である以上、近代民主主義と比較して
    選択肢を狭めることに上記の諸理論はなるためである。

    選挙という民主政治そのものが、人間の尊厳という目標の実現のための手段であり
    自由、平等、友愛、真理が統合しながら発展する方向性を原理的に内包しているもの
    であることについては次回お伝えする。


    何故、今まで民主の真理の定義がなされて

    こなかった
    のかについては以下で解説。


    <以下有料>


     
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